愛だ恋だなんてわからない
まったくもって常々思っていることだが、こいつは人を尊重することを知らないらしい。ほんとうに日本の高等教育を受けてきたのだろうか。道徳は必修化したばかりだというのに、真面目にノート取ってなかったに違いない。
今度という今度は堪忍袋の尾が切れた。
人としてアウトな気がしたが、腸が煮えくり返った俺はアンティールに一服盛ることにしたのだ。
シジョウ刑場から、マンドレイクを採集し、ドゥメールに戻って三日が経った。
アンティールは約束通り『惚れ薬』を完成させて、ミリアさんに手渡した。無事にクエストを達成した俺たちは、巨額の報酬を手にいれ、俺たちはしばらくは食うに困ることはなくなった。
ある昼下がり。
昼食の昨晩の残りのシチューを腹一杯食べて、腹ごなしに散歩していたら、ミリアさんに呼び止められた。
吹き抜ける緑の風に猫耳を揺らしていた。
太陽が出ている間、彼女は顔を隠すのをやめたらしい。猫耳少女と連れだって血の上の教会前までブラブラと歩いた。
「ねぇ、ヒラサカ。あなたたちのお陰で私の呪いは半分解けたわ」
教会前のクスノキの下、木陰でのんびりしながら雑談する。
「なんで半分かわかる?」
木漏れ日の下、彼女は聞いてきた。
「片想いだからってアンティールが言ってましたね」
正直意味わからないが、理屈を考えるのは苦手なので無理やり納得する、ことにした。
半分というわりには猫成分は耳くらいだし、夜になったら完全に猫に戻ってしまうというのも、理解しがたい呪いだ。
「そうよ。まだ呪いは解けきっていない」
芝生を手で撫でながら彼女は横目で俺を見た。さんざめく教会前の草原を清らかな湖のように澄んだ瞳が写していた。
「真実の愛がほしくて、私は惚れ薬作成を依頼したけど、結局呪いの本質を理解していなかったみたいだわ」
鞄をまさぐり、彼女はガラス瓶を取り出した。細い指を瓶に絡ませ、そっと中身を揺する。
「それって……」
間違いない。アンティールが作り出した惚れ薬だ。謎のエキスの抽出の時、一滴一滴を見守ったから間違いない。
「誰かを愛するのに薬なんて要らないといまならはっきりと理解できる」
ミリアさんは悲しげに微笑むと、太陽の光にそれを透かした。ちゃぷん、と小さく音がする。一人分は物凄く少ない。おちょこ一杯か二杯分くらいだろう。
ピンクの液体が太陽光を優しく遮り、少女の肌に柔らかい影を落としていた。
「この薬はね。私が飲もう思ってたの」
「ええっ、なんの意味が……」
「恋してみたかったの。実はね、私には許嫁がいたの。彼は包帯まみれの私を愛していると言ってくれた。だからその言葉に報いるために私はアンティールに薬を作ってもらって彼を愛そうと思った。だけど違ったのよ」
穏やかな正午だった。協会の屋根には小鳥が止まり、囀ずっている。
「片想いでも呪いは解ける。アンティールに聞いたら、相手からの想いでも有効のはずだって。だったら私の容姿は夜の姿が続くことはなかったはずよ。ほんとうに、ほんとうに愛してくれていたならば」
ミリアさんの瞳にはいつの間にか涙が滲んでいた。
「結局彼もベッセアート家のお金が欲しかっただけなのよ。口先三寸だったってわけ。醜い私なら簡単に絆せると考えたのかしら」
ミリアさんは寂しそうにそう言ってから、「んっ」と伸びをして、立ち上がった。
「だから、フってやったわ。お父様やお母様から文句を言われたけど知ったこっちゃない。もとからあんなやつ嫌いだったし」
ほんとうに嫌いだったら惚れ薬飲んでまで彼のことを愛そうとするもんなのだろうか。んー、年齢イコールカノジョいない歴の俺にはやっぱりよくわからない。
「ねぇ、ヒラサカ。これ、あなたにあげるわ」
「えっ」
ミリアさんはガラス瓶を俺に差し出した。
「ほんとうにいいんですか!?」
これを手に入れるためにあれだけ苦労したのだ。 苦難を乗り越え、ようやく完成させた惚れ薬だ。
貴重な原料に加え、半分は優しさでできているから、量産はできないとアンティールが言っていた。
「ええ。私にはもう不要なものだから」
ミリアさんは白い歯を見せてニカリと微笑んだ。
あれだけのお金を投資し、文字通り命を懸けて手に入れたそれを全く惜しいと思わないなんて、すごく豪胆な人だ。
「ええー、じゃあ……せっかくなんで」
瓶を受けとる。
「でも、ヒラサカ、ちゃんと分かってくれてる? 私があなたに惚れ薬をあげる意味」
顔を紅くして、ミリアさんは上目遣いで俺を見た、かわいい。猫耳。撫でたい。彼女の意思は無駄にしない。
「ええ、もちろん。言われるまでもありませんよ」
「そう、なら良かった」
もちろん、これでアンティールに復讐してやるのだ。
魅了のスキル解放は失敗したが、もとよりあのクソガキさえ虜に出来れば、もとよりスキルなんて無用の長物だ。
とは言ったものの。やはり薬を盛るのは一抹の良心が痛む。
そう思いながら、髑髏の一団のベースキャンプに戻り、入り口を開けた瞬間、
「爆発!」
俺は吹き飛ばされた。
「う、ぐぇえ……」
中央広場まで飛ばされた。凄まじい爆発だ。何事か、と俺たちのテントの周りに他のギルドの人たちが集まってくる。ツカツカとアンティールが歩いてきて、そのまま見下すようにねめつけ、
「シチュー食べたでしょ?」
と開口一番意味のわからない言葉を吐きだした。
「し、シチュー?」
確かに昨日の夕飯はホワイトシチューだった。行商人から牛乳と牛肉を安く仕入れることが出来たのだ。
「正直に言えば回復魔法をかけてあげますよ」
アンティールは右手をつきだした。
どよめいていた観衆は、アンティールと俺の姿を視認すると、「なんだ、またあいつらか」と口々にいってはけていった。
「昨日の晩飯です。明日のお昼ご飯用にと二人分残したでしょ。一晩寝かせたシチューを楽しみにしてたんですよ。それをあなたが全部食べた。認めなさい」
怒りの形相だ。全身が、爆風にあおられ、傷だらけの俺には彼女の怒りを鎮めることができない。
「たしかに食べたけど……」
「ふぅ。……回復」
正直に答えたら、呆れたように鼻をならされた。約束通りとはいえ、不機嫌そうな眼差しのまま、アンティールは魔法をかけてくれている。俺の傷はみるみる癒えていった。
「なんで食べたんですか。私がどれだけ楽しみにしてたか、知ってたでしょ」
アンティールがプリプリと頭から湯気を出しながら激怒している。
「なんでって……」
昨晩、「シチューとかカレーは一晩寝かせるとおいしくなるんですよぉ」と年相応の笑顔で幸せそうにスプーンを動かしていたアンティールを思い出す。ランプの灯りに照らされ、まさに幸せの絶頂といった表情だったが、そのあとに「ただウェルシュ菌っていうのがあって、寝かせたカレーとかシチューを食べると食中毒起こしちゃうんですって。んー、悩みどころですねー。ウェルシュ菌って夏でも冬でも関係ないし、再加熱しても死滅しないやっかいなやつなんですよぉー。んー、それ考えるとー、いま食べちゃおうー!」
「って言ってめっちゃ頬張ってたから、もう要らないのかなって思って」
事情を説明しおわったと同時に爆風にやられた俺の傷もすべて癒えた。やっぱりどう考えても俺は無意味に吹き飛ばされたように思える。
「そんなのその場かぎりの雑談に決まってるじゃないですか! ばかっ、ほんとに楽しみにしてたのに!」
涙目で癒えたばかりの俺の傷をバシンと叩く。
このクソガキ……たったそれだけで、俺に爆発魔法を浴びせたのか?
ふつふつと怒りがわいてくる。いいだろう、そこまで言うなら俺が特別なシチューを作ってやるよ!




