豚
「それしても腐れ豚の討伐だけでこんなに貰えるならボロい商売だな。依頼主は相場を知らなかったのかね」
「そうかもしれませんー。さっ、準備しましょ」
ノールスタッド畜産場と書かれた木の看板が見えてきた。柵はボロボロで雑草が多く繁っている。運営していないのは明らかだった。
アンティールは歯を見せて笑い、俺の肩に手のひらを乗せた。五歳児相当の背丈なので、つま先立ちだ。プルプル震えている。言ってくれれば膝をおるのに。
「鈍痛」
温かな空気が流れ、俺の体から白く淡い光が発しはじめる。痛み止めの魔法だ。我らがギルド、髑髏の一団の基本線術である。死んでも甦るとはいえ、痛いのは嫌だ、と抗議したらアンティールがかけてくれるようになった。
「まあ、たかだか豚ごときに負けるとは思えませんが、念のためです」
畜産場跡地のボロボロの小屋が見えてきた。あまり大きくは無いが、死角がかなりあるので、気を付けなくてはならない。
「それじゃあ、先陣はお任せしますね。私は後ろからついていきます」
「ああ」
魔物には一番近くにいる人間を襲う習性がある。なので、不死スキルを持っている俺を先頭にして、魔物を誘いだし、頃合いをみてアンティールが遠距離魔法で撃ち抜くのがいつものやり方だ。
柵を乗り越えて、掘っ立て小屋の朽ちかけたドアに手をかける。念のため木でできた盾を構えている。『両利き』は便利だ。錆びた蝶番が軋む音が不気味に響き、ムアッとした熱気と淀んだ空気が頬を撫でた。まるっきり廃墟だ。お世辞にも綺麗とは言えない空間である。
ボロボロの天井に空いた虫食いのような穴から、太陽の光が漏れていた。
床には干し草や腐敗した豆類なんかが転がり、すえた臭いが鼻をつく。薄暗く、全体を見渡せなかったが、カサカサと物音がするので、腐れ豚がどこかにいるのは確かのようだ。
「もっと奥に行って下さいよ」
アンティールが俺の背中を軽く小突いた。確かに入り口でたむろしていてもなにも始まらない。ゆっくりと慎重に右足を前に出す。次いで左足。異常はない。
「なんかおかしくないか。腐れ豚いないけど……」
気配はするが、姿が見えない。
「たしかにそうですね。ここはやはり思い切りが必要なんじゃないでしょうか」
「む。どういうことだ?」
「こーゆーかんじです」
「わっ!」
思いっきり背中を蹴られた。勢いに負け、小屋の真ん中で、腹這いに転んでしまった。鎧の胴当てが腹部を打ち付け、「うっ」と声が出てしまった。うまく出来ない呼吸を整えてから、俺は入り口で杖を構えるアンティールを睨み付けた。
「なにすんだ!」
「作戦成功!」
可笑しくてたまらないといった風に、アンティールはケラケラと笑い、杖を頭上に掲げた。
「ぶひぃ!!」
獣の鳴き声が鼓膜を揺らした。
「ぶひぃ!!」「ぶひぃ!!」「ぶひぃ!!」
いくつもいくつも、折り重なって。
「え」
濁った獣の瞳が無数に並んでいる。
「ぎゃああああ!」
暗闇から顔を出し、俺に向かって突進してきた腐れ豚は一体じゃなかった。数えきれないほど大量の豚、豚、豚、豚。
あまりの多さに数えられない。なにより、豚に襲われ、身動きとれなくなった俺にそんな余裕はなかった。
「あ、アンティール、た、たすけ」
痛みはないが恐怖はある。蟻の巣の前に転がるカナブンの死体みたいだ。
「ダメに決まってるでしょ。我慢です。もうちょっとだけがんばって」
豚の鳴き声の合間にアンティールの無邪気な笑い声が聞こえてきた、視界が真っ赤に染まりはじめる。それが血なのか、それとも爛れた豚の皮膚なのかはわからなかった。
「お、ぉまえ、だましたな、こんな、いるなんて!」
豚の肉に圧迫死しそうになりかけた時だった。
「いいですねぇ。だいぶ引き付けてくれました。そのままですよ! 爆発!」
ドガンと耳をつんざくような轟音が響き、体全体が熱気に包まれる。豚の悲鳴と香ばしい香りが漂う。
「ぷぎいいい!」
ステーキの匂いだ。肉汁が弾ける音と火が燃える音。
熱。熱。熱。
まさか、圧迫死を覚悟した矢先に焼死の危険を感じるとは、と何度目かの死の恐怖を感じていた俺の焦りは数秒ほどで収まった。
魔法で作られた炎が燃え付き、辺りにはただ火傷を負い、焼死した腐れ豚の大群が転がるだけだった。
「おー、今回は死ななかったんですねぇ。成長したじゃないですか。豚に負けたら豚以下になるところでしたよ」
アンティールが愉快そうに手を叩いた。痛みは無いとはいえ、ダメージは多大だ。体が燃えている。
「おまえ、俺を、囮に」
喉が焼けて、上手く声が出ない。
「いやいやとんでもない。使える駒を使用しただけですよ。それにしても燃えてる人始めて見ました。へぇ、こーなるんだ。キモいですねぇ」
「は、はやく、なお、」
「んー。私、回復魔法得意じゃないんですよね。やれなくもないですけど……」
下唇に人差し指を当てて、アンティールはわざとらしく困ったように少しだけ首をかしげた。
「は、はやくしないと、死……」
せっかく稼いだ経験値がパーになってしまう。
「えい」
「は?」
「回復するより、一回死んだ方が手っ取り早いですよ」
「な……」
アンティールの持っていた杖の先の針が俺の胸を射ぬいていた。
「おま、……」
意識が霧散し、何度目になるかもわからない死の感覚が足元から立ち上ってくる。くそ。
悪態をついて、数秒、俺はすぐに意識を取り戻した。外傷などは一切ない、昨日ベッドに潜り込んだときと同じ状態で目が覚める。死ぬと状態異常なんかもリセットされるのだ。
起き抜けに、俺はアンティールを押し倒した。
「わっ」
可愛らしい悲鳴を上げて、床に組み倒されるアンティール。その表情は余裕で溢れていた。
「ちょっとぉ、なにするんですか。汚いですよ」
「お前、知ってたな。腐れ豚が大量にいるって」
「そりゃクエスト条件に書いてありましたからね。あれ、ひょっとして読んでなかったんですか」
心底可笑しそうに彼女はケラケラと笑った。意図的に情報を伏せていたに違いない。
「マジでいい加減にしろよ。死にたくないって言ってんだろ」
「死にたくないなら死なないように努力すればいいじゃないですか。ヒラサカさんは贅沢ですよ。死にたくなくても死んじゃう人が大勢いるのに、死んでも死なない能力持ってるんですから」
幼い少女の容姿をしているとはいえ、呆れたようにため息をつくので、頭に血が上った。あまりにも細い彼女の首に手を回す。
「効率的かつ合理的に物事を解決しようとしてあげてるのに、なんでわからないんですかねぇ」
殺す勢いで首を絞めてるのにまったくもって彼女の表情は平穏そのものだ。
「まあまあ落ち着いてください。クエスト達成報酬で焼き肉でもおごってあげるから許してくださいな」
「う」
どん、体を押されて、馬乗りになっていたはずの俺は押しどかされた。
「なんで……」
「肉体強化の魔法ぐらい使えますよ。そもそもにして、ヒラサカさんごときが私に勝てるはずないじゃないですか。学んでください」
「くっ」
ぼん、と空気が弾けて俺は吹き飛ばされた。背後の壁に叩きつけられ、息も絶え絶えになりながら、睨み付けると、スカートの埃を払いながら、浅くため息をつくアンティールと目があった。
「はい、私の勝ち。なんで負けたか明日までに考えといて下さい。そしたらなにかが見えてくるはずです」
すごい腹立つ。
「それより問題はそれですね」
せせら笑いを浮かべながら彼女は俺の股間を指差した。「え?」クエスチョンマークを浮かべながら目線を落とすと、秘部が露出していた。
「きゃあ」
「……なに乙女みたいな声出してるんですか。裸の男が女の子に襲いかかったんですよ。事件ですよ、事件」
「……ごめん」
気付けば素直に謝っていた。くそう、こんなはずでは。
「はぁ、仕方ないですね。今度肉体の修復と共に服も再生する魔法服を買ってきてあげます。さ、帰りましょ」
『帰還』のスキルを手に入れる前に、俺はこの女を殺してやろうと密かに決意を固めた。




