聖女と騎士
地上に戻って、現在位置を確認し、目的地に視界を飛ばす。町に吹き抜ける風は冷たく、秋の気配を感じられた。
ドゥメールからは距離がある。トラブル無く、歩き通しても、丸一日はかかるだろう。
「つっ」
足が傷んだ。これでは長距離の移動もままならない。
旅の準備は入念に行わなければならない。
青空は高く、すんでいる。
ひとまず、広場にいる聖女アメントに治癒魔法をかけてもらおう。それから、食料と簡易テントを用意しなければ。
時間が足りない。ともかく出来ることから潰していこう。
びっこをひきながら、俺は広場に向かった。
アメント・モルガナは多くの人々に指示されている愛教という宗教の聖職者である。施与を心情とする一派であり、ここ五年のうちに勢力を急速に伸ばしているらしい。アメントは聖女として膾炙され、信者を増やし続けている。
信者の前にも一切顔を出さないが、一説によると彼女は幼い子供で、汚れを知らないからこそ、他者を慈しむことができるのだという。
アメントは、手を触れずとも念じただけで、他人の傷を癒すことができた。まさに奇跡と呼ぶに相応しい御業である。
なんとも胡散臭い話だが、彼女の能力は事実だ。
現に俺は一年前に救われたのだから。
巡礼団は広場に馬車で乗り付けていた。アメントがいるであろう馬車の幌からは御簾が降り、面会を求めて多くの人が長蛇の列を作っていた。ただで傷を癒してくれるのだ。この機会を逃さない手はない。
暇な老人が病院の待合室にたむろするように、広場は人でごった返している。
そのほとんどが肩凝りや冷え性などの緊急性の低いものだ。
面会の順番をもどかしく待ちながら、やきもきした。
「キミ、デーモンの住処にいた子じゃないか」
列の整理をしていた鎧を着た金髪の男性が声をかけてきた。
見覚えはないが、おそらく、一年前に俺を救ってくれた団員の一人だろう。
「その後はどうだい?」
「お陰さまで生きてます」
「そうか。それはよかった。なにか困ったことがあったら何でも言ってくれ。力になるからさ」
と、爽やかな笑顔を浮かべて俺の背中をバシンと叩いた。苦笑いに似た愛想笑いで会釈して、その場を後にする。世の中には打算抜きでイイ人がたまにいる。
一時間近く並んで、ようやく俺の番が回ってきた。アメントは御簾ごしに俺の傷を一瞬で治し、柔らかい声音で近況を尋ねた。
「お久しぶりね」
彼女もデーモンの住処から俺を保護してくれたことを覚えていたらしい。
彼女の前に立つのはあの時以来だったが、やはりすごい能力だ。
傷や体調不良や病を一瞬で治し、当人が万全だった状態に戻す。それがアメントの力だった。
「昨年の今ごろ、あなたが髑髏の一段に所属したとお聞きしたわ。その後はいかがかしら」
隠す理由もないし、俺は団長のアンティールがアルドー湿地に囚われていて、いまから彼女を助けに行くと伝えた。
「……」
やや間があってから、彼女はか細い声で「それは心配ね」と呟き、自ら同行を名乗り出た。広場は騒然とした。彼女の能力はまさしく奇跡であり、
「一人の少女のために時間を割くのは、あまりにももったいない!」と近くに立っていた巡礼団の男性が声を荒らげた。
「お、俺は大丈夫です。なんとかします」
さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないので丁重に断りをいれると、アメントは「そう。それなら、他の手段でお手伝いさせてくださる?」と護衛を俺に同行させてくれると言った。
まさしく聖女であり、助っ人はほんとうにありがたかった。
俺についてきてくれるのはユーグリッドという、背が高い精悍な顔つきをした男性だった。列に並んでいたときに声をかけてくれた青年だった。
「アメント様のご意向だ。しばらくの間よろしくな」
「有難うございます。心強いです」
「敬語はいいよ。同い年くらいだろ、僕ら」
白い歯をみせて、ニカリと笑う。爽やかな笑顔だった。
「目的地はアルドー湿地か。準備ができたら声をかけてくれ」
ユーグリッドは騎士らしい。
より正確に言うなれば、竜騎士だ。
彼が『相棒』と呼ぶ黒い竜は美しい鱗を持つニーズヘッグで、本来は鋭い牙を持つ獰猛な生き物らしい。騎士は野生のモンスターを手懐けて自らの乗り物とするらしい。そのなかでも高位で気位が高い『竜』を扱うのは至難の業なのである。
黒竜に股がったユーグリッドは俺に手を差しのべ、ニーズヘッグの背中に座るように持ち上げてくれた。
小学生のころの乗馬体験を思い出す。高さがあの時とは段違いだ。
「よし、いくか!」
まさかのニケツ。自転車二人乗りする前に、異世界で竜騎士と二人乗りするなんて予想だにしていなかったな、と引き締まった彼の腹筋に手を回して考えた。




