人生がなんだって言うんだ
全身を突き刺すような痛みのなか、目が覚めた。また腹の中かと思ったがどうにも様子が違う。体を動かすことができたので、上体を持ち上げると、がらがらと何かが崩れ落ちるような音がした。どうやら瓦礫のなかにいるらしい。手足を必死に動かして、楽な方へ楽な方へと流されるようにもがき進んでいくと、どうにか外に出ることができた。
外?
いや、虚ろの大穴の内部には変わり無い。
洞窟が爆発で崩れ、積み重なった土砂から開放されただけの話だ。這いずり出て、全身の土を払う。指の先にどろりとした血が付着した。
振り返り、さっきまで自分が埋もれていた場所を見やる。
竜の肉片と岩が一緒くたになって崩れ落ちたようだった。酷い惨状だ。すえた臭いに思わずを顔をしかめる。
たまったガスが崩れ竜の腹のなかで爆発したのだ。理屈はよくわからないが、俺は無事に竜退治に成功したらしい。竜を道連れに死亡し、甦っただけの俺に、英雄の証ともいえるドラゴンスレイヤーの称号を名乗ることは出来ないだろう。こんな勝ち方、反則だし、罪のない獣を殺してしまったのだ。
一抹の罪悪感から静かに手を合わせようとしたとき本来の目的を思い出した。
千里眼をフルに使い、崩れ竜の遺骸の周辺をくまなく探査する。小さな炎が未だに肉片に灯っていた。バチバチと脂の弾ける音がする。俺はどのくらい寝ていたのだろう。
「……いた!」
寝起きのぼんやりとした頭がうつぶせに倒れている少女の幽体を見つけだした。
幸いにして、土砂に埋もれることはなく、地底湖の片隅で倒れていた。
大急ぎで彼女の側に近寄る。
幽体のアンティールに物理的な爆発によるダメージはない。半透明だが、意識はあるはずだ。崩れ竜に完全に消化される前でよかった。
「アンティール!」
声をかけるが、人形のようにピクリともしなかった。まさか肉体を地上に残して、本当に死んでしまったのだろうか。
不安になった。
彼女の闇魔術である『幽体化』について詳しくはない。
崩れ竜に挑む前にデュランダルに軽く聞いてみたが、闇魔術を極めたおじいさんでもアンティールの使う術についてはよくわからないらしい。
「憶測じゃが」
と前置きをしてから、「輪廻の紋章の力と闇魔導を混ぜて開発した術なのだろう」と教えてくれた。
たしかに誰も彼も幽体化が使えたら、治安なんて言葉は無くなるだろう。
誰にもわからない闇魔術だ。彼女がこの世からいなくなったと言われてもそれも摂理なのかもしれない。
だけどあの傲岸不遜なアンティールがこの程度でくたばるとは思えなかった。
「おい! 起きろよ!」
半ば怒鳴るように声をかける。
「いつまで寝てるんだ!」
手を伸ばして体を揺すろうとしたが、すり抜けてうまくいかなかった。やはり俺に出来るのは声をかけることぐらいらしい。
「おい! 安藤!」
「……」
「杉沢! 山形! 小口! 古山!」
思い付く限り元クラスメートたちの名前を連呼する。彼女が前世が俺のクラスメートだとしたら、どれかの名前に反応してくれるかもしれない。
「勅使河原! 栗沢! 立川! 遠藤! 馬場!」
「……」
「三鷹! 港!」
「……うるさい、ですね……」
「みなと?」
アンティールは不機嫌そうに目を覚ました。寝起きの気だるそうな感じで目だけを動かして、辺りを見渡した。
「ヒラサカさん、ですか? そこにいるんですか?」
「アンティール! よかった、目が覚めたんだな」
「暗くて、よくわかりません。私は、たしか竜に……」
「ああ、そいつなら俺が倒した」
「はは、それは笑えない冗談です。思わず失笑してしまいました」
信じては貰えないと思っていたので、とやかく言うつもりはなかった。
「暗くて、よくわかりませんが、ここは……どこです……」
「あ、ああ、いま、灯りを」
そうだ。俺には夜目のスキルがあるから、可視だが、通常の人の目には光源がない世界は真っ暗過ぎる。そこら辺に妖刀の破片がないかと探してみる。
「いえ、いいです。どのみち今は目が見えませんし、あまり時間がなさそうなんで……」
「時間?」
「幽体を維持できなくなるほど魔力を消費してしまったようです。私はほどなく消滅します」
「え、なにを急に」
「ヒラサカさん、これを」
アンティールは抑揚なく言うと、羽織っていたローブの内側からなにかを取り出し俺に差し出した。
実物を見たわけではないが、受け取ったものが何かは、はっきりとわかった。
俺たちが虚ろの大穴に来た理由、女の子が失くしたぬいぐるみだった。
「どうにか、これだけは保護しました。魔力をほとんど消費して……」
幽体は実体がないので、物を掴むのもままならないと言っていたはずだが、それを可能にするのに、彼女は自らの命を削ったのだろうか。
「もし、ヒラサカさんが、いつか、この穴から出て、あの子に会えたら、それをきっと渡してくださいね」
言葉は辿々しく、所々聞こえづらい。ノイズがかって聞こえる。
「やれやれ、竜の体に取り込まれていくのを見かけて、思わず体を動かしてしまったのが、私のミスです」
アンティールは力なく微笑むと、
「約束ですよ。よろしくお願いします」
と、言い残し、氷が溶けるように消え失せた。
「あ、おい」
いつか俺がここから出られると信じてくれているみたいだった。
「……嘘だろ」
忽然と姿を消した少女に話しかけ続けるが、返事が響くことはなかった。元の通りの暗闇が悠然と広がるばかりだった。
この世から消え失せたのだ。
はじめから、アンティール・ルカテイエールなんていなかったみたいに陰はすべてを黒く塗りつぶした。
俺かはこれからどうやって生きていけばいいのだろう。
なんだなんだで助けられて来たのだ。彼女がいなかったら食い扶持もなく野垂れ死んでいたに違いない。
「アンティール……」
名前を呼んでも声は聞こえない。
埃舞う鍾乳洞の中心で俺は絶望に包まれていた。




