嗚呼、煩わしくは恋煩い
最期はもうただの袋叩きに近い状況だった。倒れ伏したアーサーエリスに執拗に攻撃を加え、なんだか罪悪感を感じ始めた頃、彼は煙のように天に昇っていった。握られていた二本の大鉈が地面に転がる
勝った、勝ったのだ。泥だらけになりながら、勝利の余韻に酔う。
日はすっかり暮れていた。
夕暮れ時のほの暗さのなか、肩で息をしながらミリアさんと見つめあう。お互い必死だったね、と友情にも似た感情を交わし合うはずだったが、
「うおっ」暗闇に目を光らせるミリアさんにびっくりして思わず声をあげていた。
「どうしたの?」
こてん、と小首を傾げて俺を見る猫。
猫。そう、純度百パーセントの黒猫。首から上が完全に黒猫。エジプト神話にこんな女神いたよな、と思わず呟きそうになったが、グッとこらえて「ミリアさん、顔どうしたんですか?」と平静を装って訊ねた。
「どうしたって……なによ?」
ボタンのようにばっちりとした目が俺を写し出している。
「いや、顔が猫に」
「はぁ? さっきから見せてるでしょ。今さら何を言い始めるのよ」
不機嫌を隠そうともせず、ミリアさんは「ふしゃあー」と威嚇するように声をあげた。
「え、えー。さっき、ほら、猫耳の美少女が……?」
「気色悪いこと言わないでよ! 私は生まれてからずっとこの顔よ!」
髭がアンテナのように揺れている。風が毛を撫でるように吹いている。
呪いを背負って来たと少女はいった。しかしながら、アーサーエリスとやり合う前に見た、猫耳少女の姿が忘れられない。夢だったとでもいうのか? いや、まさか。
リンリンと夜虫が鳴き声をあげ始めていた。
展開に理解が追い付かない俺が二の句が告げず鼻白んでいると、
「やあやあ我こそはアンティール・ルカティエー……! って、あれ、もう終わった感じですか?」
と間抜けな自己紹介をしながらアンティールが走ってきた。
とっぷりと日が暮れ、月はおぼろ雲に霞んでいた。星は見えず、夜がその色を濃くしていく。
アンティールは警戒するように一度周囲を見渡してから、杖の先に灯をともした。暗闇にポツリと明かりが点る。
地面に刺さる二本の大鉈を満足そうに眺めていた。
「ほほう。アーサーエリスを倒すなんてやるじゃないですか。もうヒラサカさんのことをクソ雑魚ナメクジとは言えませんね。ザ・ナメクジと呼んであげます」
腕組みしながらふんふんと顎をしゃくるアンティール。随分と上から目線だが、まあ、なんとでも呼ぶがいい。
密かに握りこぶしを作る。
力が漲っているのを感じた。
処刑人アーサーエリスに止めをさしたのは俺だ。彼が持っていた経験値は引き継がれた。そして経験則により、いま全身に溢れるパワーは『崩れ竜』の時と同等かそれ以上だとはっきりとわかる。
つまり、経験値を保持したまま、ドゥメールに戻り、血の上の教会の占いババアに『魅了』スキルを解放してもらえれば、この小生意気なクソガキ、アンティールを手込めに出来るのだ。
フッフッフフッフッフ。
戻ったらこいつになにさせようかとほくそ笑み。まずはいままでのことを謝罪してもらい、奴隷の証として、
額に肉と書いてやろう。
俺の笑みに不信感を抱いているらしいアンティールは「なにニヤついてるんですか、きしょいですね」とストレートに悪口を言った。
「いやぁ、なんでもぉー」
「怪しいですが、……まあいいです」と嘆息ぎみに息をついてから、アンティールは横に立っていたミリアさんをちらりと見た。
「それよりミリアさん、包帯ほどいたんですね」
「あ、ええ。この顔を見せるのは初めてだったかしら」
「そうですねぇ。少し驚きました。七番隊隊長みたいな感じだったんですね」
「……?」
伝わらない例えは止めろと何回も忠告してるのに彼女はまったく聞く耳を持ってくれない。
「あ、そうだ」
俺はアンティールの袖を引き、「なんですか」とジト目の彼女に耳打ちした。
「さっきまで猫耳美少女だったんだけど、いま完全に猫なんだよね」
興味を抱いたようにアンティールは一度大きく目を見開くと、ニタァと頬を吊り上げた。
「それはめでたいですね」
ミリアさんはアンティールの発言に首をかしげた。
「どうやら呪いは半分解けたようですよ」
「半分……、もしかして私のこと言ってるの?」
「ええ。ええ。最初からここまで全部ミリア・ベッセアート嬢のお話ですよ」
「呪いが解けたなんて、どの口が言ってるのよ。私の顔は変わらず獣よ」
ミリアさんは期待したように両手で自分の顔を撫でたが、すぐに、肩をしょげさせた。
「単純な話ですよ。相思相愛でなくても良いのです。片想いでも純粋なる愛と認められただけの話。まあ、解けたのは半分だけってのが皮肉きいてて面白いですね」
「はぁ!?」
ミリアさんは毛を逆立てて叫んだ。
「ななななななにを言ってるのよ、アンティール!」
怒りというよりも戸惑っているようだ。
「お日様の光を浴びている間だけはミリアさんの持つ耐呪力が高まるので、半獣でいられるものの、完全に呪いが解けたわけではないので、日の光が遮られることにより、元の猫に戻ってしまうんでしょう」
「アンティール、なに言ってるのかぜんぜんわからないぞ」
「ニブチンは無理に理解しないでいいですよ。ともかく日が暮れたのでミリアさんは猫に戻ったんです」
「なるほど、そういうことか」
理解することを諦めた。こういう理屈や理論をぶっ飛ばすのがファンタジーであり、深く考えるとドツボにはまることを俺は知っていた。それはそういうもんなんだな、と話し半分に理解しておく方がいい。
「ちょ、ちょっと、アンティール、違うのよ」
「いいんです、いいんですよ、ミリアさん。まさかこんなことになるなんて予想だにしていませんでしたが、まあ、あり得ない話ではありまさん。蓼食う虫もすきずき。まさか、こんなくそ雑魚なめ、あっ失礼、ザ・ナメクジにねぇ……」
公園で遊ぶ子どもを眺める母親のようなやさしい瞳のまま頷いている。よくわからないがバカにされたことだけはわかった。が、いまの俺はニタニタ笑い続けるアンティールの挑発に目くじらたてるほど、余裕がないわけではなく、むしろ逆に慈愛の念をもって接することができた。
もうすぐこいつは俺を敬愛するようになるのだ。くくく、楽しみだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいです。惚れ薬はきっちり作りますから報酬はくださいね。契約書交わしてなくても契約ですからね!」
「それは、もちろん、そうだけど……」
ミリアさんが所在無げに後頭部を掻いた。
「それじゃあ、早速マンドレイクの採集を始めますか」
アンティールは機嫌良さそうに鼻歌まじりに歩き出した。どこかで聞いたことあるリズムだな、と首を捻りながら俺も歩きだす。あぁ、そうだ。昔流行った邦楽だった。




