キミは線を引いて
アンティールが蚤の市で買ってきた油絵には冬の校舎が描かれており、記憶のすみに追いやった思い出を容易く浮き上がらせた。
クラスメートの弾ける笑い声、お昼休みの喧騒、朱色に染まる校門と北風にはためく校旗。
額縁に切り取られた風景には、雪がうっすらと降り積もり、朝焼けに照らされた校庭が目映く輝いている。
「これは……」
ガタンと絵画を椅子に置いて、少女は顎に手を当てながらそれを眺めている。
鉄筋コンクリート三階建てのありふれた建物だったが、俺たちの思い出がつまった高校だ。
「なんなんだよ……」
人差し指を伸ばして絵に触れてみる。
写真と見紛うほどに精密なタッチ。ざらりという感触がして、指の腹に絵の具の匂いがうつった。
呆けるようにまばたきする俺の横に立ち、アンティールが呟くみたいに言った。
「描いたのはマガルトという人物です」
普通に考えてありえない。
コンクリートすら知らないこっちの世界の人物が想像で描けるような建物ではないだろう。
「いまからこいつのとこに行こうと思うんですけど、ヒラサカさんはどうします?」
断る理由もなかったので、ついていくことにした。
アンティールがどうしたいのかはわからなかったが、謎の画家が異世界の景色を描けた理由を知りたかったのだ。
知りもしない世界を想像で描けるはずがない。
マガルト・ジュペテは宗教画なども多く描いているらしく、教会近くの元天文台に居を構えていた。
星を観測することで天気予報や暦を設定したらしいが、世界樹が枯れ、異常気象が続くようになってから、利用されることが無くなった施設だ。
アンティールはノックもなしに天文台に足を踏み入れると、つかつかと進み、螺旋階段を上った先の部屋で絵筆を持っていた長い髪の女性をいきなり殴り付けた。
カンバスが倒れ、いくつもの絵筆が床に転がる。
地面に倒れた女性は突然のことに目をしばたたかせ、殴られた頬をかばいつつ、「な、なに?」とアンティールから距離をとった。
「あなたは降霊術師ですね?」
「え、だれ? 急に」
「質問を質問で返すなぁー!」
「ひ、ひぃ!」
人差し指で女性の額を押さえつけながらアンティールは続けた。通り魔以上に厄介なやつだ。
「あなたの絵は巷では生きているみたいにみずみずしいと評判です。浮遊霊を絵に閉じ込めているのだから」
さらに殴りかかろうと拳を振り上げるアンティール。「おちつけ!」ととっさに羽交い締めにして、それを防ぐ。
「まって、ほんと、なんのはなし?」
混乱したように目を丸くするマガルトは尻餅ついたまま、じりじりと後ずさった。
「ヒラサカさん、納得できるんですか? クラスメートの霊魂がこの女にいいように扱われたんですよ!? 冒涜です」
「俺はお前の言ってる意味もよくわかってねぇんだよ。なんにしても暴力はちがうだろ!」
「む。たしかに。私ともあろうものが頭に血が上ってしまったようです」
浅くため息をついて、アンティールはスカートの埃を軽くはたいてから、右手を倒れたままのマガルトに差し出した。
「まあ、いろいろありましたが、一旦水に流しましょう」
水に流すには早すぎる。
「え、い、いや」
「……」
アンティールは無言で笑みを浮かべた。
「うっ」
威圧である。
いやいやといった風にアガルトはアンティールの手をとり、立ち上がった。
背の高い女性だった。
髪がボサボサで地面に届かんばかりに長い。顔を見えなかったが、肌は病的に青白かった。
「き、急に現れて、なんなの、あなたたち」
「ヒラサカさんにもわかるように一から説明してあげますよ」
舌打ちをしてからアンティールは続けた。
「霊媒師と呼ばれる人たちは不浄霊をその身に宿らせ、死者の言葉を語ることができるんです。口寄せという初級的な闇術ですが、呼び出した霊を物体や動物に宿らせ、意のまま操れるのでバカにはできません。この女は」
ビシリ、と指差して少女は続けた。
「自らの体に画家の霊を憑依させ、絵を描いているんです。そうして完成した絵に、憑けていた霊を封じ込めているんです。つまり憑依合体からのオーバーソウル」
「わかりづらい」
「ズルをしてるんです。さすがに身内に手を出されたんじゃたまりません。事務所総出で潰しますからね」
威圧感たっぷりにアンティールは鼻息を荒くした。
「そ、そんなことしてない」
マガルトはかぶりを振った。
「あなたは勘違いをしている。私の絵は私が描きたいように描いている」
「ほうほう、しらを切るつもりですか。あなたのやっとことは全部すべてまるっとお見通しだ!」
アンティールはビシっと指差し言いはなった。
「……」
しばしの沈黙が落ちる。絵の具の匂いとカビ臭さが混じり合い、室内は酷く居心地が悪く感じた。
「仮に、あなたが言ってることが事実だとして、それでどうしたいの?」
しばらく無言だったマガルトが恐る恐る尋ねた。
「……そうですね」
マガルトの質問にアンティールはキョトンとしてから、少しだけ考え込むようにうつむき、
「別にどうもしません」
と返事をした。
「冷静になって考えてみたら私があなたにできることは特にありませんし、やろうとも思いません」
「じゃあ、なんで……」
「殴ったら気が晴れました」
なんだそれ。情緒不安定かよ。
「満足したんで帰ります。また会いましょう。さようなら」
アンティールは軽く手を振り踵を返して部屋から出ていった。
あまりの思いきりの良さに俺とマガルトは同時に「え?」と間抜けな声をあげていた。
「なんだよ、それ」と小さな背中に突っ込んだが、特に返事を得ることは出来なかった。
古い木造の建物らしく、乱暴に扉を閉めたので部屋が軽く揺れた。
階段を降りる音が遠ざかっていく。
「……あ、っと」
俺とマガルトの二人だけ残された。
かなり気まずい。
「それじゃあ、俺もこれで……」
その場を辞そうと、静かに後退したが、
「少し待って」
とマガルトに呼び止められてしまった。
マガルトは床に転がっていたカンバスを直し、描き途中の絵をそこに立て掛けた。長閑な田園の風景画だった。
彼女の白い服から覗く腕は細枝のようにしなやかだった。手にパレットを持ち直し、椅子に座って俺をじっと見つめてきた。
青くて澄んだ目をしていた。
「あなたはドウモトの友達だったの?」
堂本。
えっと。
堂本桜。マガルトが呟いた名前。
誰だっけ、と一瞬呆けたが、すぐに思い出した。
それはかつてのクラスメート。なぜ、こいつがその名前を知っているのだろう。どう見ても俺より年上なので、 アリアンのように級友の生まれ変わりとは思えない。
なにも言えずにただうつ向いて立っていると、
「私は霊を憑依させたりしていない」
絵筆を真っ直ぐたて、グッと塗り込むようにカンバスに向かい、彼女は続けた。
「未練や後悔を抱いた霊を慰めるために、私は絵を描いている」
「どういう……」
「この世に執着を持つ霊を慰めるために、魂が欲している光景を絵にしている。ドウモトと私が出会ったのは共同墓地だった。あの世に行けずさ迷う霊だった彼女を慰めるため、彼女の望む景色を描いたの」
堂本はクラス委員で責任感の強い女の子だった。
美術部で市のコンクールで金賞をとるほどの実力者だったはずだ。彼女の描いた夜空を駆ける天馬の絵は圧倒的な存在感を放ち、エントランスに飾られていたほどだ。
「あなたたちがドウモトの友達ならきっとあの子をほんとうに救ってくれるかも」
「救うって?」
「私は偽りの世界を絵の具を使って表現するだけだから」
ピン、と線を引いて、マガルトは俺を真っ直ぐに見据えた。
「同郷ならばホントウの話を出来るかもしれない。彼女はずっと後悔をしていた。そして謝りたいとしきりに呟いていた。真実を知ったとしても、あまり彼女を責めないでほしい。不思議な目をした女の子だった」
室内には薄く西日が射し込んでいた。
「あなたも……凄く面白い魂してるのね」
マガルトは遠くを見るように目を細めて俺を見つめた。
「いつか貴方の絵も描きたいね」




