第32話〜シイナと桜〜
青い髪のシイナ・レイル・ジェイドはもともと『イノベート』に肯定的ではなかった。
生まれた時からその組織にいて、その組織の教育(洗脳ともいう)を受けてきたから、今回のように使い捨てられることが分かっていても何も考えずに命令を執行することができた。
しかし……
裏切り者を殺し、やけに威圧感のある吸血鬼二人組にあってから、シイナの中身は急速に変わりつつあった。
……え?
そう声を漏らしたのは、エリアと、リンクに手を掴まれたままの少女だった。
「……気付かねえのか?この青い髪、お前にそっくりだ。この瞳は、俺に似てる。……シイナとはまた違うけど、こいつはきっと、れっきとした俺達の娘だ」
その言葉に驚愕したのは、少女だけだった。エリアはもう気を取り直して、少女の観察に入って「ふむふむ、確かにね」とか言っている。
少女はかすかに震えながらも、なぜか必死になって言う。
「な、なにを……いってるの?わ、私は確かにシイナ・レイル・ジェイドだけど……あなたなんか、し、知らないわ。そもそも、私に親なんて……」
お前に親なんていない。シイナはそう言われ続けてきた。牢屋にいる時も、訓練の時も、実験台にされる時も、いつの時も。
「……シイナは俺の娘だ。今は『イノベート』に入らされて、元の面影はないけどな……」
ひどく悲しげに、リンクが言った。
リンクは知らないことだが、彼女、つまりこの世界に現れた4人目のシイナは、少し違っていた。
彼女だけが、ほかのシイナと違って青い髪で、容姿も幾分か幼かったのだ。ほかのシイナは皆が皆まったく同じ容姿をしていた。
この時のリンクは、それがどんな意味を成すか、ということに気付きようがなかった。
「……あのな、お前は俺の娘だ。そうだろう?いや、そうだ。お前は俺の娘だ。そうでなければ、敵だ。敵は殺す。殺されたくなかったら、俺の娘になれ。拒否権はない。久々に俺とエリア、シイナと3人で異界士やろうぜ?いや、やらせてみせる。絶対にやらせるからな」
世界ごとに変えた性格に戻って、リンクはまくしたてる。
「え?あ……ええっと……」
仮にも『イノベイター』たるものがなぜ、こんなにもおびえているのだろう……?
はたから見ていたエリアはそう思ったが、特に何かを言おうとはしなかった。この返答を街間違えば、リンクはためらいなくシイナを殺すだろう。けれど、エリアはそうなったとしても別に構わない。
なぜなら彼女にとって娘とは、自分が腹を痛めて産んだ黒髪で黒い瞳のリンクの目つきとエリアの容姿を受け継いだ優しい吸血鬼、ただ一人であったからだ。
自分の娘はこんな、青い髪で子供っぽい体つきで、怯えているような子ではけしてない。
「……その子を娘にするというの?」
たまらなくなって、エリアは訊いた。
もしかしたら、『イノベート』に入らされておかしくなってしまったシイナの身代わりにでもするつもりなんじゃないかと疑い始めたのだ。
「悪いか?」
「あなたがその子をシイナの身代わりにする、というのなら悪いし、私も認めない」
きっぱりと、エリアは言い切った。
別にエリアはリンクに絶対服従というわけではないのだ。戦闘中や仕事中はもちろん従うが、育児や家庭のことでは、エリアが譲るつもりは一切ない。
「身代わり?……シイナはもう、いないんだ。身代わりなんて立てても意味ねえよ。……そうだな、じゃあ、サクラ、ってのはどうだ?」
「え?」
完全においてけぼりにされて、シイナ――勝手にサクラになりつつある少女――は、目を瞬かせた。
「お前は、俺の娘になるよな?でも、シイナってのはお前のお姉ちゃんの名前なんだ。だから別に名前を決めなきゃいけない。で、俺はおもうんだが、サクラってのはどうだ?お前、今血に染まっててちょうど桜色だし」
シイナが浴びた男の返り血はもうすでに変色し、茶色になりつつあるが……これが桜の幹の色だと言われれば、そうかもしれないとうなずける。
「……わ、私、は……」
揺れ動く、シイナの心。
リンクもエリアも、結論を急かそうなどとは考えない。これは重要で重大なことなのだ。じっくりたっぷり、悩んで考えなければならない。
自分はみんなとどこか違ってて、『イノベート』ではいいことがなかった。それに、この人に敵対して勝てるつもりもない。……じゃあ、ここでこの人の娘になってみたらどうだろう?
シイナは徐々に、そう思うようになっていった。
そして、ふと、こんな想像が頭によぎる。
――ここはどこかの学校だ。
そこで、彼女は登校するのだ。かばんを持って、筆記用具と白紙の宿題を持って。
クラスで一人はいるまじめな人に、彼女はこう言う。
『ねえ、宿題見せてよ!』
そのまじめな人は、しぶしぶながらも、彼女にノートを差し出す―――
そんな、どこにでもある風景を想像した。
そしてその想像が、契機になった。
シイナの中にあった『イノベート』に関する呪縛ともいえる刷り込みが、嘘のように消えていく。
しがらみが消え、楽しい未来、明るい希望を示された。
「……私の名前は、サクラ。サクラ・レイル・ジェイドです」
その結果、彼女はそう、名乗った。
それを、リンクは指を振って否定した。
一瞬不安になるが、サクラは次のリンクの言葉を聞いて、さらに笑顔になった。
「ちっちっち。お前の名前はサクラ・フラウ・ジェイドだ。サクラは桜、フラウは花。……お前は今後、サクラ・フラウ・ジェイド。そう名乗れ」
人知れず街を守った吸血鬼は、その報酬に大事な家族を一人、手に入れた。




