第3話〜予感〜
「……さて、小藤君」
玻座真学校、校長室。
大仰な座イスに、小太りの初老の男性が座っていた。
紫檀の偉そうな机の向かい側、一人の女教師がおっかなびっくりに立っている。
「……君のクラスの生徒で、クレーシアという子がいただろう?」
初老の男性、柊喜一郎は女教師に確認するように言った。
彼こそがこの小中高一貫の玻座真学校の創始者にして、校長。
琴乃若一の財力を誇る豪族、柊家の党首であった。
齢20にして琴乃若の実権を握り、50になる今までその能力でこの町を支えてきた実力者である。彼がいなければ、この町の財政は三日と経たずに崩壊してしまうだろう。
喜一郎はそれほど重要な人物なのだ。
「は、はい……」
それに対して、新任教師、小藤楓はどこにでもいる人間だった。
家柄、なんてものはこの町においては柊、帝、祟の3家以外にはないに等しく、彼女の家も昔はそれ相応の豪族だったのだが、今ではすっかりどこにでもある普通の家になった。
しかし彼女の両親は人柄がよく、常に『人に優しくしなさい』と教えていた。
そのかいあってか、楓は今の職業に就いている。まだ二年ほどしか教師をしていないが、十分優秀だと言えるだけの力量はある。
「その子を、しっかりと見張るようにな」
その言葉に、楓は疑問を持った。
「見張る? 注意しろ、ではなくてですか?」
「そうだ。見張れ、監視しろ。気を抜くな」
「なぜ生徒をそんな扱いしなきゃならないんですか!」
なにかの敵のように語る校長に、楓は憤慨した。まだなったばかりの頃を忘れられないのか、彼女はときたま熱血教師のような行動をする。
実際、彼女はその心意気が認められ、この難関校に赴任してきたのだ。
「……君がそういう性格だということは、よく知っている。そしてそれで、成果を上げてきたこともね。……しかしだな、小藤君。世の中、そんな綺麗事だけでなり立っているわけではないのだよ。わかるかね?」
怒鳴るように言った楓をとがめるような口調はどこにもなく、それどころか優しく諭すような口調だった。
「……しかし! 教育の面だけは、その綺麗事を成り立たせるべきです!」
「たしかにそうだ。君の言いたいことはよくわかる。嫌というほど、よくわかる。どんな時でも、子供には純粋でいてもらいたいものだからな。……しかし、だ。その観点から見れば、クレーシアは実によくない。……彼女の両親は15、6歳の子供だそうだ。……言っている意味が分かるかね?」
楓は息を詰まらせた。
「高校生じゃないですか……」
「そうだ。高校生だ。まだ精神的にも経済的にも発展途上の年頃だ。……君はそんな彼らが、まともな教育ができると思うかね?」
楓は顔を振った。
まだ高校生なのに、まともな教育ができるとは到底思えない。まだ、精神的に未熟なのだ。なにか間違った教育をしていても、おかしくはない。
「……わかりました、よく見張るようにします」
一礼と共に、楓は校長室から下がる。
パタン、と軽い音がして、楓はこの部屋からいなくなる。
「……くすくす。やっぱり人間は愚かだね」
代わりに、声と共に『誰か』が校長の隣に現れた。
何の前触れもなく、突然に。
その『誰か』は、この学校の高等部の制服を着ている。真っ白な雪のような髪に、銀色の瞳。
背は平均的で、どこまでも中性的。
彼、とも言えるし彼女、とも言える容姿をしていて、声もまた中性的なため、見ただけでは性別を判断できない。
「……君が彼女を?」
校長が、いぶかしげに訊いた。
彼のような彼女のような『誰か』は、くすくす、と嘲笑するように笑った。
「まさか。ボクはそんな簡単に力を使ったりはしない。……しかし、本当に彼女は愚かだね?」
再び、先ほどのセリフをその『誰か』は繰り返した。
「……なぜ、そう思うのかね?」
校長が、そう訊いた。
しかし彼は、そう訊きたかったのではない。訊かされたのだ。
そう、口を開けば勝手に、その言葉を紡ぎだすような、そんな感覚。校長ももはや馴れきったものなので動揺しないが、最初にやられた時は彼も驚いた。
「なぜ? それは決まっている。彼女は、いや、キミもそうだ。なぜ、高校生が子育てができないなどと決めつける? 子供だからか? 精神が未熟だから?」
不敵に、『誰か』は笑う。くすくすと、心底可笑しそうに。おかしそうに、言う。
「なら……大人なら、絶対確実に、子供を導けるのだろうね?」