生きて遊ぶには事も無し
その日は快晴で、眩しいくらいに晴れ渡っていた。
アルドー湿地から戻ってきて次の日、酒場で牛乳を飲んでいたら、どかりと音をたてて、隣の席にサワダが座っていた。
「オレンジジュース」
とマスターに注文してから、不敵な瞳で俺を見る。
「よぉ」
アリアンの面影はもはやない。見た目は幼い女の子だが、彼女はかつて彼であり、俺のクラスメートの少年だった。
「アンティールが戻ってきたそうだな。死んでも死なないな、あいつは」
短いおさげを揺らしながら、乱暴な語調で彼女は訊いてきた。
「ああ。無事で良かったよ」
「ふぅん。まあ、死んだら事情を聞き出すこともできやしねぇ」
実際その通りだが、訊ねてみたところで、真実が明らかになるとは思えなかった。
昼間だと言うのに、酒場は相変わらず騒がしい。
「それで、あいつはいま何してるんだ?」
「今日は血の上の教会のおばばと茶会だそうだ」
「……なんか怪しいな」
サワダの瞳が鋭く光った時、ちょうど彼女の注文していたオレンジジュースがコップに並々注がれて、カウンターに置かれた。それに花咲くような笑顔で「ありがとう!」と礼を言ってから受けとる。
「おい、ヒラサカ。ちょっとつけてみようぜ」
グビッ、と喉をならして、一口飲んでから、彼女は続けた。
「あいつの正体を暴いてやるんだ」
「アンティールを? なんで、そんな」
「ババアとお茶飲んでなにが楽しいんだよ。あいつがなにをするのかこの目で見定めるんだ」
言うやいなや注がれていたオレンジジュースをイッキ飲みする。「ぷはぁー!」と息をついてから俺にもイッキを催促してきた。
「いや、ちょっと……」
俺のコップには牛乳がある。牛乳イッキ飲みとか小学生以来やっていないし、やりたくない。昼休みにお腹ゴロゴロになってから牛乳は慌てて飲まないと誓ったのだ。
「はやくいこうぜ!」
しかたない。覚悟を決めて、牛乳を飲む。小気味良い音をたてて喉を潤し、牛乳髭を作った俺はサワダと共に酒場を後にし、血の上の教会目指して走り出した。
子どもはなんでもないのに走り出すから、苦手だ。
昼下がりの教会は穏やかな空気が流れていて、太陽光を透過したステンドグラスが地面にカラフルな影を落としていた。
広々とした室内にヒトケはすくなく、静謐な雰囲気がまったりと流れていた。教会にアンティールはいなかった。いつもの位置に座って、目を閉じ祈りを捧げているオババに尋ねると、「あの子なら裏の共同墓地だよ」と教えてくれた。
教会の裏の墓地は流れ着いた無法者など身寄りのない者たちをまとめて埋葬した無縁仏が集まる墓場がある。
管理者などは特にいないが、供養と称して根差している牧師は、別の街の教会も担当しているせいか、どうしても不在にしがちで、墓地はいつも荒れ放題だった。
俺とサワダは教会の裏口から墓場に入った。裏山を階段上に切り崩し墓場にした場所だ。
秋も深まり、墓地には落ち葉が雨のように降っていた。
落ち葉の向こうに小さな人影を見た。
黒いドレスを纏ったアンティールだった。
彼女の前にはいくつもの墓標が建ち並び、影が長く延びていた。見る限りどれも新しく綺麗だ。誰かが手入れしているのだろうか。
「墓参りか?」
とサワダは呟いたが、あの傲岸不遜なアンティールが墓参りするような性格には思えなかった。心の奥が、嵐が来る前の渚のように、ざわつく。
アンティールの手には花束が握られていた。赤や黄色が鮮やかだ。
彼女はそのうちの一本の花を指で摘まむと、墓前にそっと手向けた。
「……あれ、誰の墓だ」
サワダがそう呟いた瞬間、
「こらぁ、アリアン!」
俺たちが通ってきた教会裏口のドアが乱暴に放たれ、武器屋のケルヴィンが鬼のような形相で、怒鳴りながら入ってきた。
アリアンの父親である。
「また店番、サボったなぁ!」
「わあー、パパ、ごめんなさい!」
すぐに幼女のペルソナを被ったサワダが頭を下げる。なんだか演技臭く感じてしまった。
「まったく、お前は目を離すとすぐにどっかに行ってしまう」
ケルヴィンはぶつぶつ文句を言いながら、こつんと少女を小突いた。
「ほら戻るぞ!」
「はぁい」
俺はとーちゃんの奴隷じゃないっうーの! とでも言い出しそうな生意気な瞳を隠し、サワダはケルヴィンに引きずられていった。
ばたん、と教会の裏口の扉が閉まり、後には秋風が優しく吹き抜ける。
ちらりとアンティールを見ると、思いっきり、ガン見されていた。
「よ、よぉ」
気まずさが頂点を突破しているが、ひとまず右手をあげて軽く挨拶してみる。
「ヒラサカさん、どうしてここに?」
「……お前こそこんなところで何してるんだ?」
「おっと、会話の成り立たないアホがひとり登場ー。質問文に対し質問文で返すとテスト0点なの知ってたか? マヌケ」
少女は乱暴に言い捨てると俺を睨み付けた。きっとまた何かの漫画の引用なのだろう。
彼女が台詞を引用するとき、それは自らの心情を隠したい時だと、最近感じている。
「お前が心配だから来たんだ」
「はぁ?」
「ほら、質問に答えたぞ。早くお前も教えてくれよ」
アンティールは小さく「チッ」と舌打ちをすると、手に持っていた花束を目の前の墓石に添えてから、俺を見つめた。
「仕方ないですね。こっちに来てください」
アンティールの横に立つ。
墓石と言ってもそんなに立派なものじゃない。ただ円筒状に削られた石が並べられているだけの簡素な墓だ。墓碑銘は刻まれていなかった。
「ここは墓場」
「……」
「貴様のな」
「……は?」
横目で少女を見ると、耳まで真っ赤になっていた。
「どういう意味だ?」
「ここの区画の土地は私が買ったんです。このブロックにはいくつ墓石があると思いますか?」
「いくつって……」
ざっと見渡すが二十はありそうだった。
「二十八基。クラス分です」
「まさか……」
「ここは貴方の、そして私の墓場なんです」
墓地を吹き抜ける風は冷たく、冬の気配が感じられた。
どこからか香る金木犀の香りは、秋の夕暮れの通学路を思い起こさせた。
ノスタルジックな気分を引き立てるように秋の虫が鳴き始めていた。
「この体に生まれ変わってから、ずっと死んでいったみんなを悼むために生きてきました」
アンティールの細い指先が一つの墓石を撫でる。
「遺骨がなければお墓ではありません。ここにはまだ半分ほどしか眠っていないんです」
「だから、バスの骨を持って帰ったのか」
よくよく見ると墓碑銘が刻まれた墓石がいくつかあることに気がついた。遺骨を埋葬したときに改めて名前を刻んでいるのかもしれない。
「バスに出た他のみんなの遺骨は追い剥ぎに盗らてしまったようです。どうにかして取り戻さなくてはいけません。みんなを悼むことができた時初めて、アンティール・ルカティエールとしての人生を歩めるのです」
アンティールが少し潤んだ瞳で俺を見た。
彼女の真後ろにある墓には『澤田夏樹』と刻まれていた。
「ただの自己満足です。みんなが死んだと認識しないと私は未来に進めないんです」
「……そうだったのか。だったら俺にも早く言ってくれよ」
「嫌ですよ。なんか、恥ずかしいし……」
「そうじゃねぇだろ。俺とお前しかいないんだから……」
空がゆっくりと黄昏ていく。どこで見ても夕暮れは同じ色だ。世界の果てだろうが、どこだろうが。
「……」
アンティールが俺を見つめた。
ああ、アリアンとアメントも生まれ変わりかも知れないが、それを告げるのは後でいいかと、小さく頷く。
「ヒラサカさんだけでも生きていてくれてよかったです」
伸ばした手が墓石の表面にそっと触れる。
バキ! と音がして、亀裂が入った。
「もう、これはいりませんね」
アンティールによって壊された墓石は俺が入る予定のものだったのだろうか。それは彼女にしかわからないが、
「ヒラサカさん、いきましょうか」
と、差し出された手のひらは、昔の彼女のものよりもずっと小さかったが、豊かな暖かみに溢れていた。
終わります。
読了ありがとうございました!




