消えかけの夏
「ミリアさん!」
殺気を感じた。完全にロックオンされている。
撤退が得策だろう。彼女に声をかけたのだが、伝わらなかったらしい。号令と勘違いしたらしいミリアさんは大きく「ええっ!」と返事をすると、持っていた銃の照準をアーサーエリスに合わせて、躊躇うことなく引き金をひいた。
パンっと短い発砲音が小さく響く。
牛歩に近い歩みからは想像がつかないすばやい動きで、手に持っていた鉈に銃弾は弾かれた。ガキンと火花が散り、ビリビリと空気が震える。一切ダメージを感じさせない確かな足取りで尚もアーサーエリスは近づいてきている。
「くっ」
悔しそうに歯軋りをし、ミリアさんは尚も撃ち続けた。二発三発と連続でアーサーエリスの顔、腹、足狙って撃たれたが、いずれも防がれて、歩みを止めるどころか、よろめかせることすら出来なかった。
「なんてっ反応速度なの!?」
ミリアさんが悔しげに呟いた時だった。アーサーエリスは大きく跳躍すると、落下の勢いのまま、俺たちに突っ込んできた。
こうなると手がつけられない。
ダッシュで逃げるのが最善手だと思ったのに。後悔がよぎったが、腹をくくるほうが先だ。
振りかざされる大鉈、持っていた刀を横に構えて一撃を防ぐ。
「ぬぉっ」
あまりにも重い。衝撃に転びそうになった。
幸いにして、刀が折れることは無かったが、力で押し負けそうになった。こんなことなら『筋力』のスキルを解放して置けばよかった。
貧血ぎみで頭もふらつくし力が入らない。
ギリギリと上から圧力をかけられるように潰されそうになる。俺の体がまっぷたつになる未来は近いだろう。
「この距離ならどう!?」
近くに立ったミリアさんはアーサーエリスのこめかみに銃弾を連発で撃ち込んだ。短い銃声がいくつも響き、硝煙が上がる。アーサーエリスの被っていた、ズタ袋が赤黒い出血に染まっていく。
よろめくこともうめき声をあげることもないので、見た目にはダメージを負った風には見えないが、微かに俺の刀を押さえつける力は弱くなった。
またとない好機だ。
全身の筋力を奮い立たせ、爆発させるようにアーサーエリスの大鉈を弾き返す。
ここだ。
まさか俺にそこまでの力が残っていたとは思わなかったのだろう、アーサーエリスは、上体を少しだけ仰け反らせた。
上を向いた顎の下の首筋に目掛けて、返す刃で切りかかる。
とった!
と、思った瞬間、ズルリと滑った。
「え」
今朝がたまで降り続けた雨で、地面はぬかるんでおり、ここぞというときに、俺は足を滑らせたのだ。
なんて、間抜け……と後悔が脳裏を掠めた瞬間、ダンっと、肩口に衝撃を感じた。
「あ?」
鉈が食い込んでいる。
やつの方が素早かったらしい。
「っく」
痛みは無いが、自身の骨が砕ける音と血が噴き出す音を聞くのは精神的によろしくない。
どうせ捨てるほどある命の一つだ。
ならば、ここで相討ちを狙うのが賢い選択のはず。
「うぉおおおおー!」
気合いの雄叫びで傷をごまかすように、アーサーエリスの顎に切りかかるが、
がつん、と鉈が貫通し、
俺は自分の右半身がベーコンみたいにペランと垂れたのを、消え行く意識で確認した。
すぐに甦る。時間にして十秒も経っていないだろう。網膜に飛び込んできた映像を解析し、瞬時に状況を判断する。
俺を始末したアーサーエリスは次の標的に狙いを定めていた。死体には見向きもしなかったらしい。スキだらけの背を俺に向けていた。ミリアさんはジリジリと後退しながら、銃を打ち続けている。アーサーエリスはそのほとんどを事も無げに防いでいた。
目についた泥を手首で拭い、俺はゆっくりとアーサーエリスの視界に入らないよう慎重に立ち上がった。
俺の復活に気付いたらしいミリアさんが小さく「あ」と声をあげた。もうこの人ほんと迂闊、後で文句を言おう、と背後からアーサーエリスの脳天に渾身の一撃を叩き込む。
がつん、と音がした。すんでのところ防がれてしまった。アーサーエリスは俺が甦ったことに対してなんのリアクションも見せず、当たり前のように刀だけを押し返した。不意をついた一撃だったのに完全に対応されてしまったのだ。これは些かショックだ。やはりこいつ、ものすごく強い。アンティールが戦闘を避けろっと言ったのも頷ける。今からでも遅くない、逃げよう。こいつだって侵入者に対して切りかかってきただけだから、そこまで怒っていないはずだし、逃走も許してくれるはずた。
「へへっ、見た!? これがヒラサカ! あなたのようなちっぽけな怨霊とは違うのよ! 何度でも甦るんだからぁ!」
ミリアさんが遠くから大声をあげた。なぜこっちの手の内を明らかにするのだ。
穏便にことを済まそうと目論んでいた俺の胸部にアーサーエリスが鉈を突きつけてきた。辛うじてかわすが、脇腹を切られてしまった。完全に殺意が込められて、
「痛っ!?」
あれ?
「いてぇえ!」
痛いぞ。なんだ。
どくどくと溢れ出る血液の熱を脇に感じる。力も抜けて、握っていた刀も落としてしまった。肉と肋骨が抉られたのがはっきりとわかった。
「え、なんで?」
痛い痛い痛い。なんだ、どうなってるんだ。アンティールの魔法はどうなったんだ。
「ひっ……」
痛みで動けない俺に再びアーサーエリスの大鉈が振りかざされる。反射的に両手で顔を守ったら、指がバラバラと花吹雪のように中空に待った。
「ああああー!」
あまりの痛みに泣き叫ぶ。久方ぶりに感じる痛みの奔流に忘れかけていた死の恐怖が襲いかかる。
そうだ、鋭い痛み、鈍い痛み、苦しみ、悲しみの先に待つのが死だったはずだ。
アンティールの魔法で忘れたふりをしてたんだ。
でも、なんで痛み感じるんだと、全身に襲いくる暴力の嵐のなかで考えた。
「あっ」
飛びかけた意識の隙間で、アーサーエリスの体から霧がゆっくりと噴き出し始めたのが見えた。
おそらく俺とミリアさんの異変に気付いたアンティールが、温風の魔法を解除して、こっちに向かい始めたのだろう。
ああ、そうか。
と、納得したところで、多量に血を失い過ぎたらしい、視界がブラックアウトした。
おそらく死亡するとかけられていた補助魔法は自動的に解除されるようになっているのだろう。いままでは復活後もすぐにかけてくれるアンティールが近くにいたから、問題なかったが、今回はそうもいかない。
痛みも苦しみも全部前の死亡に置いてきた俺は再びアーサーエリスと対峙する。
風が凪いだ中庭に霧がゆっくりと立ち込めていく。
ずだ袋の隙間から覗く眼光に射殺されそうだ。
死んでも甦る。わかってはいるが、死ぬのは嫌だ。
いや、より正確に言うなれば、痛いのが嫌なのだ。当たり前だ。生物は痛みに恐怖するようにできている。「哺乳類は痛がり屋ですね」とせせら笑いを浮かべながらアンティールはいつも『無痛』の魔法をかけてくれたが、頼りの少女はまだだいぶ向こうにいる。
俺が踏ん張るしかない。
ミリアさんの前に立つ。彼女を死なせるわけにはいかない。
でも、だけど、
「ううっ!」
俺だって死にたくない。先ほどの痛みを思いだし、震えがおきた。奥歯がガチガチとなる。
がつん、振り下ろされた一撃を先ほどと同じように、刀を横にすることでなんとか防ぐが、腰が砕けてしまい、情けないことに、その場に膝をついてしまう。
「うわあああ!」
またさっきと同じように切り刻まれるのだけは、勘弁だ。
俺はほとんど本能的に持っていた刀を振り回したが、そんながむしゃらな攻撃が当たるはずもなく、すべて防がれてしまう。
「食らえ!」
俺の半歩後ろに隠れていたミリアさんが銃を構えて発砲した。
「!?」
凄まじい衝撃音に空気がビリビリと震えた。アーサーエリスの肩口に命中しただけなのに、大きくよろめいた。
「よしっ、効く!」
視界の端でガッツポーズしているのが見えた。
「安心して、ヒラサカ! 取って置きの弾丸を装填したわ。『銀の銃弾』……これならやつにダメージを与えられる。二人で協力して倒しましょう!」
光が指したような気がした。
これなら、やつを討ち取ることができる。
俺が近距離でアーサーエリスを攻撃し、遠距離でミリアさんが殺る。髑髏の一団の基本戦術だ。
「よし、やってやりましょう!」
刀をつきだす。
すでに体制を整えていたアーサーエリスに大鉈を盾にして防がれる。ここまでは想定通りだ。
「いまです!」
「倉らえっ!」
銃声。放たれる銃弾。真っ直ぐアーサーエリスの脳天に。
ぶち当たり脳漿を地面にぶちまけるはずだったのに、
「え」
事も無げに防がれる。
「あ……」
そうだ、こいつ、両手に鉈を持ってやがった、と気付いたところで、俺は首と胴体を二つに分かれさせた。
ぐりんぐりんと視界が回転する。
また死んだ。何回死ねば許されるんだ。
目まぐるしい景色の一端に、悲しそうにミリアさんが涙を流しているのが映った。




