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第56話〜家庭訪問〜

 玻座真学校職員室。

 事務机がいくつも並び、教員はその机の上でテストを作ったり、連絡用のプリントを作ったりしている。

 そして今は、担任を持つ教員は最も移動が多くなる時期であった。

 家庭訪問はされる側は数分で済むが、する側は移動やら準備やらでかなり時間がかかるのだ。いかに効率よく回るかが家庭訪問で失敗しない秘訣であり、その道順を決めるのが一番悩むところであった。

 「はあ……」

 そして、その悩みに直面している教員が、ここにも一人。

 クレアの担任、小藤ことうかえでである。

 黒く長い髪を後ろで一つにまとめた髪型に、ぱっちりと大きい黒の瞳。背は高く、スレンダーな体型。生徒思いで、ときどき熱血が入るいい先生である。

 「一番最初がクレアさんかあ……」

 彼女が頭を悩ませているのは、何も道順などという単純なものではない。クレアというある意味で問題児な生徒の家を最初に回らないといけないのが、なんとも不安だった。

 手早く済めばいいが、クレアの家庭環境を考慮するとそうならない可能性の方が高い。

 だから一番最後に回したいのだが、クレアが

 『お父さんが家庭訪問は早い方がいいって言ってた。できれば一番最初に、だってさ』

 と言っていたので、最後にするわけにもいかなくなってしまったのだ。

 「不安だなあ……」

 家庭訪問開始まであと30分。今から移動しても余裕で向こうの家に着くだろう。

 「……よし!いくか!」

 パチンと両手で自分の頬を叩き、気合いを入れる。

 個人懇談を兼ねているのである程度の時間はとれるのだ。大丈夫、大丈夫。

 楓はそう言い聞かせると、クレアの家に向かった。














 

 

 楓はクレアの家に着いた。

 クレアの家はどこにでもあるような一軒家で、二階建ての普通の家だった。

 楓は高校生であるクレアの両親がこんな家を持っていることに、ひどく驚いた。まだ自分だってマンション暮らしなのに。

 ピンポーン。

 楓はインターフォンを押し、しばらく待った。

 『はい』

 すぐに返事があった。高校生らしい、まだ幼さの残る声だった。

 「あの、クレアさんの担任の小藤楓です。家庭訪問に来たのですが……」

 『ああ、クレアの担任さんですか。話は聞いています。少々お待ちください』

 楓は言われた通り門扉の前で待つ。すぐに扉が開き、年に似合わない白髪頭の少年が出てきた。

 「はじめまして、クレアの父です。どうぞお入りください」

 「はじめまして……よろしくお願いします」

 少年が玄関の方へと楓を手招きし、楓は家に入った。

 家の中に入ると、なぜか妙に広かった。外から見た限りではこんな広さはなかったのに、玄関からして広さがおかしい。まるで無理やり広げたような印象を受ける。

 「ではリビングでお話ししましょうか」

 導かれるまま、楓はリビングへと招かれた。

 どう見ても彼は高校生で、楓よりは年下のはずなのに、どうしても下手に出てしまう。年齢に似合わない落ち着いた感じが、そうさせるのだろうか。

 リビングはさらに広かった。8人がけのテーブルに、カウンターキッチン。コンロはとても大きくて、かなりの大鍋でもおけそうだ。

 「かけてください」

 少年が木製の椅子にすわり、楓も少年の向かい側に座る。

 「あの、クレアさんは?」

 「今上で道具作りをしています。……呼んできましょうか?」

 ええ、と楓が言うと、少年は「トレース」と短くつぶやいた。

 すると、今まで誰もいなかったはずの少年の後ろに、少年そっくりの中性的な人間が現れた。

 「トレース、クレアを呼んできてくれ。早めにね」

 トレースと呼ばれた人間はそう短く命令されると、すぐに「了解」と言って、また消えた。

 「あ、あの、さっきの人は……?」

 楓がおっかなびっくりに訊いた。

 「ああ、彼女はトレース。僕の友達で、今ちょっと遊びに来ていたんです。手品が得意だから、見せてやりたいって言ってきかなかったんですよ」

 ああ、あれは手品だったんだ、と内心納得する。いや、納得せざるを得なかった、というところか。

 「なあにお父さん!私いま忙しんだけど!?」

 リビングに、かなり怒った様子のクレアが入ってきた。

 彼女は楓の姿を見つけると、態度を一変させ、

 「え、もう家庭訪問?時間早くない?……て、え?もう二時?うそ、いつのまに二時間も……っと、いらっしゃい、先生」

 そう言った。どうやらクレアは夢中になると時間を忘れるタイプのようだ。

 「ええっと、では、始めます。クレアさんのことですが、学校での態度は比較的良好です」

 クレアが少年から一つ椅子を開けた隣に座ってから、楓は話を始めた。

 「勉強はとてもよくできています。ほかの子が知らないようなこともよく知っていて今からでも中学生になっても大丈夫、とも思います」

 楓がそう言うと、

 「中学生?高校にでも通える自信あるわよ、私」

 そう胸を張ってクレアが言った。

 「クレアはよく勉強できるみたいだね。僕は全然だから、誇らしいよ」

 少年はそう言って、クレアの頭をなでた。

 「……む、子供扱いしないでよ……」

 そう言うクレアだが、手を振り払おうとはしなかった。

 そんな様子をほほえましく見ながら、楓は次のことへと話を移す。

 「えっと、ですね、クレアさんはクラスでの付き合いに問題がありまして……」

 「……問題?よく喧嘩するとかですか?」

 「いえ、クレアさんはまったく喧嘩をしたりはしません。ただ……男の子とほとんど話さないので」

 そう楓が言った瞬間。

 「私は男が嫌いなの。嫌いなものと言葉を交わすほど、私は聖人君子じゃないわ」

 感情を押し殺した声で、クレアが言った。

 「……嫌い?」

 「ええ。私は男が嫌い、怖い、嫌気がする。なんであんな喧嘩ばっかりしてて、『武器がかっこいい』なんて言う連中と話さないといけないのよ」

 それは、小学4年生がもつにはあまりに純粋で強烈な敵意だった。

 「……クレアさんは、男の子が嫌いなんですね?でも、どうして……」

 「なんであなたにそんなこと教えなきゃいけないのよ」

 理由を訊こうとした楓をさえぎり、クレアは辛辣に言った。

 「………楓先生、訊かないであげてください。なにがあったかは知りませんが、訊かれたくないことなのでしょう」

 その言葉に、楓は不審に思った。

 「……もしかしてあなたも知らないんですか?」

 














 「……ええ。約束、ですから」

 家族との約束を守り続ける少年に、楓は感心に近い感情を抱いた。

 

 

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