第38話〜平和な言い合い〜
「いいのかい?止めなくても」
トレースは傍らにいる自分の主人、ルウに友達が話しかけるような気軽さで言った。
「別に、喧嘩しているわけじゃないんだから、止めることはないと思うけど」
ルウもそれを咎めようとはしない。ルウにとってトレースは道具だが、別にかしずいてほしいわけではない。そんなことした日にはサラに怒られる。
それだけ、というわけではないがルウはトレースに敬語は禁止しているのだ。ですますを語尾にに付けない方が早く命令が伝わる、というのが主な理由だ。
「しかし……コトリにはあんな趣味があったのか。ボクはつゆ知らなかったよ。……ルウ、キミは?」
「ん、知ってたよ。新しいポスターとか買ったら真っ先に僕に見せてくれるからね」
「……ふむ、特に不審は抱いていないようだが……娘がそんな趣味を持って残念ではないのか?たいていの親は子供がオタクになるのを止めるというが?」
特に、この琴乃若ではそれが顕著だった。未だこの世界の大人達はそう言ったアニメ、マンガに関心がなく、それらは子供の害になる――そう言った頑固な人間が多い。現に、この世界の電気街は某東京の某電気街のように進化していない。
その事実を、ルウは知っていたし、ルウもそちらに精通しているというわけではない。けれど、彼は自信を持って、こう答えた。
「僕は別に止めようとは思わないね。人を傷つける危険な趣味、というわけではないんだから、好きなことぐらい好きにさせてあげるさ。アニメ、マンガ、大いに結構。ただ、節度さえ守ってくれればね」
「……なんというか、数万年前より父親ぶりが板についてきたな。昔はもっとおどおどしていて、何かあればボクに頼ってくれたのに。……昔はよかった」
数万年前……それは最初の娘、ミリアの時のことだ。
精神的にもまだまだ未熟で、子供一人を守れる実力も経済力も(それは今もあるとは言えないが)なかったのに引き取ってしまったミリア。
彼女を育てるのには、万能の秘宝、トレースの力が絶対に必要だったのだ。
食べるものがない、と言ってはトレースに泣きつき、着るものがない、と言ってはトレースに泣きつき……と、とにかくトレースに依存しまくった。
過去の年数が桁違いなのはいつものことだが。今回はさらに昔のことだ。
サラが生まれてくるよりも、リンク達と出会うよりもずっと前の話である。これを知っているのは当人たちだけだ。
「……僕はあの時、弱かったのさ。よくミリアを育てられたな、って今では本気で不思議に思ってるよ。きっと、君がいてくれたからだね」
そのねぎらいの言葉に、トレースは顔を真っ赤にして、
「……!べ、別に、キミに尽くすのは当たり前だ!ボクはキミの道具で、奴隷で、そしてボクはキミのことが好きなのだからな!」
照れながらも、そう言った。
「うん、わかってるよ」
告白をされたというのに淡白な反応しかしないルウだが、それをトレースが咎めることはない。
トレースから告白されたのは、一度や二度ではきかないのだ。トレースは事あるごとにルウへの想いを口にしている。そのため、最初(この時ルウは名実ともに十代後半)こそどぎまぎしたものの、しだいに慣れ、今ではそれは『おはよう』と同等のあいさつとなっている。
「……ねえ、あんたらってさ、つくづくどういう関係なの?」
その会話を最初から聞いていたサラはついに訊いた。
サラはルウのことが好きだ。しかし、それを伝えようとはしていない。伝えて、今の『仲間』という関係が崩れてしまうのが怖いのだ。
しかしそれでも、やっぱり好きな人のことは気になる。戦闘中も妙に親密な二人を怪しむのは当然、といったところだろう。
「それからはボクが説明しよう。一度言ったと思うが、ボクはルウの奴隷で、道具で、そしてルウを愛する万能無限の秘宝だ」
ルウがこのことを説明するとどうしてもルウが鬼畜野郎に見えてしまうので、説明の時は必ずトレースがすることになっている。
まあ、誰が言おうがサラのこめかみが震えるのには変わりないが。
「あ、愛する?万能無限?……はっ、シイナとの戦闘で一番役に立たない万能無限ですか、それはそれはすごいことですねえ!」
「ボクはルウに能力のほとんどを封印するよう言われてるんだ。ルウの命令さえあれば、あんなやつ一瞬だ。息をつかせる暇もなくこの世から存在をなかったことにしてやれるとも」
皮肉るサラに真っ向勝負のトレース。
「はあ!?何よ、ルウ、ルウ、ルウって!あんたルウの言葉がなかったら何にもできない役立たずなの!?人形じゃないんだから、ちょっとは自分で考えなさいよ!」
「ボクは人形で、道具で、奴隷なんだ。考えるのは部下や仲間、家族がやればいい。ボクがすることは盲目的にルウを愛し、ただルウの言葉のみに存在理由を求めて従うことさ」
サラは知らないことだが、トレースはこのスタンスをルウに仕えてからずっと崩さずにいる。どんな無理難題でも一度として、トレースが命令を無視したことはない。
「こ、この……!あんた人間としての尊厳はないの!?好きなんでしょ!?」
「好きだとも。それを口にもした。しかし応えてもらう必要などない」
「なんですって?」
「ボクは知ってもらうだけでいい。応えてもらうなど、してもらう必要がない。好きなんだから、従わせてくれ――これさえ伝われば、ボクはそれでいい」
「あんた、とことんおかしいわね、気付いてないの?」
「ボクはおかしくなどない。道具として当然の心構えだ」
「それがおかしいってんのよ!」
「おかしくなどない!」
二人はもはや一触即発。
たがいに一歩も譲らない。
トレースがちょっとのことでは死なないと理解しているのか、サラは彼女に対してだけは炎をよく使う。こんなところで火炎を使われたら、生徒会で集まる場所がなくなってしまう。
「……トレース、やめるんだ。サラも、やめよう?ここ、みんいるから喧嘩したら大変だよ?」
「う……」
「む……」
ルウに言われれば、さすがの二人も引かないわけにはいかない。
「……フン!道具なんて前時代的なもの、認めるもんか!」
「ボクの方こそ、想いも告げずに今の状況を甘受しているキミなんか、認めるものか!」
たがいにそっぽを向き、サラはルウの右に、トレースはルウの左に、それぞれついた。
「……あのさ、どうして仲良くできないんだい?」
そしてルウは、今までの会話すべてを聞いていながら、この言葉である。
「…………」
ため息が二人の間からもれたのは言うまでもない。
で、その様子を見ていたクレアは、
「……娘と息子が60人近くいて言い合う内容か?」
ぼそりと、突っ込んだのであった。
ちなみにリンクとコトリの『クレアの萌え要素』についての論争は今や『アニメキャラにおける萌え要素』という逸れているのか逸れていないのかいまいちわからない内容になっていた。
「……でな、俺は思うんだよ。ツンデレってのはツン成分が多い方が分かりやすいんだよ。俺もたまーにエリアにやるんだがな?そんときは愛情一割、ツン成分9割だぞ?」
「それこそ人それぞれじゃないですか!ツン成分なんて急に増やされたら混乱するだけです!エリアさんがかわいそうです!」
「はあ!?エリアなんか俺にべたべたなの仕事中だけだぞ!?普段なんかクールビューティなのはいいが俺に対する愛情が感じられねえんだよ!仕返しだ仕返し!」
この場に本人がいないせいか、リンクも普段は言わないようなことも言っている。
「そもそもあなた達の存在がおかしいのです!ころころ性格変えるのが夫婦共通の趣味なんて、どこの小説にだっていませんよ!」
「あ?悪いか!暇なんだよ、こっちは!つうか、お前に趣味とやかく言われたくねえ!おとなしくクレア眺めとけ!」
会話はほとんど暗号文だけど、それは全力で阻止させてもらうわ、とクレアは固く心に誓った。
ふと、リリーが思い出したように、クレアに言った。
「……ま、平和が戻ってきてよかったね、クレア」
「……まだきていない面々もいるけど、とりあえずはそうね」
クレアもリリーの言葉に、同意したのであった。




