霞む記憶キミの記憶
俺たちが乗ってきた、バス。錆び付いて、いたるところがへこみ、ボロボロだが、見間違えるはずがない。ナンバープレートは東京の地名で、正面の行き先案内板には『京都』と書かれていた。
吐き気がした。
ガラス窓には、クモの巣みたいなひび割れ起こり、酷いところはくだけ散っていた。ミラーは折れ、ナンバープレートは落ちている。その惨状はクラッシュ事故を思わせた。
「ようやくここまで近づけました。世界樹が枯れた今、囚われていた『彼ら』も解放されることでしょう」
アンティールがゆっくりと手のひらをこすりあわせると指先がほんのりと赤く染まり、爪が光り始めた。絡み付いた世界樹の根をなぞるように触れると、スパスパと面白いように切れていく。
「……あ、おい」
バスへの道を広げてから、彼女は薄く目を閉じ、感慨深そうに歩きだした。
「墓荒しのような連中にやられた、と思ってましたが、どうやら手は出されていないようです」
アンティールは半開きになっていた前側のドアに手をかけ、無理やりこじ開けた。金属がひしゃげる音がする。錆び付いているようだ。それでも幼い彼女の力だけで扉が外せたのは、経年劣化が進んでいるからだろうか。
車内は空気が淀んでいた。
ステップを上がり、奥の座席まで見通す。薄暗い車内がアンティールが灯した淡い光に照らされる。
シートにもたれ掛かるようにして、白い何かが俺の視界に飛び込んできた。それは、骨だ。
割れた窓ガラスから虫が侵入し、彼らの肉体を啄んだのだろう。血溜まりは赤土のようになり、床にこびりついている。
人のものとは思えない。作り物にしか見えない。
それでも、これは、かつての……。
「ううっ……」
右手で自分の口を抑える。涙より先に、戻しそうになった。
それらに面影がないのは、幸いに思えた。ミイラなどではない、ここにあるのは、ただの骨であり、無機物だ。現実感は乏しい。クラスメートが変わってしまったようには思えなかった。
衣服や荷物が散乱しているが、すべてがボロボロで、再利用は不可能だった。車内に残っているのは、ただの屍。
「……全員分は無さそうですね。そうか。あの時、バスを飛び出した人達の死体がないんだ……。ここは外に出ることなく殺された人達の墓場……」
アンティールはしゃがみこみ、近くの一体の頭蓋骨を撫でながら、寂しそうに呟いた。
「盗られてなくて良かった……」
「……骨を盗むやつなんていないだろ」
「異世界人の骨ですから、それだけで価値があるんですよ……。粉末状にして飲めば病に効くなんて迷信があるぐらいです。私の骨は……なさそうですね。外出なきゃよかったな……」
少女はぽつりと呟いた。
「なんにしても、ここには十人ぐらい残ったみたいですね」
アンティールは目を細めて微笑むと、懐から水筒を取り出し、蓋を外した。
高温多湿で風が一切無いから喉が乾いたのだろう、と思ったら、ボソボソとなにやら呪文を唱えた。
「?」
とたんに、室内に風が発生した。アンティールの魔力はつむじ風になると、見るまに大きくなり、チリや埃を巻き上げながら、シートや衣服をボロボロに裂いていった。車内に残されていた骨すらもガラガラと音をたてて崩れていく。
「お、おい、なにしてんだよ!」
「遺骨を持って帰ります」
グシャグシャに骨を砕いて、砂のようにしたアンティールは風を操作して、それらを水筒のなかにしまった。
まさしく魔法のようだった。
小学生の頃、祖母の葬式のとき、焼却炉で遺体を燃やし、残された骨を砕いて骨壺につめたことを思い出した。おそらく水筒は骨壺の代わりなのだろう。
「なんで、そんなことを……」
「ここに残していては、誰かに盗られてしまうかもしれないでしょ」
アンティールが骨を集めているとサワダが言っていた。目的はわからないが、彼女に邪な考えがあるとは思えない。
風の音が止み、辺りは再び静寂に包まれる。
「さっ。帰りますか」
アンティールが俺の方を向いて儚げに微笑んだ。
「あ、いや、まだ、やることがあるんだ」
「やること? まさか、ダンジョンの探索がしたいとでもいうんですか? こんな辺鄙なところに宝箱なんてありませんよ。未踏の地に宝箱を設置する馬鹿がどこにいるんですか? 現実はゲームじゃないんですから、いい加減大人にな……」
「いや、そうじゃなくて」
俺はここまで来るのに助けてくれたやつが表で巨大な鳥と戦ってくれていることを彼女に伝えた。
アンティールは水筒を懐にしまい、浅く息を吐いた。
「んー。めんどくさいから早く帰ってシャワーでも浴びたいところですが、ヒラサカさんがお世話になったというなら仕方ありません。助けて上げましょう」
どの目線で言ってんだ、こいつ。




