翔ぶが如く
ウロから外に出る。
むせかえるような土の香りが収まり、沼地特有の汚水の臭いが鼻腔をくすぐった。曇り空が割れ、日が照っている。目眩がするくらい暑かった。
「キェェェェェェェイ!」
「うおっー!!!」
大空を背景にニーズヘックに股がったユーグリッドが大鷲と戦っていた。風が強く、雲が流れている。
剣戟音が響いているが、すべてが嘴や爪でいなされており、致命傷には至っていない。
ユーグリッドは槍を使い、必死に攻撃をさばいていたが、空での戦いには慣れていないのか、完全に手玉に取られている。
ふと大鷲が口から火を吹いた。
「くっ」
翻って、なんとか逃れたが、どうみても分が悪い。雨粒のように地面に落ちた血は彼のものだろう。
もし、遠距離魔法を覚えていたら、援護しているところだが、残念なことに俺はまともな魔術が使えない。
だけど、アンティールは違う。
隣でヘリコプターでも眺めるようにぼんやりとした表情でユーグリッドの戦いを眺めているアンティールの背中を軽く叩く。
「なんですか?」
「はやく助けてやってくれ」
「んー。別に良いですけど」
アンティールは遠距離攻撃魔法に長けた魔術師だ。
「あの邪魔な人に離れてもらうように言ってください」
アンティールが指差したのは大鷲と相対しているユーグリッドの方だった。
「邪魔って……言い方を……」
「巻き添えにして良いんだったら、撃ちますけど」
手のひらを天に突き上げる。
「ユーグリッドぉ! アンティール助けたから降りてきてぇ!」
喉がちぎれんばかりに叫ぶ。
ユーグリッドはちらりとこちらを見ると、「おおっ、でかした!」と叫んで、空中で方向転換した。
「このまますぐにドゥメールに戻るぞぉ!」
ユーグリッドが叫びながら降りてくる。追いかけてくる大鷲を警戒することなく、完全に逃げの一手を選択したようだ。脇目も振らず一転突破だ。
正直、悪くないし、正解だと思う。
だが、アンティールだけは納得いかないように、大鷲を睨み付けていた。
「つかまれぇい!」
手のひらが差し出される。
「いやです」
「え?」
伸ばされた手を拒否し、ひょい、とアンティールは横にステップを踏んだ。
「あっ、おい!」
彼女の後ろに立っていた俺はユーグリッドの手を取り、反転させる勢いのままニーズヘックに乗せてもらった。
背中に揺さぶられながら、地面に仁王立ちしたアンティールの無事を祈る。
「なに考えてるんだ! あの子は!」
ユーグリッドが叫ぶ。
「ふせろぉ!」
「キェェェェェェェイ!」
もうダメだ、と安全地帯で彼女の死を悟った。それほどまでの巨鳥だったのだ。鋭くとがった嘴が彼女を八つ裂きにせんと襲いかかっている。
「ふぅ」
アンティールの呟きが風に乗って俺に届いたとき、
辺りの景色が一瞬にして真っ白に染まった。
落雷だ。
雷鳴が遅れて、鼓膜を震わす。大地が裂けたのではないかと思うほどの轟音。
俺とユーグリッドを乗せていたニーズヘックは音にビックリして、足を滑らせ、ひっくり返った。落馬するように地面に転がる。痛みと泥とが俺の服をぐちゃぐちゃにする。
閃光弾にやられたみたいにキーンと耳鳴りが響き、真っ白になった視界が数十秒の後、ようやく現実を取り戻す。
青空と黒く濁った沼地。
そこに先ほどまで無かった真っ黒な大穴がぽっかりと空いていた。擂り鉢状のクレーターみたいになっているが、外側の泥がゆっくりと穴に流れ込んで来ていた。
「な、おい……」
それらを前にして、アンティールは平然と立っていた。
「一丁上がり、です」
パンパンと手を叩きながら、くるりとこちらを振り返る。アンティールは一仕事終えたように大きく深呼吸した。
黒こげになった大鷲が完全な死体になって転がっていた。グズグズと黒い煙が上がっている。なんて恐ろしいやつだ。あれほど巨大な鳥を事も無げに殺ってのけるなんて。
「さっ、帰りますよ」
二の句がつけず、ポカンとしていた俺に近寄ると彼女はいたずらっ子めいた瞳で頭をポンと軽く叩いて、『帰還』を催促した。
肉の焼ける臭いがした。
「な、なんてやつだ。アンティール・ルカティエール……これほどまでとは」
「ん?」
ニーズヘックの鬣を撫でながら、ユーグリッドが化け物でも見るような目でアンティールを睨み付けた。
「俄には信じがたいが、雷魔法を使うとは……ほんとうにキミは何者なんだ……」
「それはこっちの台詞ですよ。ヒラサカさんを手伝って、なんのメリットがあったんですか?」
お互いにらみ合っていたが、アンティールは彼の鎧に愛教のマークを見つけたのか、小バカにするように鼻を鳴らした。
「ああ。そういうことですか」
愛教は他人に対する施しがモットーだ。宗教の理念を知っているからか、アンティールは鼻をならして、見下すように彼を見た、
「思考停止軍団ですね。幼女を崇めるロリコン教だから、ヘンタイのヒラサカさんにシンパシーでも感じたってことですかね」
全然理解できてないじゃないか、こいつ。
アメントが幼い少女だろうと、いまは関係ない。第一、俺は変態ではない。
「貴様……!」
ユーグリッドが眉間にシワよせ、持っていた槍を力強く握り直した。
「ほんとうのことじゃないですか。小さい子どもが大好きな連中が、幼女をまつりあげてるでしょ? 変態じゃないですか。気色わるい」
「おい、アンティール、言って良いことと悪いことあるだろ」
さすがに初対面なのに、言いすぎだ、と割って入る。
俺はこの世界の事情に詳しくないので、愛教がどんな宗教団体なのか知らないが、それでも他人の信じるものをバカにするのは良くないことだと思う。
「私、あの連中、嫌いなんですよ。すがるものがないから、なにも知らない子どもをむりやり聖女にしたてあげてるんです。腹立ちます」
「いい加減にしろよ、貴様! アメント様は奇跡の御業を持つ本物の聖女であらせられるぞ!」
ユーグリッドが槍を構えた。俺は慌てて、アンティールに謝るよう言った。
「あっ、怒ったんですか? すみません」
思ったより素直にアンティールが謝ったので、ビックリしたが、
「私の靴下あげるんで許してください。変態のロリコンたちはこれで満足するんですよね?」
アンティールは臆することなく挑発を続けた。なんてやつだ。一触即発な雰囲気である。ユーグリッドに生意気な小娘に変わって必死に弁明するが、彼は顔を真っ赤にして、ふるふると震えていた。
「こいつ、ちょっと混乱してるんです。さっきまで、世界樹に捕らわれていたから! 」
下手な言い訳を重ねるが、なんとか怒りを納めてもらわなくては。
「だから、本心ではなくて、その」
「……とうだろうな?」
「え?」
ユーグリッドがぼつりと呟いた。
「本当だろうな! 靴下くれるの!」
「はぁ!? 」
真面目な顔つきでなに言ってんだ、この人。
「えぇ。仕方ないですね」
アンティールがにたりと頷いた。ユーグリッドは心底嬉しそうに歯を見せて笑った。
「……は?」
アンティールの言った通りかよ。




