暗闇と鬼灯
「おおおお……」
死んだ魚のような瞳で俺を見つけると、雄叫びを上げ、覚束ない足取りで走り始めた。皮膚の所々が爛れていた。めくれあがった唇の隙間から茶色く変色した乱杭歯が並んでいる。
「彼らはここに打ち捨てられた元不死のなれの果て、ようは餓鬼です」
「彼ら……」
横穴から出てきたのは一体だけでは無かった。
四体、それぞれ大きさは違ったが、いずれも俺に向かい始めている。
「完全に自我を失ってますね。『虚ろの大穴』の調査の難易度が高いのは彼らが原因です」
「に、逃げるか」
「ヒラサカさんの将来の姿ですよ。先輩たちに敬意を払った方がいいんじゃないですか?」
「なにバカなこと言ってんだ。話が通じるような相手じゃ……」
衣服は纏っておらず、足音がペタペタと響いている。
「うおおおお……」
動きは単調だが、足が早い。慌てて剣を抜き、身構える。
「く、来るなっ! おい、そこで止まれ」
「おおおお……」
「止まれって!」
「あ……」
ただ真っ直ぐに剣を構えていただけだ。自ら飛び込むようにして、餓鬼は俺の刃に貫かれた。
すぶり、と形容しがたい嫌な感触が手のひらに伝わる。
「あと三体きてますよ!」
「わあ!」
足を使って、死体を蹴り、刃を慌てて引き抜いた。脈がないのか、血は出なかった。後ろから来ていた二体目の首筋に狙いを定めて刃を振り下ろす。
サッカーボールのように首が地面に転がった。次、三体目、と心を無にして、剣を再び構え直そうととしたとき、手遅れを悟った。
餓鬼の細長い手が俺に向かって伸び、皮がくっついた骸骨のような顔面迫っていた。完全に間合いに入られている。この状態じゃ刃を振るうこともままならない。
「まったく。この程度の相手に苦戦してるようじゃ、まだまだですね」
「え?」
「you still hare lots more to work on…(まだまだだね)」
「なんで英語?」
閃光が瞬き、肉が焼ける小気味よい音が響いた。
俺にまとわりついていた二体の餓鬼は眉間をレーザービームのようなものに撃ち抜かれて死亡した。地面に横たわり痙攣している。
「た、助かった……」
腰が抜け、その場にへたりこむ。
「あの程度、一人で何とかしてほしいものです」
肩を竦めるアンティールに小さく「ありがとう」とお礼を告げてから、「人型は苦手なんだよ」と文句言う。
「あきれた。餓鬼は人間じゃないですよ。モンスターです」
杖で倒れた四体の餓鬼を示す。
傷ついた部位が、ぐちょぐちょと音をたててゆっくりと再生していた。飛び散った肉片がゆっくりとアメーバーのように傷口に戻ろうとしていた。筋繊維が結び付き、遺体の損傷を修復しようとしていた。
俺も死んだときこんな感じで再生しているのだろうか。
「残りカスの魂で蘇生しようとしてます。なんで生きているのかもわからないくせに、まだこの世にへばりついているんです」
ドス、と死体の胸を杖で突き刺し、
「さっさとあの世に行きやがれ」
と、何度か心臓を貫くが、再生は続けられていた。
将来的に俺もそうなる可能性が高いのであんまりアタリを強くしてほしくない。
幽体のアンティールは盲目で、魂の形のみを視認していると地上で言っていたが、今の彼女を見る限り、目が見えていないとは思えなかった。ピンポイントでザスザスと遺体を刺している。現在進行形でゾンビの魂を削っているのかもしれない。
岸壁に横穴があったので、灯りを頼りに道なりに進む。天井が低く、中腰で歩くのは辛かったが、幸いなことに行き止まりにはぶち当たっていない。
「この横穴が出口に続いてればいいのにな」
穴は中で何度か折れたが、概ね一本道だ。
ゲームや迷路なら確実に出口に通じているはずだが、現実は行き止まりの方が多いので、今はただ祈りながら歩みを進めるしかない。
「そんな都合のいい展開あるわけないでしょ。底に落ちたんですよ。地上に戻るのはそんなに簡単なことじゃないんです。いままでどれだけの調査隊が帰らぬ人になったか」
「こんなとこ調べてなにがしたいんだよ」
「魔術師というのは未知なるものが許せないんです。この大穴に関しては挑戦した魔術師誰一人として帰って来ていません」
「そんなヤバイところ俺とお前だけでよく行けると思ったな」
「いま思えば奢りでしたねぇ」
雑談しながら洞窟を進んでいたら、滝の音が聞こえてきた。音源に誘われるように進むと、六畳ほどの広さを持つ地底湖についた。水は透き通っており、灯りを近付けて見ると、ピシャリと魚が跳ねた。
「助かった。ここなら何とか食い延びることが出来そうだな」
目の瞑れた魚が泳いでいた。エビもいる。全部が全部、光が欠如しているから、白かった。
「そうですね。魚釣りのスキルをヒラサカさんが持っていれば、ですけど」
「外敵に襲われたことのない無知な魚類だぞ。テキトーな罠仕掛けても採れるだろ」
「安易な考えですね。そう思うならやってみて下さいよ」
「むっ」
挑発的な物言いにムキになって俺は身構えたが、釣糸も釣り針も無いのでどうしようもなかった。背負っていたリュックをその場に降ろし、なにか使える道具はないかと漁ってみる。
糸はパラシュートの物を切ればなんとかなるとして、針がない。どうしたもんか。
リュックにはろくな物がなかったが、武器屋で買った刀がくくりつけられていた。
「つーか、これ重いから置いてこうかな」
やっぱりいまの俺では扱いきれん。荷物になるくらいなら身軽な方がましだ。
「ちょっと待ってください。ちょうど今、魔法武器の研究をしている最中でして。大穴で鉱石でも採れたら強化しようと思って持ってきたんです」
「魔法武器?」
「物体に魔力を止めて威力を上げる停滞術です」
意味が分からず首を捻っていると、アンティールはため息を混じりに呟いた。
「蒙昧には、言葉で言うよりやって見せたほうが早いんですが、あいにく道具無いのでできま……あ」
「どうした」
「ヒラサカさん、砥石持ってましたよね。アレ使いましょう」
「とぐの?」
ポケットから取り出して差し出すが、霊体の彼女は受けとることが出来ず、顎をしゃっくり上げるようにして岩の上に抜き身の刀と並べて置くように言った。
「この砥石は柘榴石を加工して出来たものです。魔法武器の作成に は媒体として宝石を使うんです。お誂えなことにガーネットは炎を宿らせることができます。まあ、見ててください」
アンティールは鼻をならし、手のひらを掲げて、なにやら呪文のようなものを呟いた。
数秒してから、刀と砥石がぼんやりと光り始めた。淡い光がぼんやりと地底湖の水面をゆらゆらと照らし始める。
やがて光は強くなり、一瞬目映いばかりに輝くと、ボッとマッチを擦るような音をたてて、再び静寂と暗闇が戻った。
「成功です。これでこの刀には炎の力が宿りました。魔法刀カーバンクルと名付けましょう」
ナチュラルに命名権が奪われてイラッとした。まあなんでもいいけど。
魔法刀カーバンクルに見たところ変化は無いが、砥石は粉々に砕けていた。宝石だとしたらちょっと勿体ないな、と思いつつ、刀の柄を握って、掲げてみる。
「さ、魔力を込めてください」
「魔力ってどうやって込めるの?」
「……いきむんです」
「むぅん!」
ちょっとオナラが出たが、アンティールは眉間にシワを寄せるだけで、気づかないフリをしてくれた。
なんとなく力を込めていたら、刀身が淡く光始めた。
「おおっ」
「ヒラサカさんの微弱な魔力でこれだけの反応なら、だいぶ戦力になってくれますよ」
アンティールは微笑むと杖の先に灯していた灯りを消した。
「あ、おい、なんで消すんだよ!」
「せっかく刀を光らせられるようになったんですから、ヒラサカさんが照明やってください」
「しょうがねぇな」
と文句言いつつ刀を光らせる。早速魔法刀を使えて、ちょっとだけ嬉しかった。