声を届けて名前を呼んで
地上では珍しく雨が降っていた。
肌にあたる霧雨が心地よい。全身に付着していた汚れがシャワーのように流されていくのを感じた。
真夜中だった。月明かりは曇天に遮られ、暗闇のなか、全身をずぶ濡れにした。
周囲を見渡す。
雨に緑の香りを際立たせる植物に、誰かが意図的に並べた岩石郡、薄汚れた看板を見て、改めて一息つく。
間違いない、ここはドゥメールの入り口だ。
顔についた雨粒を払い、一歩目を踏み出す。いくつものギルドが夜営しているテント群が見えてきた。
夜更けらしく、いつも騒がしい中心広場も寝静まっている。
雨足が強くなっていく。ぬかるみに足をもつれさせながら、『髑髏の一団』の青色の小さなテントを見つけた。
少しだけ緊張しながら入り口を開く。
しわくちゃの寝袋に、弓矢やランプ、
出発したときと変わらぬ景色が広がるはずだったが、
「え」
そこにあるはずのアンティールの肉体はなかった。
「……」
やはり『虚ろの大穴』での戦いで死んでしまったのだろう。間に合わなかったのだ。俺の切断されたはずの腕もなかった。不死スキルで再生が行われる際、古い肉体は新しい肉体ができると共に消滅するのだ。理屈はよくわからない。
床についた乾いた血を見て、ため息をつく。なんにしても時間をかけすぎた。崩れ落ちるように俺は寝袋に倒れ込んだ。
疲労が限界だった。全身が重く、ダルい。うつぶせに寝っ転がったら、疲れが地面に溶けていくような気がした。
それでも、生きていくしかない。
まどろみの縁に立つことなく、意識はすぐに霧散し、深い眠りに落ちていった。
次の日も雨は降り続いていた。
「傘がない」
というよりも買うお金がない。
疲れはとれたが、気だるさは抜けない。重い足取りのまま、クエスト発注所に向かった。
建物の中は相変わらず平和そのものだった。昼間から酒を呷る暇人どもが、博打を打ちながら下品な笑い声をあげている。ドゥメールについた旅人はみなここにたどり着くことで安心するのだが、いまの俺にとっては安寧は望まぬものだった。俺が望郷の念を抱くのは、生まれ育った日本の地方都市だけだし、隣にアンティールもいないんじゃ、ノスタルジックな気分に浸ることもなかった。
「あっ、おにいちゃん!」
長椅子に座っていた女の子が入り口に立つ俺を見つけて嬉しそうに二つ結いを揺らしながらかけよってきた。
俺とアンティールに依頼を出した子だ。
「ね、どーだった?」
少しだけ不安そうに俺のことを上目使いで見つめてきた。
「ああ。すごい疲れたよ。ほら、これ」
文句の一つでも言ってやりたかったが、全面的に悪いのはアンティールだ。
「わあー! ジョニーだ! お帰りジョニー!」
俺の手から引ったくるようにぬいぐるみを取ると、女の子は心底嬉しそうにぎゅっと抱き締め、花が咲く笑顔を俺に向けた。
「ありがとう! ほんとにありがとう!」
「ああ、いいよ。今度は失くさないようにね」
夢の国のネズミは異世界でも子供を笑顔にできるらしい。
「うん! あっ、そうだ、おにいちゃん、あのおねぇちゃんは?」
アンティールのことを言っているのだろう。目を合わせるのが気まずくなって俺は自分の爪先を睨み付けた。
「他の任務で別のところに行っちゃったよ」
「えー、なんだぁー! お礼言いたかったのに」
女の子はぷくぅとふくれ面になって唇を尖らせた。そんな彼女の頭を優しく撫でる手があった。
「こら、アリアン、あんまりおにぃさんを困らせるなよ」
「はぁい」
どうやら父親らしい、伏せていた顔をあげ、少女の父と目がある。
「あ」
武器屋のケルヴィンだった。
「お宅らには本当に悪いことしたな」
ケルヴィンは娘のアリアンに遠くに行くように言い、彼女が別の子供と遊び始めたのを見届けてから、深々と頭を下げた。
「アリアンがまさかクエストを発注するなんて思わなくてな。それはしてもお前らもよくあの程度の報酬で虚ろの大穴に降りようと思ったな」
「……アンティールがやろう、っていったからね」
「そうか、嬢ちゃんか……」
呟いてから、ケルヴィンは顔を上げた。
「アンティールのことは残念だった。なんだかんだであの子は……うん、優しい子だった」
なんか自分に言い聞かせてないか?
「まあしかたな……ん?」
ちょっと待て、なんでこの人、アンティールがもうこの世にいないって知ってるんだ。
「かえすがえすも無念だった」
一人ごちるケルヴィンに俺は慌てて訊ねた。
「あんたなんでアンティールが死んだことを知ってるんだ?」
「ん。ああ。昨日の晩、お宅らギルドのテントから死体が見つかったんだ。嬢ちゃんの知り合いが見つけたらしいんだがな」
テーブルには水が入ったコップが置かれていた。一口ついてから続けた。
「行方不明のお前が殺したんじゃないか、と疑惑が上がってたんだぞ」
「ええっ!」
慌てて周囲を見渡す。のんべんだらりの吹きだまりといった感じで殺人事件の緊張感はなかった。
「ああ、安心しろ。疑惑はもう晴れてる。アンティールの死体は綺麗なもんで外傷もなかったし、うちの娘がお前らに依頼を出したと証言したからな。クエスト中の事故と判断されたよ」
「アンティールの、その、死体はどこにいったんだ?」
「自警団が持っていったさ。魔術師の死体はそれだけで価値がある。アンティールレベルの遺体なら、死霊師がほっとかないだろ」
死体ではない。
外傷が無かったとケルヴィンは言っていた。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
アンティールが使用していた『幽体化』は輪廻の紋章と闇魔術を組み合わせた特殊なものだが、似たような魔法は存在する。デュランダルいわく、七十二時間以内に本体の名前を声かけするのとによって解除することができるらしいのだ。
アンティールの肉体さえ、見つけられれば。
「自警団はいまどこを拠点にしてるんだ?」
「な、なんだ。そんな怖い顔して……いつも通りさ。死体はみんな供養されてから墓地に行く。教会だよ」
俺はケルヴィンに短くお礼を言い、クエスト発注所を飛び出した。
両開きの扉を開けて外に出る。昨日から降り続いていた雨は上がっていたが、まだ雲が多く、薄暗かった。
水溜まりを構わず踏みしめ、水しぶきをあげながら俺は教会を目指して走る。
空気は澄んでいた。ここには空気を淀ませる自動車や産業廃棄物なんてものは存在しない。相変わらずのひとけはなかった。
数分走り続けたら、すっかり息が上がってしまった。思えば昨日から何も口にしていない。胃酸が逆流しそうだった。
小高い丘の上にある教会が見えてきた。
教会の周りには茶色の馬が数体、木に繋がれていた。鞍には見たことのない紋様が描かれていて、どうやらそれは自警団の印らしい。早くしないとアンティールの肉体が持ち去られてしまう。
少し重たい扉を開ける。眼前に礼拝堂が広がった。兵士とおぼしき格好の人が何人か立っている。
静謐で荘厳な空間だった。自警団の連中は目を丸くして、泥だらけの俺を咎め立てた。まるっきり闖入者扱いだが、教会の門戸はいつでも開かれているべきなので、別に気にしない。
一番奥の祭壇に教会おばばが立っていた。おばばの前に小さな棺が置かれている。
「ほほっ。深淵から帰還したか」
ばあさんは心底愉快そうに喉をならし、棺の蓋を少しずらした。
返事もせずに駆けより、棺の隙間からなかの死体の顔を確認する。
アンティールだった。本当に死んでいるのかもしれない。そう思わせるほど、彼女の顔は青白かった。精巧にできた人形のようだ。まつげが長く、肌がきめ細かい。黙っていれば彼女は本当に美しい。
「おい、おまえ、なんなんだ」
自警団の一員とおぼしき金髪の男性が怒鳴ってきたが、棺の蓋を取り外したおばばがニタニタと「しっ、面白いものが見れるぞ」と笑いながら彼を押さえつけてくれた。
ここまで走り通しだった。心臓は早鐘だ。自らを落ち着かせるため、俺は大きく深呼吸してから、目をつぶって呪文を唱えるように、
「アンティール・ルカテイエール」
と彼女の名前を呼ぶ。天才魔導師の女の子の名前だ。
少し待ったが、特に変化は起らなかった。
シンと静まり返ったままで、遠巻きに見ていた自警団の連中がざわめきに似た悪口を呟いた。そうか、やはり、この名前じゃだめなのか。
「おい、お前……」
おばばに制止されていた兵士が俺の肩を強く掴んだ。
抵抗しようと振り払ったら、勢いに負けて、彼女が眠る棺に倒れこんでしまった。アンティールの小さな耳が目の前にある。黒い髪の隙間を縫うように俺は彼女の耳朶に言葉を送る。
「……」
元クラスメートの名前を告げる。
「起きろ、なんなんだ、お前は急に!」
兵士が俺の肩を強く掴んで起き上がらせる。
「俺はただの高校生だ」
「こう、……?」
俺の返事を受けた兵士が首かしげた時、曇天の切れ間に光が射した。天窓のステンドグラスが透けてカラフルな陰が教会の床にできる。
幻想的な光景だった。
祭壇に飾られた十字架が太陽光を反射して、銀色の光を放っていた。
棺には沢山の花が入れられていた。葬儀の形式には詳しくないが、おそらくネクロマンサーに引き渡す前の下処理なのだろう。たしか、薬師が町外れで店を開いていたと思うから、防腐用の植物なのかもしれない。
自身の名前を確認したのか、アンティールの肌に艶が出た、気がした。
窓も扉も閉まっているはずなのに、風が起こった。優しくて暖かい風が棺を中心に渦巻いている。
赤や黄色の花吹雪が教会を彩る。
風がやむと、カタリと棺の中から物音がした。アンティールはやおら上体を起き上がらせ、心底眠そうに目を擦ると、薄く目開いた。さらりと彼女の髪が揺れる。
「ああ」
寝起きの声をあげ、少女は伸びをした。パキパキと小さな音がする。自警団の戸惑いの声がざわめきのように起こった。それを茶化すような上機嫌な声音で、アンティールは俺を見つけて、微笑んだ。
「おはようございます。ヒラサカさん」
少ししゃがれていたが、いつもの通り可愛らしい声だった。
稚拙な作品を読んでいただきありがとうございました。
これで終わらせようと思ったんですが、
最近暇なんで、
続きできたら投稿します。




