教室ではお静かに
「それでどうすんだよ」
「桜の魂に会いに行きます。この世界のどこかに彼女はいるはずですから」
雪が薄く積もっている。酷くわびしい光景だった。冬の学校は嫌いだ。なんでもないのに悲しい気持ちになる。昔はそうだったのに、いまはなんともないのは環境が激変したからだろうか。いや、この雪が綿ボコリのような偽物だからかもしれない。
初代校長の胸像に見守られながら、歩みを進める。
ガラス扉を押し開け、校舎に入る。屋内も屋外も空気に変化はない。肩に積もった雪をはらう。地面に落ちた瞬間はじめからなにもなかったみたいに雪は消滅した。アンティールは柱にかけられていた校内の見取り図を指差した。
「私たちが今いるのはここ」
玄関を指差す。
「ヒラサカさんは堂本桜はどこにいると思いますか?」
「教室か、あとは……美術室」
「そうですね。私もそう思います」
堂本桜は美術部だった。
「二手に別れましょう」
たしかに美術室と教室は距離が離れている。
改めて校内の見取り図を確認する。我が物顔で学校を闊歩したのは、ずいぶんと昔のことなので地図を見ないと場所が把握できない。
美術室は部室棟の地下。一年二組の教室は今いる棟の三階の端だ。
「ちょっと待てよ」
二手に別れた方が効率的なのは間違いないが、絵の中という予想できない世界でバラけるのは危険に思えた。
「不測な事態が起こるかもしれないし、一緒に行動した方が」俺が反対の声をあげようとしたとき、アンティールは無言で壁にかけられた時計を指差した。
「え?」
時計には文字盤の他にデジタルディスプレイが備わっており、日付が表示されていた。それによると今は十二月十二日。なんでもない日常の一ページだが、ふと思い出した。修学旅行の前日、雪が降った。それが何日だったから覚えていないが、空模様は限りなく「あの日」に近い。
そしてなにより奇妙なのが、時計の針の動きが異様に早いのだ。ぐるぐると長針が狂ったようにまわり、短針もそれにともなって通常では考えられない速度で時を刻んでいる。
「嫌な予感がします」
「……俺もだ」
「急ぎましょう。私は美術室にいきます。ヒラサカさんは教室を」
「了解」
何年かぶりに訪ねる学校だ。何もかもが思い出通りとはいえ、教室の場所を忘れてしまった。二手に別れて、駆け出す。アンティールの花のような残り香が鼻孔をくすぐった。心臓が鼓動し、脈打つ度に嫌な予感が全身を巡る。
階段を二段飛ばしで駆け上がり、三階に到着した俺は、一年二組の教室を目指して廊下を走った。廊下の蛍光灯のスイッチは入れられており、明るいがゆえ、誰もいないのが不気味だった。
懐かしい景色のはずなのに、ヒトケのない校舎内は違和感しかない。思い出の中の森沢高校は常に人で溢れていた。にもかかわらず、今いるこの場所には孤独感が滞留している。
一年二組の前にたどり着いた。
ドアに嵌め込まれたガラスから中の様子を伺い見るが、無人の教室が広がるばかりだった。
ドアをスライドさせ、中に入る。
やはり誰もいない。
ずらりと並べられた机と椅子だけが規則正しく列をなしている。
こちらはハズレだったらしい。
シンと静まり返った教室をぐるりと観察してみるが、教卓にも黒板にも特に不審な点はなく、堂本桜の痕跡は一切無かった。
慎重に室内を進み、教壇に立って教室を眺める。
変哲もない教室だ。
教卓に貼り付けられたラミネート加工された席順表を確認する。
窓際の一番端の席が堂本の席だったことを確認し、その机を漁ってみたが、空っぽでなにも特徴がなかった。
「手がかりなし」
なんとなしに独りごちてから、俺は隣にあった昔の自分の席にも腰を落ち着けてみた。ノスタルジックがそうさせたのだ。
ずっと、見ていた光景のはずなのに、やっぱり違和感だけが感想だった。
窓の外はまっくらで闇が広がるばかりだ。
ため息ついてから立ち上がる。
こんなところでのんびりしている暇はない。
教室をあとにしようとしたときだった。
チャイムが鳴り響いた。
冷たい空気を引き裂くようにキンコンカンコンと。
大きな音が天井に設置されたスピーカーから響き渡る。
つい、顔を上げて黒板の上にかけられた時計を見やる。
ぐるぐるとすごいスピードで回り続ける時計の短針は日付が更新したことを物語っていた。
いつのまにか黒板の月日も一日進んでいた。なんなのだろう。
疑問符を浮かべたとき、クラス内がざわめきが潮騒のように鼓膜を震わせた。
「え!」
みんながいた。




