幸福の娘
白髪の少女は撫でるように髪をとかし、覚めた顔つきでうつむいた。睫毛も肌も、光を反射しそうなぐらい美しい白色をしていた。
「心霊の紋章は持ち主の意思を機敏に読み取り、負の感情を『呪い』という形に変換し対象にぶつける、らしい」
「えっとどういう意味?」
「略式的に言えば、恨みを念動力に変換し、対象に『罰』を与えるべく発動。どれだけ相手を恨んでいるかによって、念動力は威力を上昇させる」
「な、なんて」
「げに恐ろしき紋章よ」
そうだ、俺は忘れていた。堂本の絵の世界で、古の異形の神を殺したのは『心霊の紋章』だった。
神すらも殺せる力なのだ。
「よって心霊の紋章の持ち主は波風のない静かな湖畔のような心を持たなくてはならない。なれど、人間は生きている限り何かしらの感情を抱くものだ」
「だからって……」
「七年前の世界樹遠征で第三世界の妖精との取引で『心霊の紋章』を手に入れた教団は、協議の上、古の法を使い、私を作り上げたのだ」
アンティールが愛教を毛嫌いする理由が少しわかった気がした。あいつは、このことを知っていたのだろうか。
「ちょっとまてよ、仮にホムンクルスといえど、いまはちゃんと生きてるんだろ」
「貴公の言うとおりだ。なれど、私の心は空っぽなのだよ」
胸に手を当て、無表情で続けた。
「感情はない。全てが演技。贈り物を貰ったときは嬉しそうな表情を、傷つけられたときは悲しそうな表情を、時と場合と状況に合わせて。仮面をつけ変えているだけにすぎない」
「嘘つくなよ。たった今、身代わりになったアンティールを思って、悲しんでくれたじゃないか」
「心ではなにも思っておらぬ。『聖女』ならば、然るべき反応をするであろうと憶測のうえ、演じておるのだ」
哲学的な問題のようだ。精巧にできたアンドロイドに心は宿るのか。少なくとも今現在、目の前にいる少女は宿らない、と主張している。
「この話をしたのは、必要だと思ったからだ」
彼女は顔をあげて、俺をジッと見つめた。長いまつげをしていた。
「女史はワタクシに『前世』を授けた」
「前世?」
ジェヴォーダンから引き剥がしたとき、アンティールはアメントの額に触れていた。なんでだろう、と思ったが、そうか、輪廻の紋章で、アメントの前世を思い出させていたのだろう。
感情の揺らぎさえあれば、『心霊の紋章』で遠隔からジェヴォーダンを討つことができると、考えたのだろう。
「しかしながら、ホムンクルスに前世などはない。女史は教団の秘匿を知らず、私の感情を呼び起こし、逆転を臨んでいたのだろう」
アメントは無表情にひとりごちた。
「残念だ」
無表情。
「だが、もはやこれに賭けるしかない。できるだけ、やれるだけ、奴を恨むことにしようぞ」
一見感情は込められていないように見えたが、なんとなく嘘臭かった。
取り繕ったような無表情だ。
「残念だと思うのか? アンティールの作戦が失敗したことを」
「左様。うまくいけば全員無事に帰還することがかなったのだ」
アメントは俺の突っ込みに小さく首をかしげた。いまさら、なにを聞くのだろう、といった顔だ。
「それ、感情じゃないの? 哀れみとか憐憫とかいう。喜怒哀楽でいう哀だろ」
しばし無言になってからアメントは続けた。
「……先刻のとおり、私には感情というものは一切ない。これは人間ならそのように反応をするだろうという憶測の上でつけた仮面である」
ふん、と鼻息荒く言われる。若干眉間にシワがよっていた。
「だとしたら、随分と薄っぺらい仮面だな。いまなんかちょっとイラってしてない?」
見てわかるぐらいに不機嫌だ。
「しておらぬ。失礼にもほどがあるぞ」
「してんじゃん」
「……む?」
「感情あるじゃん」
「……」
彼女は下唇を静かに噛んだ。
「怒ってる、よな? 思ったより、喜怒哀楽激しいな」
「ない、って、言うておろう。貴公、しつこいぞ」
「めっちゃイライラしてるじゃん」
「だぁかぁらぁ、演技だと言って!」
アメントが苛立たげに怒鳴った瞬間、額の紋章が光を放ち、
「え?」
俺の視界は上下が逆さまになった。
ぐりん、と一回転。バキバキと骨にヒビが入る音が鼓膜を揺らした。
「ぐっ」
首が捻れとんだらしい。
暗転する意識。
吹き出る血潮。飛沫。熱。霧散。
復活。意識を取り戻す。
「あ……、はぁ」
項垂れて首筋に手を当てる。一瞬だったから痛みを感じる暇がなかったのが幸いだ。アメントにかけられた無痛の魔法はとっくに切れている。
「なんて、こと……」
ベットに腰かけたアメントは震えていた。見てわかるぐらいに恐怖している。
「まさか、そんな」
俺は、どうやら、殺されたらしい。
名探偵が居なくても、犯人はアメント・モルガナだとはっきりわかる。俺の返り血を浴びて、彼女は朱色に染まっていた。
「す、すまない。まさか、……殺してしまうとは!」
死因はおそらく『心霊の紋章』だ。
少しばかり、アメントをからかいすぎたらしい。彼女のささやかな怒りに反応した紋章が対象の俺を殺害したのだ。
「いや、いいよ……俺もちょっと煽りすぎた」
首をさすりながら、答える。やっぱり首が飛ばされていい感じはしない。
恐ろしい能力だ。俺が『不死』でなければ、死んでいた。
「すまない。無事であるか?」
アメントが心配そうに俺の手を取った。
「それよりさ。いま心霊の紋章が発動したってことは、アンティールの輪廻の力で前世を思い出したってことか?」
「ない。ホムンクルスに前世なんてものは存在せん」
「感情は芽生えた?」
「それに関しては……否定しようがない。輪廻の紋章がなにが呼び覚まされたかは謎であるが」
「魂じゃないの?」
「ホムンクルスに魂など宿らん」
といいつつ、少女はどこか嬉しいそうだった。隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「なんにせよ、あんまり心を荒立たせるなよ。その力相当危険みたいだし」
現に人を一人、たった今殺している。
「造作もなきこと。他人についてとやかく思わなければいいだけの話よ」
本当に大丈夫だろうか。心霊の紋章は拳銃のようなものだ。使い方をしらないと、無造作に人を殺してしまう。
「二十四のなかでも一、二を争う恐ろしい紋章。使うのは今回限りと約束しよう」
勝算ができた。ひとまずは、それを喜ぼう。




