命を弄ぶ歌に
ナクヌは物珍しそうにアンティークを眺めている。
薬品の臭いが立ち込める部屋で男はにやけ、顎をなでながら続けた。
「おや、懐かしい顔だな……」
「黙れ!」
普段のアンティールからは考えられないほど怒りに満ちた表情をしていた。
「答えろ! カリンはどこにいる!?」
それほどまでに友達が心配なのだろう。ナクヌは笑いながら、肩をすくめた。
「カノジョなら殺されたよ」
アンティールの表情が崩れた。
「な」
「胸が痛む」
「ば、バカなことを言わないでください、そんな……あなたが殺したんですか?」
「そんなことするわけがないだろ。彼さ」
と顎をしゃくり、オレを示す。
え?
「ヒラサカさん?」
いやいやいや、とブンブンと首を横に振る。
アンティールの瞳は一瞬だけ疑いで揺らいだものの、すぐに元の力強いものに戻った。
「冗談は通じませんよ」
「私は事実を述べたまでだ。彼はたしかにカリンを殺したと言っていた。彼女はとても優秀な学徒だった。ところで、思い出した、キミはたしかアンティール・ルカティエールだ。懐かしいな。何しに戻ってきたんだい? 死者の魂を弄ぶ黒魔導は、ここでは禁忌だよ」
場が混沌としているが、引っ掛かりを覚えたのは一点だ。
カリンを殺したのは俺だと、この男は主張している。
いや、ここで俺はなにも殺害していない。虫一匹でさえ。だが、
「まさか、あの、ナメクジ……」
ゾッとした。いや、まさか、そんな、と思い直すが、ナクヌの発言を思い返すとどうしてもその答えにたどり着いてしまう。
「あ……」
アンティールも気がついたらしい。
顔が一気に青ざめていく。
「そんな、ばかなことがあるかよ!」
俺は思わず叫んでいた。あっていいはずがない。
アレを殺したのは、俺じゃない。俺では……。
ナクヌはニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべている。
「貴様ぁっ!!」
アンティールが激昂すると同時に、手の平が光った。彼女が最も得意とする火炎魔法だ。この距離で放つなんていかれている、と慌てて物陰に隠れようとしたが、白い光が瞬いただけでなにも起こらなかった。
「これは……?」
アンティールが戸惑いを隠さず、キョロキョロと周囲を見渡す。
「この部屋にエレメントは存在しない。故に魔法を使うことはできない。当たり前だろ。繊細な実験を多く扱うんだ。そんなことも知らなかったのかい?」
せせら笑いを浮かべ、ナクヌは右手を静かに挙げた。
「なにを……」
それが合図だったのだろう。
天井からボタボタと何かが落ちてきた。張り付いていたらしい。
「ひぃい」
俺は思わず悲鳴をあげて飛び退いた。
落ちてきたのはぶよぶよとした物体。
カリンの部屋で見た赤黒い巨大なナメクジだったからだ。
「な」
アンティールが震えながら懐から杖を構えた。いつもなら白刃が鎌の刃のように延びるところだが、とくに魔法付与はされていない。
「……っ」
アンティールは見てわかるくらいに戸惑っていた。眉間にしわ寄せ、唇が震えている。
「級友との再会が喜ばしいのかね」
否定したかった事実が告げられた。
この、目の前の生物は、元生徒だというのか。
アンティールが大きく飛び上がって、杖の尖端をナクヌに突きつけようと踏み込んだ時だった。
ナクヌの前に落ちたナメクジの一匹が細長い触手を出して杖をからめとった。
「くっ」
アンティールは踏ん張って抵抗したが、杖を奪われてしまった。らしくない、いつものアンティールなら触手を引きちぎってでも杖を守っただろう。悲しげな瞳のまま、それでもアンティールは拳を固く握って、ナクヌに近づいたが、
「危ない!」
俺の叫びが届く前に彼女はナメクジが吹き付けた紫色の煙に包まれた。
「おい! しっかりしろ!」
意識を失い、床に倒れたアンティールを庇い、引きずってナクヌとの距離を取る。
「くっくっくっく」
心底おかしそうに男は笑っていた。
「くそ、おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
目を閉じたまま動かないアンティールから返事は一切なかった。
「安心したまえ。深く眠っているだけだ」
「お前、なにがしたいんだ?」
「なに、とは?」
きょとんと男は眉をひそめた。
「さきほど説明したじゃないが。生物進化だよ。生物は肉体を、あるいは頭脳を変化させ、環境に適応してきたんだ。私の目的はただ一つ、人類の段階を次に進めること。王のように」
「いかれてる」
震えは止まらない。
「人間をナメクジに変えることがお前の目的かよ」
「ナメクジ!? キミには彼らがそのように見えるのか!? やれやれ、がっかりしたよ。たしかに見た目は軟体生物のように見えるかもしれない。だけど、キミ、あらゆる生物の共通祖先は単細胞有機体だよ」
「さっきから、わけのわからないことをべらべらと」
腰の刀を鞘から引き抜き身構える、魔法なんて関係ない。ここでは単純に武力が支配者だ。エレメントが無かろうと関係ない。俺には武器が、スキルがある。
「これ以上がっかりさせないでくれ、キミ。単純な話だ。彼らはただの幼年体、サナギから蝶になるためには細胞レベルで体を作り替える必要があるんだ。まあ、もっとも、悲しいかな、彼らは君の言うとおりナメクジにも劣る失敗作だが」
「ふざけたこと、ぬかしてんじゃあねぇよ!」
グッと踏み込んだ瞬間、上からの圧力で地面に叩き伏せられた。
「なっ」
ぶよぶよ。
油断した。ナメクジはまだ天井に残っていたらしい。俺の頭の上で襲いかかるチャンスを待っていたのだ。
「あっはははは!」
ナクヌは愉快そうに哄笑した。間抜けの極みみたいな状況に反論は浮かばなかった。
「これは失礼した。キミのその浅慮さを見ると、彼らと同類のようだ。まったく私の仮説が否定するのはやめてくれ」
「仮説……」
とはいえ、まだチャンスがない訳じゃない。俺の手には剣が握られている。このまま、余裕ぶっこいて近づいてきたナクヌを叩き伏せるのに、必要なものはアイツの油断だけだった。
「彼らはね。進化のために与えられた膨大な情報を受け止めるために、全身を『脳』に変質させたんだ。それがうまくいかなかっただけの話」
俺に覆い被さるナメクジをいとおしそうに一撫でする。あと一歩、こっちに近付きさえ、すれば。
「情報をきちんと受容できるには鍛えられた脳を持つ必要がある。これが私の仮説だ。数多の失敗作を経てたどり着いた結論でもある。つまり、他の世界を経験した『鍛えられた脳』であれば、人類の次の段階に至れるはずなんだ」
「お前なにを……」
「異世界人、そう、キミであれば、きっと耐えられるはずだ。なぜなら我々が目指す高次的存在の古の異形の神は異世界との狭間に住まうというからね」
絵の中で見た、忘れたくても忘れられない存在感。
思えば、俺にのし掛かっているソレは小型化したアレのようにも思えた。
「がんばってくれ、そして私たちを導いてくれ」
にたりと男が歯を見せて、笑った瞬間、紫色の煙が俺を包み込み、視界が暗転するよりさきに俺は意識を失った。




