透明な雲が夜空に浮かぶ
言ってる意味がわからなかった。
絵に描き出したという意味だろうかと尋ねようとしたら、俺の言葉を遮るように彼女は続けた。
「家で色々あって、もう全部いやになったから、異世界に行く方法って図書室で調べてみたの」
自嘲ぎみに微笑んで彼女は床に落ちていたプリントを拾い上げた。
「もちろん本気じゃなかった。ちょっとしたおまじない程度の気持ちだったの」
プリントの裏面をひっくり返す。そこには赤いマジックペンで不思議な紋様が描かれていた。
アンティールが描いたものによく似ていた。ペイズリー柄だ。
「効果なんてなかった。当たり前だよね。こんなのただのイタズラ。そのはずだったのに」
彼女は俺を真っ直ぐにみた。
「そのはずだったのに。バスは転覆し、みんなを私のエゴに巻き込んでしまった」
「……」
「私がいたからみんなが死んだの」
ボロボロと彼女の瞳には涙が溢れていた。
隣の部屋からズルズルとなにかが這うような音がして、限界が近いことを悟った。
「みんなに合わせる顔がない。だからこの世界は私にとって都合がいいの」
彼女も気付いているはずだ。
みんな死んでしまったことに。
「私のことは放っておいて。自己満足だってわかっていても、これが私にとっての贖罪だから」
彼女はそういって両手を広げて窓の方をむいた。風もないのにカーテンが揺れ、飛び散る窓ガラスとともに触手が室内に入ってきた。
白いカーテンが浮き上がり、異形が真っ直ぐ少女に伸びる。
彼女は一撃をその身に受けるつもりなのだろう。そしてまた繰り返すつもりだ。延々と停滞した同じ世界を。
駆け出した俺は彼女の頭をつかんで、引き倒した。椅子が転がる音がする。
考えるよりも先に体が動いていた。
一年二組のみんなは巻き込まれた存在だったとか、堂本桜に対する恨み節とか、そういうのは一切頭をよぎらなかった。俺は迅速に自らがすべきことをしたのだ。
「なんで……」
俺の身体に巻き付いた触手は楽しむように俺の肢体を締め上げていく。
「な、にが、贖罪だよ」
声が出しづらい。
身代わりになった俺を床に倒れたまま見上げる堂本は唖然とした表情をしていた。
「自分が都合のいいように引きこもってるだけ、じゃんか。……過去ばっかみてないで」
とてつもない締め付けに、骨が砕ける音がした。鎮痛の魔法がかけられているので、直接的な痛みはないが、苦しさはある。俺は血を吐いていた。
「ヒラサカくん!」
だらしなくダラダラと喀血しながら、伝える。
「前を向けよ」
「その前に死んじゃうよ!」
立ち上がった堂本が触手を緩めようと必死に俺にすがり付いているが、女子高生の非力な力じゃ、締め付ける具合に変化はなかった。
足が浮く。俺を持ち上げた触手は窓の外に連れ去ろうと動き始めた。それを必死で止めようと堂本が掴んでいる。
「誰にも迷惑かけないって、ちかったのに!」
あまりにも必死な形相な彼女には悪いが、何処か冷静に俺は現状を理解していた。
あ、これ、だめだ。
と何度目かの死を悟る。内蔵をだいぶやられた。骨が軋む音がする。体が引きちぎられるような、そんな、かんじ……。
スパン、と風を切る音がして、俺の両足は再び地面についた。だけど、立っていることは出来ず、床に倒れてしまった。
「うっぐ、は」
土器色のカッターナイフが見えた。それを握る白くて細い腕も。
アンティールだ。よかった、無事だったのか。
美術室で絶体絶命な状況を切り抜けたらしい。彼女は俺の身体にまとわりついた触手を切り刻んでいく。
「港……」
堂本が所在なげにアンティールの前世の姿を見つめている。
明るくはつらつなクラスのムードメーカー。港貴梨花。
床に転がる触手の残骸が、やがて蒸発するように煙になって消え失せた。
「久しぶり、ですね。積もる話はまたあとです」
俺の全身にまとわりついていた触手を全て引き剥がしたアンティールは悲しそうな目で俺を見つめた。
「あん、てぃー……」
全身の骨が砕け、内蔵を傷つけている。医者でもないのに自分の体がどういう理由で苦しんでいるか、最近はなんとなくわかるようになってきた。
「これは、もうダメですね」
「……」
冷静で非情な言葉アンティールは紡ぎ、
「介錯つかまつります」
とカッターナイフを俺の喉に突き立てた。




