キミの名前はなんだっけ
廃墟は虫が多い。蜘蛛やゲジゲジに似た生物がジッと壁に貼り付いている。眺めているだけで全身の毛穴が開くような気持ち悪さを感じた。
「ここまで順調にこれたな」
「ミリアさんのお陰です」
ミリアさんは俺達とはルートで元刑場に足を踏み入れており、中に巣くうモンスターを惹き付ける役目をやってくれている。
あとは俺達が死刑執行人アーサーエリスを撃退し、マンドレイクを入手すればミッションクリアである。処刑場として運営されていた現場は中庭にあるらしく、マンドレイクが生えるとしたらそこになるだろう。
建物内は至るところがひび割れ、滲み出た雨水で苔むしていた。建物内部は複雑に入り組み、迷路のようになっている。すきま風は冷たい。おまけに牢番だった獄吏や、閉じ込められたまま生涯を終えた囚人などの亡霊が、廊下をうろちょろしているので、油断はいっさいできなかった。
いまはアンティールと二人だから恐怖を感じることはないが、一人きりだったら、発狂していたところだろう。修学旅行で行った戦慄迷宮を彷彿とさせた。
こんなところで単独行動を平然とできるミリアさんの肝っ玉の太さは驚きだ。
彼女はもともと冒険者で武器の扱いにはたけているらしい。
ベッセアート家は、商売道具の使い勝手をみるために、当主自らの手で実戦をこなすことを家訓としており、それが故、腕利きの冒険者として知られていた。
「ヒラサカさん、前方に刑吏の亡霊がいます。頼みましたよ」
アンティールが「おはよう」と挨拶するようなのんびりとした発声で前方を指差した。
「お、おう」
名だたる冒険者に名を連ねるミリア・ベッセアート。
魔導院屈指の天才アンティール・ルカティエール。
一方の俺はというと武道の選択授業に剣道を選んだだけのド素人だ。
「ふぐぁ」
「ああっ、また刺されて死んだ!」
刑吏の背後から致命の一撃を食らわそうとしたら、足音でばれて居合い切りされた。
スキルを持っていても防御のほうはからっきしなので、その道の達人に勝てる見込みはない。結局いつもの通りだ。俺がオトリで敵を引き付け、引き付けられたモンスターを魔法でアンティールが始末する基本戦術。
それを俺たちの間では『順調』というのだ。
「もうグズですね。死んでばっかりで先に進めないじゃないですか」
二度目の死亡を経て、アンティールに叱咤されながら、歩みを進める。これもまたいつも通り。
「そういうお前はどうなんだよ」
「どうってなにがですか」
再生したばかりの右腕をさすりながら訊ねる。俺を殺した亡霊はいつも通りアンティールの遠距離魔法で消滅した。
「女子の選択授業ダンスだっただろ?」
「……急に前世の話振らないでくださいよ」
俺にとっては今世だ。
「剣道選んだ俺でさえ、ボロボロに負けるんだから、アンティールなんて一発で死んじゃうだろ」
「聞き捨てなりませんね」
アンティールは不服そうに唇を尖らせると、
「こう見えても私は魔術の深淵を極めた女。ヒラサカさんとは戦いの年季が違うんです。よろしい。たまには私が前線に出ましょう」
と、俺を押しのけて、一歩前に出た。
「ああ。ごめん、挑発したんじゃなくてよ。少しは俺を労れって言いたかったの。いくら不死でも死ぬのは怖いからさ」
「再三再四言ってますけど、弱いから死ぬんですよ。所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。死にたくないなら生きる努力をすれば良いんです。ヒラサカさんはどうせ甦るし、とどこか自分の命を蔑ろに扱ってるんです。命は一つだけなんです、だからみんな一生懸命油断せずに生きるんですよ。わかったら真面目に生きてください」
「いや、生きてるよ。死にたくないっての」
「今日ここに来て二回死んでますよね」
アンティールは鼻で笑って肩をすくめた。よろけて手をついた壁は黒ずんでいて、手のひらが煤で汚れてしまった。中指の上でヤスデが這っていた。潰さないでよかった。
「普通の人は死んだらそこでおしまいなんですよ。油断を後悔する次の人生なんて存在しないんです」
「それはそうだけど……ここの敵めっちゃ強いし……」
「感覚の目でよーく見てみてください。怨霊は過去の魂の残滓。パターンを変えることはありません。侵入者に対しては予め決められた動きをするだけです。そこが生物との決定的違い」
「なにをばかな」
「例えば無抵抗の敵に関して、彼らはまず右、右、左、フェイントをいれてまた左、はは、ホントに機械みたいな奴等です。観察してればすぐに気づけますよ。パターンを覚えるんです」
冗談だと思って笑い飛ばそうとしたとき、奥の曲がり角から刑吏の怨霊が西洋刀を持ってダラダラと歩いてきているのが見えた。
「ちょうどいい機会です。ド三流、あなたと私の格の違いってやつを見せてあげます」
アンティールは鼻を鳴らして、一歩前に出た。
「やあやあ我こそはアンティール・ルカティエール。バラシムの第一子にして、髑髏の一団、団長!」
突如大声をあげたアンティールは謎に自己紹介を大声でした。
「な、なんだよ、急に……」
そんな名乗りをしては敵を引き付けるばかりか、せっかくの先制攻撃のチャンスも失われることになる。
アンティールは横目で俺を見て、
「歴史的に見て、刑吏は公務として武家の一族が執り行っていたんです。つまり彼らは騎士道に準じる霊魂であり……」
「やあやあ我こそは……」
「ビンゴ!」
刑吏がアンティールの自己紹介に答えようと声をあげた瞬間、少女の握っていた杖の先からレーザービームが照射され、怨霊の眉間をうがいた。
うわっ、卑怯が極まってる。
「あ」
そこから光が発し、氷が溶けるように消えていく刑吏。いまのはなんだ。名乗りをあげているときに倒すなんてマナー違反な気がする。
アンティールは生欠伸を噛み殺したような退屈そうな表情で、「攻略法がわかってしまったゲームはつまらないですね」と宣った。




