見慣れた足跡
称賛の声が響く。
「おまえ、すげぇよ!」
「かっこいい!」
「なんだよ、あの動き!」
口々に俺を称える言葉が投げ掛けられる。悪い気はしない。
「いやぁ」
異世界での日々が報われた気がした。
中野さんの目なんかもうほんとハートマークで俺に恋してるみたいな感じだった。
「やはり天才か!」
「是非うちの部活に来てくれ」
「それほどの力があってなぜ隠すんだ!」
なんだろう、これ、すごく、きもちいい……。生まれてから一度も賛辞を受けてこなかった俺には刺激が強すぎる、
「いや、まあ」なんて照れながら頭を掻いていたら、
ぱぁあん。と
膨らませたビニール袋を叩き割ったみたいな破裂音が響き渡って、クラスメート全員の頭が弾け、
俺の全身は血塗れになった。
「な、え?」
生温かくどろどろとした血液が俺を濡らしている。雨のように降り注いだ血にひたすら混乱していた。
バタバタと首をなくしたたくさんの死体が床に倒れていく。
「なんでぇ……」
俺はたしかに牛頭を倒した。それなのに、クラスメートは全員、死んだ。
一瞬だけ、見えた。みんなの頭が風船のように膨らんで、弾け飛んだのだ。
ボーリングのピンよりも簡単に倒れていったのは、さっきまで生きて動いていた俺のクラスメートたちだった。
「うぅえ」
喉から胃酸が込み上げる。
口許を押さえながら廊下に出る。
「っう」
純度百パーセントのトラウマの再現で、今の気分は最悪だ。教室を飛び出た瞬間、血塗れだった俺はすっかり元の格好に戻っていた。乾いたシャツに、血のあとはない。そのはずなのに、ぬめぬめとした気持ち悪い感覚だけが残っている。
幻覚。
恐る恐る振り返ると、何事もなかったみたいに清潔な空間が広がっていた。
乱雑に倒れた机も、クラスメートの死体も、血溜まりも……幻だったかのように、消え失せていた。
全部夢だったのだろう。
いや、ここが堂本の世界だとしたら、あいつの記憶によって構築されたものなのだろう。
俺が初めて死んで、不死の紋章で復活するまでの間で、バスの中のクラスメートは全員殺された。そう、全員。
だから、いまさら絵の中でモンスターを返り討ちにしようと結果は変わらない、ということだろうか。
画家のマガルトの言葉を思い出す。
堂本を救うためには、報われるべき結果を示さなければならない。
そのためには何をしたらいい。
廊下の窓枠に掴まって、上体を起こす。
「なんでもいい。ともかく、会わないと……」
何を話すかは未定だが、ともかくこんな世界で一人きりは寂しすぎる。
美術室に向かったアンティールと合流しよう。
萎えかけた気持ちを奮い立たせて、一歩踏み出した時だった。
爆発音がした。
「なっ!」
窓の外からだ。ビリビリとガラスが振動している。
慌てて、外を確認すると、中庭の方から煙が上がっていた。爆発は積もった雪を巻き上げ、一帯を白に染めている、
「なんだ、あれ」
雪煙から逃げ出すように現れた小さな人影はアンティールだった。それを追いかけるように巨大なナニかがゆっくりと現れた。
「……触手……?」
いや、何て言えばいいのかわからないがともかくタコっぽい生物の触手だ。
それがアンティールに襲いかかっている。
なんだろう、あれ。
助けてあげたいが、ここからじゃどうしようもない。窓を開けて、「大丈夫かっ!」と声をかけてあげるのが限界だった。
「大丈夫じゃないです! なんですか、あれっ!」
あいつが知らないものを俺が知っているわけがなかった。
「窓そのまま開けっぱにしておいてください!」
「あっ、おい! 後ろ!」
彼女の背中に黒っぽい吸盤がびっしりとついた触手が伸びていた。
「あぶなっ……!」
「跳躍!」
「え?」
間一髪の大ジャンプ。豆粒ほどだった彼女はスカートを翻し、一瞬で目の前に来ていた。中庭から俺のいる位置まで飛んできたのだ。
「ふぐっ!」
ヘッドバットを食らった。とんでもないジャンプ力だ。ここ三階なのに。もはやなんでもありだ。
仰向けに倒れた俺を無視して、窓から身を乗り出すと「へっ、ばーかばーか! くやしかったらここまで来いー!」と中庭の触手を煽った。
「おい、なんなんだよ、あれぇ」
ひとしきり罵詈雑言を軟体生物に浴びせて満足したのか、アンティールは振り返りながら、「さあ」と肩をすくめた。
「私たちが異世界転移した時に襲撃してきたモンスターでしょうか。私は早い段階で死んだので直接会ってませんが、堂本桜はアレの襲撃がよっぽど印象的だったのか繊細に記憶しているようです」
「あんなでかいのが出たのか?」
「知りませんよ。死んでたんだから」
彼女が続きの言葉を吐く前に、ヌッと伸びた触手が窓ガラスを叩き割った。
「ぬぅわ!」
ガシャンと音をたてて、三階の校舎の窓を破壊していく。飛び散るガラスの破片が雪の結晶に混じりキラキラと輝いている。子どもが軒先のつららを楽しそうに折っていくように、触手は廊下の窓をなぞって破壊していった。
俺とアンティールはその場で伏せることでなんとかそれをかわしたが、
「普通に考えれば簡単にわかる。こんなでけぇヤツには勝てねぇってことぐらい……」と頭を抱えて、踞る港は珍しく絶望しているみたいだった。
「らしくねぇじゃねぇか」
破壊された蛍光灯が廊下に落ちて、かんしゃく玉のように弾けていた。
「いつもみたいにぱぱっと魔法で解決してくれよ」
「それが出来れば苦労しませんよ」
金髪の女子高生は不服そうに唇を尖らせ続けた。
「どうやら外部に魔術を干渉させることができないみたいなんです」
「魔法使えないってこと?」
「端的に言えばその通りです。ふしぎな力で打ち消されるんですよ。おそらくここが絵の中で、通常の世界とは異なる空気が流れているからだと思われます」
「ん? でもさっき使ってたじゃん。肉体強化的なやつ」
じゃないと助走も無しに三階までジャンプできないだろう。オリンピック選手でも不可能だ。
彼女は無言で右の手のひらを上にして水平に掲げた。ボッと一瞬だけ火花が散った。いつものように玉のような形になることはなかった。
「肉体強化など体内で発動させる魔法は使用できるんですが、外部に干渉させる魔法が使えないんです。火の玉を出したり雷を落としたり、そういう外部発生的な魔術は一切使用できません」
「それなら超絶マッチョになって、このタコ引きちぎってきてよ」
「私ヌメヌメしたの苦手なんです」
少しつり目がちな目で俺を見つめる。
「だから代わりにお願いします」
「スライム元気に倒してたじゃないか」
「近づかないで焼き払うのは好きなんですけどね。触りたくないんですよ。気色悪い」
割られた蛍光灯が粉のように降り注ぐ。ガシャンと音をたてて、触手が戻っていった。半壊した廊下に外気が流れ込む。灰のような雪がゆっくりと積もっていった。
「ふぅ」
お互いに視線を合わせてため息をつく。
どうやら諦めてくれたらしい。
「それで、堂本には会えたのか?」
「いえ。だけど美術室にいるのは確認できました。ドアを開けようとしたらあのタコに襲われたんです」
アンティールは立ち上がり、雪煙の中に戻っていく触手を憎々しげに睨み付けた。
俺も全身のホコリをはたきながら立ち上がる。
「まずはタコの排除が先決ですね」
「なにか弱点とかないのかな」
ここは絵の中の世界で、あのタコは過去の記録でしかない。堂本桜の負の感情をマガルトによって描き出されただけで、つまるところただの顔料のはずである。
現実でもっと強大な敵を相手にしてきた髑髏の一団であれば、恐れることもないはずなのだ。
だがしかし、実際問題として堂本の元にいくための障害としてタコは存在している。どうすればいいのだろうか。




