僕と逃げよう
アンティールのお陰で無事に広場を抜けることができた。 ひとまず、このまま隔離城下街を抜けて、愛教の兵士にアメントを引き渡そう。
夜の闇を走り抜ける。
それから、俺は……、
「アンティール……」
彼女を助け出さなくては。
「待ちなさい」
路地を走り抜けたところで、アメントが小さく口を開いた。
「アンティール女史は置いてけぼり?」
「あなたの保護が最優先です。アンティールなら、あの状況でもなんとかしますから、安心してください」
周囲を見渡すが動くものの気配は無かった。
獣はアンティールが引き受けたのだ。逃げ出すには格好のチャンスだ。
膝をつき、アメントの手枷を切ってやる。縄がぶつりと音をたてて、地面に転がった。麻の匂いが鼻孔を擽る。
「進みましょう」
アメントに華奢な肩をそっと叩くが、彼女は足を動かさなかった。
「あいつのことが心配なのはわかりますけど、いまは信じて先に進むしかありません」
「一人ではきっと心細かろう。誰かの犠牲の上で助けられるのだとしたら、死して朽ちる方がましよ」
「アンティールなら大丈夫ですって。ああ見えて図太いやつですから」
大丈夫のはずだ。下手に俺が助けに動けばあいつの犠牲が無駄になる。それだけは避けなくてはならない。
「……貴公が言うのであれば……。ここを抜けられたら、全力で尽力しよう」
潤んだ瞳でジッと見つめられる。
幼いながらもたくさんの信者に指示されるのがわかる整った容姿をしていた。
アメントのためなら命を惜しまないやつらがごまんといるのだ。
それならきっとアンティールを救うこともできるはず。
「さ、行きましょう」
手を繋ぎ、前を向く。アメントの手のひらは幼子のそれのように温かだった。
一歩前に進んだとき、
「きょええぇい!」
壁に突っ込んだ荷馬車の屋根に魔物が降り立った。
カラス型の獣だ。
全身が真っ黒で、暗闇に垂らした黒の絵の具のように目立たない。夜目が効かなければ、気づくこともなかっただろう。
「ひっ」
こいつがきっとアメントを連れ去った魔物だ。
俺は腰に提げた鞘から刀を引き抜き、
「りゃぁ!」
そのままの勢いで、カラスを切りつけた。
ゴロゴロと転がり、地面に首が転がる。カラスの頭はいつの間にか人間のものに変わっていた。地面に倒れた肉体の方もそうだ。
そうだった。人間の遺体を動物に変えていたのだった。
罪悪感に押し潰されそうになる俺の横でアメントが小さく手を合わせた。血が噴水のようにあがり、肉体が崩れ落ちる。
こんなところで立ち止まっている時間はない。
獣の方が足が早いし、飛べるやつらもいるのだ。先に進まなければ。
「ギィギィ」
上から鳴き声がした。空を見上げると何匹もの鳥型の魔物が、城下町の出口に向かって飛んでいくところだった。
このまま真っ直ぐ行っても出口は封鎖されてしまうだろう。
「いや、まて」
焦って走り回って袋小路に突き当たったらおしまいだ。冷静になって考えてみれば、『帰還』のスキルを使えばいいだけ。
ただ、スキル発動には若干時間がかかる。うまい具合に隠れられる場所があれば、と周囲を見渡す。
先程の休憩をとった民家があった。
運がいい。
ひとまずはそこで隠れてスキルを発動させよう。
ドアは蹴破られているので、籠城戦には向かないが、かくれんぼにはもってこいの環境だ。とりあえず机とタンスを移動させ、出入り口を塞ぐ。簡単なバリケードだが、無いよりはましだろう。室内に吹き込む隙間風は冷たいが、締め切られた二階に寒風は届いていない。
アメントをベッドに座らせる。
「無礼者。いかな状況であろうと礼儀を欠くでない」
警戒心に頬を紅潮させながら、アメントが俺を睨み付けた。
「俺は帰還のスキルを会得してるんです。いまからそれで街の外で待機している護衛団のところにワープします」
「ワープ?」
「あ。そっか、えーと、ともかく目をつぶってください」
帰還スキルで他者をつれ回す場合、対象の意識と同調する必要があった。どちらかが過度の興奮状態だったりするとうまくいかない。
「……よかろう。そこまで言うのであれば、この身、貴公に預けよう」
俺たちは手のひらを合わせ、指を絡ませた。スキル発動準備を進める。
帰還スキル発動において一番重要なのは移動先のイメージを明確にすることだ。
岩と城門、萎びた植物……だんだんとイメージが固まってきた。
そのときだ。
カンカンカン、と拍子木を打つような音が続けて三回、廃墟の街に響いた。沈みかけた意識が急浮上する。
「心霊の紋章の持ち主ぃいいいい、にぃぃぃぃい、告ぐぅううう!」
あのやけに間延びした語調。間違いないジェヴォーダンだ。
アメントが眉間に皺寄せて目を開けた。だめだ、こんな状況でスキル発動などできるわけがない。
舌打ちを口内で抑え、音をたてないように立ち上がる。
「貴様のぉおおお、不埒な振る舞いによりぃいい、不届き者のぉおお輪廻の紋章の持ち主の命はぁあああ、死ぬぅううう」
窓辺により、そっと外の様子を伺い見てみる。
数匹の獣がウロウロしているばかりで、ジェヴォーダンの姿は見えなかった。
「貴様にぃぃぃぃ、良心というものがあるのならぁぁぁあ、夜明けまでにぃ、城門前広場に来いぃぃぃ! 貴様が来ればぁあああ、輪廻の紋章の持ち主の命は助けてやるぅう」
怒号が街に響き渡る。
アメントは体をくの字に折って、息を大きく吐いた。
「夜明けまで……」
「繰り返すうううう」
続けて三度、同じアナウンスが行われ、やがてシンと室内は静けさに包まれた。
静かにジッとうつ向いていたアメントはやがて、顔をあげると、
「行くしかあるまい」
と宣言するように言った。
「なにを……っ」
アメントの発言に頭に血が上った。全部を無駄にするつもりか、この女。小さく息をついて、なんとか言葉を吐き出す。
「落ち着いてください。心を鎮めないと『帰還』は発動できない……」
「至って冷静よ。感情の揺らぎなど皆無」
「俺たちはあんたを助けるためにわざわざここに来たんだぞ。人質交換なんてなんの意味もないじゃないか」
あのアンティールが献身的に身を乗り出したのだ。それほどまでにアメントは重要な人物と言えるのだろう。
「それにあの男が約束を守るとは思えない。結局のところあいつは失われた『紋章』がほしいだけなんだ」
「それでも、救える民を見殺しにすることはできない」
「なんで……たいして知り合いでもないんだろ」
「善行こそが人の生きる道。助けられたら誰かを助ける、世の中を良い方に循環させるに必要なこと」
愛教の教義だろうか。聖女の言葉は借り物ので酷く薄っぺらに感じた。
「いい加減にしてくれ……」
どんな言葉を用いても、彼女を止めることはできそうになかった。めんどくさい。頭を抱えて項垂れる。
「なんで、そこまでして……今動いたってアンティールは助けられないだろ」
「そうでもない。私が、いや正確にはアンティール女史の想定ならば……一つだけ、方法がある。外の道なのは間違いなく、成功確率は限りなく低いけれど」
「え?」
少女は悲しげに呟くと、おでこの髪をかきあげ、額の入れ墨を俺にさらした。
「心霊の紋章」
三角形のシンプルな入れ墨だった。
もしかして、幽霊が額につけている三角形の白い布のイメージなのだろうか。
「これを使えば、いかな魂の持ち主であろうと念じるだけで、葬送することができるという」
「あ」
そうだ。
絵の中で、アンティールが言っていた。恨むことで能力を発揮し、他者を死に至らしめると。
とてつもないチート能力だ。
「なれど」
うつむいて、小さく彼女は続けた。
「私は、真に使いこなすことができていない。女史の望んだ計略の通りに進めることはできないのだよ」
「え、なんで」
なんの冗談だろう。彼女ほどうまくそれを使いこなしている紋章持ちはいない。
ドゥメールでは彼女は紋章の力を奇跡と称し、怪我人を一瞬で回復させている。
アンティール曰く、心霊の紋章は他者の霊体を粘土のように操作することができるのだそうだ。霊体をこね、怪我を治しているのだろう。霊体は肉体に少なからず影響を及ぼすからである。
言うは易し行うは難し。紋章の能力は良くも悪くも大雑把であり、緻密なコントロールを涼しい顔で行うアメントは天才だ、とアンティールですら認めていたのだ。
「私にはおよそ感情というものを備わっていないからな」
「は?」
中二病か?
だとしても、それがなんの関係があるのだろう。
「心霊の紋章は持ち主の感情に射程距離が反映されると伝承にある」
「遠くの敵は殺れないってこと? いや、それより感情無いって……そんなことあるのか?」
「貴公はホムンクルスというものを存知あげているだろうか」
聞いたことはあった。といっても、こちらの世界ではなく、日本で呼んだ漫画とかゲームでの知識だ。
錬金術で作られた人造人間のことを、そう呼ぶんじゃなかったっけ。
アメントは目を閉じた。
「ワタクシは紋章を宿すべく作られた人間」
突然のカミングアウトに、訳がわからなくなった。この女の子は果たして何を言っているのだろう。
静かな夜だけが更けていく。




