煙は底で滞留する
暗闇のなか、アンティールの声がする。
「やれやれ、ヒラサカさん、死んでしまうとは情けない。これで貴方が地上に戻る手段がなくなりましたね。私の良心からの作戦だったのに」
「アンティール……?」
寝起きで頭が回らない。唸りながら上体を起こす。目を開けているのか、閉じているのか、わからないくらい暗かった。
ぼやけた頭で「光を……」と呟くと、灯りをつけてくれた。洞窟の中みたいだ。垂れた滴が弾ける音がする。石灰岩が視界いっぱいに広がっていた。霊体の彼女は透けていたが、眉間にシワを寄せているのがわかった。
「そういうお前だって戻れなくなっただろうが」
「ふふふ、おバカさんですね。手は打ってあります。武器屋の親父に配達を依頼しておいたんです。名前さえ呼ばれれば私は戻れますからね」
「配達って、これ?」
「え?」
ポケットから砥石を取り出してアンティールに見せる。渡そうとしたが、霊体のため手に取るのとが出来ないらしい。
「え、嘘でしょ、なんで持ってるんですか」
「いや、ついでに届けてくれって」
「はあああ!?」
ばかでかいため息をついてはアンティールは項垂れた。
「どーするんですか。霊体化は発動してから七十二時間以内に他者に名前を呼ばれないと二度と肉体に戻れなくなってしまうんですよ!」
「そうなんだ。大変だね」
「他人事だと思って……」
その台詞そっくりそのままお返しするぜ。
アンティールは頭を抱えて項垂れた。
死亡確定おめでとう。ざまぁみろ。とは言えなかった。一抹の良心が痛むからだ。
どこからか水の流れる音がする。近くに川があるのかもしれない。
「ともかく出口探そうぜ」
ポケットに砥石をしまう。
「あるわけないでしょ。未開拓エリアなんですよ。この穴の底は」
不貞腐れたように半眼で睨まれる。
「それならとりあえずあの女の子のぬいぐるみでも探すか」
「お気楽すぎて驚きですよ。脳ミソお花畑ですか。まあいいです。帰りの手段を考えるは後回しにして探索しましょう」
思考を切り替えたアンティールは杖の先に灯していた灯りを大きくし、右手を俺に差し出した。
「ん」
「なに?」
「幽体化で今の私は目が見えないんですよッ!」
「ああ」
「もし今ティンベーとローチン持ってたら基本戦術でボコボコにしてるところですからね!」
仕方なしに手を繋いで歩きだす。迷子センターに子供を案内している気分だ。
照らされる巨大な穴は、ゴツゴツとした石筍なんかがあり、鍾乳洞といった感じだった。見上げてみると、上部は緩やかにカーブしているらしく青空を拝むことは出来ないがかなり高いことがわかった。
岩肌は滴る地下水かなにかで濡れており、ロッククライミングの要領で登るのも難しそうだ。
「最悪ここで過ごすにしても、闇が深い分、魔導の探究も捗るというものです。そもそもにして魔術探訪に肉体は不要だと考えていたんで、別に今回の結果がどうなろうと興味ありません」
アンティールは唇をすぼませながら、負け惜しみのように強がった。
狭い洞窟内は少しの物音も大きく響き、エコーかかって聞こえたが、アンティールの声は直接俺に届くようにしているのか、響くことはなかった。
「前から気になってたけど魔術探求ってなにすんだよ」
「愚問の極みですね。物事を発展させるには必要な学問なんですよ。わかったらはやく先に進んでください」
答えになっていない。
アンティールの手を引きながら、前に進む。感触も重みもない。彼女は幽体なので体重と呼べるものは一切ないのだ。
湿度が高くジメジメしているので、少し歩いただけで汗だくになった。
「いや、発展っていったって、具体的になにしてんだよ」
「真理の追求です」
「真理って?」
「なにゆえもがき生きるのか」
ラスボスっぽい言い回しして続けた。
「輪廻からの解放。これが真理の探求です」
「仏教思想みたいだな。そんなん求めてどうすんだよ」
「いいですか。知る権利が人間にはあるんです。その権利を放棄してのうのうと生きるなんて私には信じられません」
落下地点からだいぶ歩いたが、暗澹とした空間が広がるばかりで特に何もなかった。たまに屑鉄や動物の骨が転がっているが、ぬいぐるみは見つからない。もしかしたら途中の岩肌に引っ掛かっているのかもしれない。
ごみ捨て場というのも頷ける乱雑さだったが、食料になりそうなものは一切無かった。
「不死って餓死にも適用されるんだろうか……」
口にできそうな物がない絶望からか、思わず一人ごちていた。
「残念ながら無理ですね。不死は肉体の損傷や外傷による失血死などの突発的な死にのみ適用されます。病死や栄養失調により起こりうる死亡はその限りではありません」
ベラベラとアンティールが教えてくれた。
「ただ、まぁ、自死すれば万全な状態で復活できますから心配しないでください」
「詳しいな。スキル博士かよ」
「スキル博士じゃないです。そもそも不死は正確にはスキルなんかじゃありませんよ」
「じゃあなんなんだよ」
「呪いです」
薄ら寒いことを言い始めたアンティールは俺の反応を待たずに続けた。
「不死とは闇魔導によって産み出された魂の変質です。エネルギーも無しに腐敗を食い止めることはできませんからね。死ぬ度に自らの魂を削り肉体の磨耗を修復しているだけに過ぎません。だから不死の多くは、死にすぎると空っぽになった魂を補おうと他者を襲い始めるのです」
「え……」
「人を襲う不死を餓鬼といいます。そうなる前段階の不死を人々は恐れ、閉じ込めるか、共同体から迫害しました。例えばこの大穴は魂を使いきり、『虚ろ』になった不死人の捨て場でもあったんですよ。不死は別に強くはない、どちらかと言えば弱い能力です」
「ちょ、ちょっとまてよ。じゃあ、俺もそのうち餓鬼になるってことかよ!」
「さあ、それはわかりません。もしかしたら使いきれないくらい巨大な魂をヒラサカさんが持っているかもしれませんしね」
「そんな甘い考えあるかよ。魂の大きさなんてわかんないだろ」
「可能性は高いと思いますよ。ヒラサカさん、異世界人だし」
「関係あるのかそれ」
そりゃ初めは現代知識を使って無双しようと試みたけど、こっちの世界の文化水準はそれほど低くないし、なにより俺に無双できるだけの知識がなかった。
ペニシリンを作れるほど医学知識に精通してないし、なにかに特化した能力が備わってるわけではなかった。そうなると周りの知能指数の低さに期待したが、あいにくこっちの住人も、肉は焼けばうまいこと知ってたし、立ちっぱより座ってご飯食べる方が楽だってことを知ってた。普通に考えれば当たり前だった。
「大いに関係ありますよ。異世界人ならある程度の異質な魂をもっているものなんです」
「なんで言い切れるのそれ」
「私がそうだから」
「え? それって……」
「ここまで言ってわからないなんてとんだニブチンですね。私の固有スキルは『輪廻』。死んだら記憶を保持したまま生まれ変わるスキルです」
「えっ、まさか。じゃあ、アンティールは二年三組の誰かってってこと?」
思えばこいつはたまに日本のサブカルチャーを揶揄したような発言が多かった気がする。偶然の一致と思ってスルーしてきたけど、わざとだったのか。
「ようやくわかりましたか。相変わらずの愚蒙ですね」
「え、それじゃあ、アンティールは誰なの?」
「誰でもいいでしょ、死ぬ前のことなんて。それはそうとあなたに宿ったクラスメートのスキル、なかなか面白いですよ」
半笑いで彼女は続けた。
「両利きの里中さん、視力がめっちゃよかった間宮さん、寝起きが悪くてあだ名がゾンビだった平坂さん」
「なんだよ……」
「つまり、スキルとは本人に宿っている適正なんです。たとえばあなたがひたすらに目指している『帰還』のスキルは帰宅部の新海くんのものです」
「新海くん、めっちゃいいやつだったなぁ……」
なんかみんなの話してたら懐かしくて泣けてきた。
死んでしまったクラスメートの顔が浮かんだ。そのうちの一人がアンティールというのは信じられない話だが。
「なに感傷的な気分になってるんですか」
アンティールが茶化すように俺の頭をポンと撫でた。
「新しい仲間ならいるじゃないですか」
「アンティール……」
「ほら、来ましたよ。仲間」
「え?」
唸り声がして、壁に開いた横穴から青白い肌のガリガリのゾンビが現れた。