花は吹雪の中で枯れる
キャンプ場に戻る。夕陽がドゥメールを赤く染め上げていた。もうすぐ日暮だ。
髑髏の一団のキャンプに行く。アンティールはケンケンパでもやろうとしているのか、四つん這いになって床に何かを書いていた。
どうせ落書きを掃除するのは俺の仕事になるのであまり汚さないでほしい。
ついに年相応の行動をとるようになったか、とため息をついてから、簡易コンロで湯を沸かし、お茶をいれる。
『校舎の絵』は相変わらず椅子に立て掛けられていた。それを中心にアンティールは何かを描いているようだ。芸術家魂でも触発されたのだろうか。俺には理解できそうにない幾何学的な模様だった。実家のカーテンに描かれていたな。
「なに、してるの?」
「精霊の力を借りて魔法を展開する準備をしています」
「その変な模様で?」
「模様……いや、違いますけど、せめてペイズリー柄とかそういう風にいってほしいですね」
もしかして、これ、魔方陣というやつだろうか。シジョウ死刑場で描いたヤツにそっくりだ。
湯飲みのお茶すする俺の方に一瞥もくれず、アンティールはチョークでガリガリと文字を地面に書き入れている。
小さくダンゴムシみたいに身を縮ませているので、なんともかわいらしい。
「なんの魔法?」
「……先ほどマガルトに問われて思ったんです」
俺の質問を無視して彼女は続けた。
「終わったことを、とやかく言ってもしょうがないって。クラスメートは死にました。私だって死んだんです。だけど、いまは別の体で生きてる。生まれ変わりというのは存在したんです。私がその証明になっている。ならば、死んでいった仲間たちを悼み、輪廻の環に戻すべくは私の仕事だって」
「それでなんで絵の周りに魔法陣を?」
「絵には誰かはわからないけどクラスメートの魂が宿っています。彼は助けを求めてるんです。なら、私が救いの手を差しのべてあげないと」
アンティールは手についたチョークの粉をはたきながら、立ち上がった。
「自らの幽体を一時的に離脱させ、物体に封じ込める……非常に危険な魔方です。彼を救うにはそれしかない」
「……堂本だ」
「え?」
「この絵は堂本桜がモチーフらしい。アンティール、俺も行くよ」
「ん? 私は、行きませんよ? ヒラサカさんが、行くんです」
「はい?」
「正直いまから展開する魔法はかなり危険なんで私が行くのはリスクが高過ぎます」
「え、ちょっと待って。アンティールが発動する魔法だろ?」
「そうですよ。天才の私が発動させる魔法です。万に一つも失敗はないでしょう。大船に乗った気でいてください」
「でもお前は行かないんだよな」
「当たり前でしょう。失敗したら死ぬんですから。そんな危険はおかせません」
「おい、それなんか矛盾してないか?」
「さ、ヒラサカさん、上着を脱いで絵の正面に膝をついてください」
「話を進めるな!」
忘れていた。こいつはそういうやつだった。安全地帯で常に人を使役する側の人間だ。信用してはならない。
「私の方は準備万端です。あとは生け……えーと、ヒラサカさんが来てくれればオーケー」
「いま生け贄って言おうとしただろ!」
「まさかそんな! 私には失敗が無いんですよ。生け……イケメンって言おうとして噛んだだけ……ほらヒラサカさんイケメンじゃないですか、よっ、イケメン」
「お、おいおい」
なんかちょっと嬉しい、照れて頬を掻いたら、
「くっ、自分に嘘をつくのは辛い!」
と小さく呟いてから、アンティールは俺の手をとって無理やり絵の前に座らせた。
「先ほども説明した通り初歩的な闇術です。霊体を引っ張り出すのはそう難しいことじゃありません。口寄せだって私はお手のものなんですよ。全盛期はガマビンをよびだしたりしましたから」
「なんの話だ」
「さっ、いきますよ!」
「えっ、ちょっとまっ」
「でえええええい!」
「あっ」
ガツンと音がして、目から火花が散る。走る痛み。
後頭部を鈍器のようなもので殴られたらしい。
俺の薄れゆく景色でにやりと笑うアンティールを見た。
目が覚めたとき、無声映画の中にいるみたいだった。耳鳴りがしそうなくらいの無音。
倒れ付した体を起こし、顔をあげる。灰色の校舎に暗い空が広がっていた。雪がシンシンと降り積もっていくが、冷たさは感じなかった。
ここはあの絵の中か?
そんなまさかと言い切れないのが、恐ろしい。アンティールはよく「常識では考えられない出来事。アンビリバボー。あなたの身に起こるのは明日かもしれません」と節をつけて歌うように口ずさんでいたが、まったくもってその通りだと思う。
後頭部に手をあてがうが、痛みもなく血も出ていない。おそらく俺は意識を掴まれ、絵に封じられたのだろう。
アンティールの手によって!
脳がすんなりと事実を理解できたのはあいつの超人的な能力を知っていたからだ。こんな非常識的なこともあいつなら容易くやってのける。
にもかかわらず、ほんと疑問なのが、なぜ魔法を使うときに雄叫びを上げてわざわざ俺の後頭部を殴ったのか、だ。意識を飛ばす魔法ぐらい覚えてそうなものだけど。
「はぁ」
ため息をつくが、息が白く染まることはなかった。どうやらここは見た目通りの世界というわけではないらしい。延々と振り続ける雪に温度はないし、手のひらで受け止めても溶けて水になることもなかった。
まるで火山灰。
絵の世界だ。停滞しているんだ。変化はない。無風状態で雪だけが降り積もっていく。
さて、どうすればいいだろうな。
「ため息つくと、幸せが逃げますよ」
「わっ!」
いきなり声をかけられて、俺は後ろに飛び退いた。
女の声だ。いったい。
声がかけられた方に視線をやると、制服を着た女生徒が立っていた。彼女の背景には校門があり、その先には闇が広がるばかりだった。
「えっ。なんで」
「万に一つも失敗はありませんからね」
仁王立ちする少女は冬服を着ていた。マフラーを鼻まで埋めて俺を睨み付けている。
「アン……?」
そこに立っていたのはアンティール。いや、正確にはアンティールの前世。
港貴梨花。
港は金髪のギャルで、甲高い笑い声をあげる俺の苦手な女子だった。誰一人として分け隔てなく接するフレンドリーな性格をしていた彼女は人気者で、誰からも好かれていたが、そういうところが苦手だった。
「なんで、おまえ、その姿」
憎たらしい幼女の姿じゃない。小生意気で勝ち気な目をした女である。
「この世界は思い出みたいですからね。ヒラサカさんもメガネ」
「え?」
違和感が無さすぎて言われるまでは気がつかなかった。俺はメガネをかけていた。スキル『高視力』を会得したとき外したはずだ。猪モンスターの突進を食らってレンズがひび割れフレームが曲がってたし。
メガネをはずしてみるが、視力は良かった。どうやら、保持しているスキルはそのまま継続使用できるらしい。
「その姿で敬語だと、なんか違和感あるな」
「そうですねぇ」
唇を尖らせてアンティールは、
「癖になってんだ。敬語で話すの」
とため口で呟いた。




