見えないものと見てるものと
アンティールの温風魔法のお陰で、視界は良好になったが、生暖かい風が吹くばかりで、お世辞にも過ごしやすい環境とは言えなかった。額に汗がにじむ。曇り空なので日差しは出ていないが、風が強い真夏日のようだった。
中庭はというよりも校庭のようだ。
思った以上に広い。
「アンティールは何て言ってたんだ?」
なんだかんだで気になるのでミリアさんに訊ねる。
「なんでもないわ。マンドレイクは必ず一人きりの時に抜くように言われたの」
「ふぅん。なんかあるのかね」
「……さあ」
ミリアさんは遠くを見るように目を細めた。
「ところであなたはなんでアンティールのギルドに入ったの?」
「生きるためには仕方なく……」
「いまからでも遅くはないわ。他のギルドに転籍しなさい」
「……なんで?」
かねてより思ってはいたが、他人の口から言われるのははじめてだった。
「彼女はたしかに優秀よ。それ故、人を傷つけるのを厭わないのもたしか。でもあの子は絶対に取り返しのつかないことはしてこなかった」
「まあ、たしかにそうかも」
「だけど不死スキルを持ってるからこそ、あなたに対しては歯止めがきかなくなっているように見えるの」
「俺にたいして、ですか?」
「笑顔で人に死を強いるような子じゃなかった……」
ミリアさんの瞳はどこか悲しげに揺らいだ。
アンティールの作り出した風は砂漠に吹く熱い風のように中庭に吹き抜けている。茶色の短い枯れ草が風に揺れ、侘しさを漂わせていた。
「あなたたちが一緒にいると負の方向に進んで、いつか戻れなくなるんじゃないかと思うの」
「……」
それは違う。
俺たちは元の場所に戻るために一緒にいるのだ。
ただ平穏な世界を目指している、それだけ。
「だから、あなたたちは離れるべきよ」
「離れても、俺には行くあてがありません」
「私と来なさい」
「え」
「ベッセアート家に仕えてくれれば、厚待遇であなたを迎えると約束する」
包帯のため表情はまったくうかがい知れないが、けして悪い提案では無いだろう。短い人生経験だが、ミリアさんは誠実な人だと、思う。
彼女は立ち止まって、右手を差し出してきた。
「……」
いや、ちょっとまて。
誠実な人が惚れ薬作ろうと思うか?
大体にして、ベッセアート家は武器商人らしいし、開発も行っている。
俺をほしがる理由は一つだろう。ヘッドハンティングなどではない。新兵器の実験台だ。魔物にいいようにされてきた苦い記憶がよみがえる。
ごめん被る。
「すみません。提案は嬉しいんですけど……」
「そう……」
ミリアさんは手を下ろし、小さく息をついた。
「アンティールがいいのね」
「あいつと俺は同じ穴の狢なんです」
「むじな……?」
馴染みのない動物だったか。いや、俺も見たことはないけど。
「この世界がどんなに歪んでても残酷でも、俺とアンティールだけは同じ景色を見てるんです。望んでるんです。だから、離れるわけにはいかない」
いつか一緒に帰る。アンティールの容姿は変わってしまったが、きっと向こうの家族は受け入れてくれるだろう。
「素敵ね。そういうの」
寂しげな瞳でミリアさんが静かにうつむいた時だった。
「危ない!」
突如として、岩場の影がゆらりと黒子のように起き上がったかと思ったら、人の形を無し、手にした刀を振りかざした。
ミリアさんは突然のことで硬直してしまっている。半ば反射的に彼女を押し退けた。
「痛っう!」
いや、痛みは気のせいだ。アンティールに無痛の魔法をかけてもらっているの で、たとえ切られたとしたも何も感じない。
影の刀が俺の手首を掠り、血が吹き出した。
先ほど魔方陣を作成のために切った傷口が開いてしまったようだ。
「うおっおー!」
俺は間抜けな雄叫びを挙げて、ミリアさんに襲いかかった黒い影にタックルした。影が武器を地面に落とす。
しめた! と手を伸ばしてそれを拾おうとするより先に、中庭にパシュンと空気が抜けるような銃声が響いた。
「あ、ナイスショット……」
影の眉間に穴が開き、向こう側の景色が見えている。
どうやらミリアさんが持っていた銃で影を殺害したらしい。
地面に倒れた影は身に纏っていた衣服をその場に残し、煙のように消滅した。消え際を見るに魔物だったのは間違いなさそうだ。
「ヒラサカ! 大丈夫!?」
ホルスターに銃をしまいながら、ミリアさんが俺に駆け寄ってくる。銃いいな。俺もほしいな、と思いながら「大丈夫です」と返事をする。
「ミリアさんこそ大丈夫ですか?」
「私は平気よ。ごめんなさい……」
「ケガが無くてよかった。……こいつがアーサーエリスですかね」
「いまとなっちゃわからないわ。ただの地縛霊に見えるけど……」
地面に転がる刀を見下ろしながら呟く。処刑人というよりは暗殺者という感じだ。油断はしていなかったが、深手を負ってしまった。
「ミリアさん、血が出てます」
彼女の顔の包帯は血がにじんで真っ赤に染まっていた。
「これはあなたの血よ」
「あ。そうか」
右手に目線を落とすと、どくどくと地面に血が垂れていた。地面に出来ていく赤い水溜まり。
「じっとしてて!」
ミリアさんはそう言うとその場に膝をついて俺の右手をそっと持ち、止血処理を施してくれた。懐から取り出した包帯を慣れた手つきで巻いていく。
「大丈夫?」
心配そうな瞳を滲ませて真っ直ぐに彼女は俺を見つめた。痛みはないのでわからなかったが、適切な処理なのは確かだろう。指も動くし、動作に問題はない。
「ああ、俺は平気ですけど、ミリアさんこそ包帯変えた方がいいんじゃないんですか?」
「む。たしかにそうね」
彼女の顔の包帯は俺の血がベッタリと付着しており、見た目も不衛生だった。ミリアさんは浅くため息をつくと後頭部の結び目に手をかけた。
「向こうむいてましょうか?」
「なんで?」
「いや、包帯代えるときに見られるの嫌かなぁ、って思って」
「……もう代えなんて無いわよ」
「あ、すみません」
代えの包帯を俺の傷口の処理に使ってしまったのだろう。悪いことをした。
「なんで謝るの。私はあなたに助けられて感謝してるの」
ミリアさんは小さく頭を下げてから、包帯をほどいた。白い包帯がフェリーの出港を見送る紙テープのように地面に落ちて、風にさらわれていった。
良くできた映画のフィルムをコマ送りで見ているような美しく精錬された所作に思えた。




