忘れたことを忘れて
アンティール・ルカティエールという人物は傲岸不遜だが、家事の類いが一切出来ないので(本人いわく、しないだけ、らしい。もっとたちが悪い)、炊事洗濯はえてして俺の仕事だった。
昨日のシチューだって作ったのは俺だし、今日のシチューだって作るのは俺だ。
材料の取捨選択の権限は賄い婦が握っているのだ。
アンティールはニンジンが苦手だ。青臭いのがキライなのだという。アレルギーというわけではなく、単純に食べないだけである。チャーハンを作ったとき、 栄養が偏ってしまうから、出来るだけ小さく刻んでいれたけど、丁寧により分けされて、残されてしまった。
だから彼女のシチューにはニンジンはいれない。いれたらまた文句を言うからだ。代わりに惚れ薬を入れてやった。
これを一口でも飲んでしまったが最後、目の前にいる人物に惚れてしまうのだという。
希代の天才魔導師(本人談)が作った薬だ。万に一つも失敗は無いだろう。
出来上がったシチューよそい、アンティールの器に惚れ薬をぶちまけた。無味無臭なので味でばれることはない。
「さあ、できたぞぉ!」
「ひゅー! 待ってました!」
今日もシチューにしてやると言ったら、すぐに機嫌を治したあたりがまだまだ子供だが、俺の決意を無邪気な笑みで止めることは出来ない。才色兼備と自らを称するアンティールといえど、まさか、惚れ薬が入っているとは思うまい。パチパチパチと拍手しながら目を輝かせている。
「昨日はホワイトでー、今日はビーフ! ヒラサカさんわかってますなぁ」
アンティールは待ちきれないっといった風に身を乗り出した。テーブルの上に彼女の分のシチューを運ぶ。運ばれてきた湯気がたつ器に、この世の誰よりも幸せ、といった風な微笑みを浮かべる。
「昼間は頭に血が昇って色々とご迷惑をおかけしました」
ぺこりと頭を下げる。
「い、いいってことよ」
う、良心がいたむ。
「いただきまぁす!」
手を合わせて、スプーンでシチューを掬い、口に運ぶ。
「んー! んまいです! 味に免じて、私のシチュー食べちゃった事件は水に流してあげましょう」
たべた!
よしっ!
ニコニコと美味しそうにシチューを頬張るアンティール。単純なやつだ。
俺も自分の分のシチューに口をつける。うむ。我ながら会心のできだ。惚れ薬が混入することによってどのように味が変化するか若干の興味はあったが、アンティールの様子をみるに、不味くはなさそうである。
よそわれた分を食べおわったあと、アンティールは「ふぅ」と小さく息をついて、空っぽになった器を掲げた。
「おかわり!」
綺麗に平らげた器はピカピカだ。
「……」
おかしい。惚れ薬の効果は現れていないのだろうか。
「ヒラサカさん? おかわりですよ、おかわり」
ひらひりと器を振ってアピールする。自分で鍋のとこ行けよ、と思うより、変化の起こらない現状に俺は首をかしげた。おかしい。アンティールはいつも通りだ。惚れ薬は不発におわったのか?
「ヒラサカさん?」
「アンティール、体大丈夫か?」
「はあ、急になにいってるんですかぁ?」
「いや、えっと、最近風邪流行ってるから」
「風邪なんてものは軟弱なやつがひくんですよ。私はウィルスや菌などの不健全なものが体内に侵入すると汗として体外に放出するように術式組んでるからそんなものにおかされることはあり得ません」
「まさか……」
得意気になるアンティールに俺は一つの可能性に考え至った。
「あ、あのさ、仮に毒を接種したとしても、それ発動するの?」
「毒? さあ、それはわかりませんが、概念的に、悪と判断されるものは、排出される予定です。たぶんですけど……それよりどうしてそんなこと聞くんですか?」
「いや……」
「まさか……」
アンティールは目を見開き、空になったシチューの器を見つめた。
「盛ったんですか? 毒」
「いや、毒はもってないけど」
「じゃあ、なにを……」
「……惚れ薬……」
俺の蚊の鳴くような返事を聞き届けたアンティールはみるみる顔を真っ赤にしていった。照れているのではなく、純粋な怒りのようだった。
「あっきれった!」
どん、とテーブルに拳を打ち付け、彼女はまっすぐに俺を見た。
「そんな薬なんか使わなくても最初からヒラサカさんのこと好きですよ! 大好きだから今さら薬が効くわけないでしょ」
「え!」
「は? あれ?」
アンティールは慌てたように首を横に振った。
「おかしい、どうなって……私に、ペロガクは効かな……つうううーー」
まさか、効果が薄いように感じたのは最初から好感度が高かったから? 黄金パターンに入っていたのかと狂喜乱舞しそうになった俺の耳に、
「ふぐぅ!」
アンティールの呻き声が響いた、
「あっ、おい! 大丈夫か!?」
自らの太ももをスプーンで刺してグリグリしていた。突然の自傷行為に意図がわからず、あわてて俺は彼女に駆け寄った。
「くっ、油断すると意識が持っていかれそうになる!」
「おい、アンティール、なにをバカなことしてんだよ。太ももをグリグリするのやめろ!」
「ヒラサカさん、なんて優しい、一生ついて……はっ、それ以上、私に近寄らないでください!」
どうやら惚れ薬による感情の奔流と戦っているらしい。まさか、自らを傷つけるまでに追い詰めてしまうとは、
「おれが、俺が悪かったから、太ももグリグリやめろ! 見てて痛々しいから!」
「……っ」
アンティールは握っていたスプーンをその場に落とし、ゼンマイが切れた人形のようにピタリと動きを止め、微動だにしなくなった。カランカランとスプーンが落ちる音がゆっくりと響き渡った。
「アンティール?」
「親指を!」
「あ、おい!」
「喉の奥に、突っ込んで!」
「やめろって!」
「殴り抜ける!」
「ばかっ!」
「おげえええええええええええええええええ!」
その場で吐き始めた。
最悪だ。
テント内に吐瀉物の臭いが立ち込める。
髑髏の一団のテントはそれから小一時間、嘔吐音が響き渡った。音はいつの間にか二人分になり、やがて静まり返った。
「はぁ、はぁ」
肩で息をしながらスッキリした表情のアンティールが俺をねめつけて、
「反省会しますよ」
と静かに怒りの炎を灯しながら呟いた。
彼女に惚れ薬は効かなかった。
効く前に胃洗浄されたからか、はたまた自浄魔法がアンティールにかかっていたからか、理由ははっきりとわからないが、「最初から好感度がゼロつきぬけてマイナスだったからじゃないですか?」と冷ややかな視線で言われたのがもっとも正解に近いのではないかと思っている。
個人的には最初から俺のこと好きだったから惚れ薬が効かなかった、というパターンを信じてみたいが、
「お前は自分が悪だと気付いていないもっともどす黒い悪だ!」
そんな甘い話は無さそうなので、残念だ。
終わります。
続きができたらまた投稿するかもしれません。
読了ありがとうございました。




