第40話〜些細な、けれど大きなすれ違い〜
私立玻座真学校の南400メートル、琴乃若商店街の北400メートル。
おおよそ琴乃若を地図にした時、必ず中心にくるのが、ここペンタグラム家である。
外からみればごく普通の一軒家だが、その実は全くことなる。
7人前後の人間が生活するのに、ごく一般の家屋ではすこし手狭だ。
そこでルウはトレースに命じて、空間を捻じ曲げ、家をほんの少しだけ広くした。
12畳ほどだったLDKは、その倍に、二階に4つしかなかった部屋は10部屋に。
廊下はまるでアパートのように広々と横に長い。
そんな特殊な家のリビング。
キッチンはカウンター式で、出来上がった料理がすぐに運べるようになっている。
7人座りの長テーブルにミリア、アゲハを除く6人は向かいあって座っていて、皆一様にミリアとアゲハをさまざまな感情をこめて見つめている。
「……まず、私から説明するわ」
みんなが見やすいよう、縦に長いテーブルのそばに立ち、ミリアは言った。
「この子は、私が娘にしたの。それは、この子が放っておけなかったからなの。……私を助けてくれたお父さんなら、わかるでしょう?」
ミリアの一番近くに座っていたルウに問いかけるように訊いたミリア。
「うん。君の気持ちはよくわかるよ。いやってぐらいにね。……でも、僕は向かってきた敵に手を差し伸べたことはないよ。それはなぜかも、君には教えたはずだけど?」
その言葉に、隣にいたサラは首をかしげる。
そうだったっけ?ルウなら敵にも容赦しそうだけど……
しかし、こう思ったサラは、すぐに思い直す。
サラの見ていたなかでは少なくとも、敵を救おうとはしなかった。
甘いのにはかわらないけれど。
「ええ。覚えています。『敵を救おうとは思ってはいけない。なぜなら敵とは自らを傷つけようとする害悪であり、その敵意は薄れることはない。たとえ薄れたとしても、それは見せかけだけである。もし仏心を見せてしまったら、その恩は仇でしか帰ってこない』……でしょう?優しいお父さんにしてはひどく懐疑的で攻撃的な教えだったので、よく覚えています」
「僕だって人格を持つ生物だよ。敵に対して恐れもすれば、あまりの緊張に攻撃的になることだってある。人を信じれなくなることだってあるだろう。そして間違ったことを吹き込んでしまうこともね。でも、その言葉が間違っているとは思わないよ」
つまりルウは遠まわしにアゲハを家族に迎え入れるのは反対だと、言っているのだ。
優しく、そしてたくさんの子供たちを救ってきたルウが、だ。
「……ルウ?どういうつもり?なんでだめなの?別にいいじゃない」
サラも意外過ぎて動揺しているのだろう、声はわずかに震えている。
彼女も、ルウに救われた一人なのだから。
「……だめだよ。アゲハ、いや、シイナ。君は帰ってくれ。『イノベート』と通じてる可能性のある人間をこの家に入れるわけにはいかないんだ。……ミリア、わかってくれるかい?」
アゲハには厳しく、ミリアには優しく、ルウは言う。
「……わかりません。お父さん、私は今まであなたはいつも正しいものだとばかり思っていました。……それも、やはり子がもつ幻想、だったのですね。アゲハは私の娘です。もう、私の家族です。娘に出ていけというのなら……私もついでに、勘当していただけますか?」
「なぜ、敵に情けをかけるんだい?君はいつか裏切られるかもしれないんだよ?それでも、君はその子を守るのかい?」
ルウは珍しく頑固に、そう言った。
ルウは家族を守りたいだけなのだ。
そして、ミリアは新しくできた家族を守りたい。
たがいに悪意はかけらもなく、善意がすれ違っているだけ。
「……もちろんです」
……だから、その時に訪れるいさかいは、限りなく深く、大きなものになる。
「……そうか。じゃあ、サヨナラ、だよ。今まで楽しかった。本当にありがとう。君がいなければ、僕は今ここにいないことも理解している。けれど、お別れだ。
……出て行ってくれ、ミリア」
その言葉に。
ミリアはもちろん、サラも、クレアも、誰も何も言わなかった。
「さようなら、お父……いえ、ルウさん。私も、とても楽しかったです。あなたに助けられていなければ、私は今頃この世にいないでしょう。……でも、さよならです。
あなたが考えをまげない限り、私は帰ってくることはありませんし、帰ろうとも思いませんので」
そう言うとミリアは絶句している皆に一礼だけして、アゲハの手を取り駆け出した。
リビングの扉が乱雑に開け放たれて、数秒。玄関を開ける音と、閉まる音が聞こえて、ミリアの姿は完全に消える。
「…………さよなら、ミリア……」
悲しげな表情をしているのは、ルウだけではなかった。サラも、クレアも、リリーもコトリも表情のないララでさえもが、悲しみに包まれてた。
けれど、誰も何も言わない。
なぜこうなったのか、いまだに理解できないのだ。皆がわかっているのはただ一つ――。
――ミリアがこの家からいなくなってしまった、ということのみだった。




