賢明な判断
なんとか、逃げ切り、ほっと一息つく。
コウモリの糞が堆積する場所も気にせず駆け抜けたかいがあった。命がなにより大切だ。
「アンティール、大丈夫だったか?」
返事はなかった。
「アンティール? 無視すんなよ。好きな人ばらすぞ」
名字に沢がつくのは一人しかいない。
振りかえるが、彼女の姿は無く、憎まれ口が返ってくることはなかった。
薄暗闇が広がるだけだ。握っていた刀の刀身を光らせて、背後に眼を凝らして見てみるが、誰もいない。
「おいっ! 返事をしろ」
叫んで、元来た道を引き返す。
こんなところで別れたら再会は難しい。二度と会えないんじゃないかと嫌な予感が胸をよぎった。
迫っていた影の気配など忘れて、いまはただひたすらアンティールのことが気がかりだった。
穴の底は緩やかな下り坂になっていて、ただ歩くだけでも体力が削られる。地面の表面は濡れているので滑りやすかった。
こんな暗闇で一人ぼっちはあまりにも辛い。
「おーい……」
呼び掛けながら歩いていると、
「これ」
声をかけられた。反響し、歪んだ声の主を見つけることは出来なかったが、アンティールの声ではない。嗄れた老年の男性の声だった。こんなところで俺たち以外の人間がいるなんて信じられない。周囲を見渡していると、
「あまり騒ぐでない。崩れ竜がこちらに来るだろう」
すぐ近くから声をかけられた。姿は見えない。人影は無く、生き物の気配さえ感じられなかった。
「誰だ。 どこにいる」
握る柄に自然と力がこもっていた。こんなところにいるやつなんて絶対普通じゃない。
「上じゃ」
返事が帰ってくると同時に、手に持っていたカンテラが触ってもいないのに光を強くした。眩しい光に思わず顔をしかめる。声につられて頭上を見上げると、ぽっかりと穴が空いており、そこから赤いローブを羽織った老人がゆっくりと漂うようにして降りてきた。
「わしの名前はデュランダル。闇魔術の探求者よ」
老人は俺の前に着地すると、手に持っていた杖を俺の鼻先に突きつけた。
「どうやらお主『不死の紋章』を宿しておるらしいな」
「いや、そんなことはどうでもいいんだ。おじいさん、このぐらいの小さな女の子見ませんでしたか? 黒い髪のつり目の七歳児なんですけど」
「これ、人が話しとる時に口を挟むもんじゃないぞ」
「……っ!」
じいさんがそう言った瞬間、上唇と下唇が接着されたみたいに開かなくなった。沈黙の魔法だ。本来は敵の詠唱を封じるために用いられる呪文だが、相手を黙らせるのにも役に立つので、よくアンティールにかけられた。
「んーんー」と唸っていると老人は、今日の天気を語るかのような気楽な口振りで、「お主が探しとる童子なら崩れ竜が捕縛しておったぞ」と教えてくれた。
崩れ竜……先程の影のことだろうか。
「なぁに、心配するでない。あの童子も紋章もちだ。死ぬことはなかろうて。お主らはどこで紋章を手にいれたんだ?」
「……っ!」
「おお、すまなんだ。いま解除するでよ」
唇が離れるようになった。大きく深呼吸して、息を吐き出すとともに疑問をぶつける。ランプに照らされた影が、不気味に伸びて悪魔みたいたった。
「崩れ竜ってのはさっきの湖の影か!? そいつにアンティールは連れ去られたのか!?」
「そう言うておろう。それよりわしの質問に答えんしゃい。お主らはどこでその紋章を手にいれ……」
「アンティールを助けなきゃ! どうすれば……」
「これ、話をきかんか」
「いって!!」
殴られた。普通に右拳で。
「わしの質問に答えなんだ、いくら不死紋章と言えど永遠に殺しつくすでよ」
「……答えるが、……その前に紋章ってなんなんだ? 」
俺の質問におじいさんは眉間に深いシワを寄せた。
「お主がカラダに宿している『不死の紋章』、崩れ竜にさらわれた童子の『輪廻の紋章』……いずれも失われた二十四紋章のうちの一つではないか」
「……なんだそれ」
「ほほう、ふむ、さてはお主、異世界人だな。よいよい。なればその紋章、女神より与えられたものであろう。なるほどなるほど、合点がいったぞ」
一人納得いったように頷くおじいさん。俺には話がさっぱり見えない。
「確かに俺には不死スキルが宿っているが……紋章ってのはなんなんだ」
「お主の背中に刻まれておる紋様よ。通常の不死はいずれ自我を失うが紋章は失わん。紋章とは呪いのように所持者の肉体と魂を繋ぎ合わせておるからのう」
「背中?」
慌ててシャツを捲り、背中を確認しようとするが姿見も無いのでよく分からなかった。自らの尻尾を追い回す子犬みたいになりそうだったので、確認は早々に諦めた。
「ほう、確かに不死の紋章よ。二十四紋章を見るのも随分と久しぶりだわい」
機嫌良さそうにじいさんはアゴヒゲを撫でながら、「カッカッカ」と笑った。
「アンティールには輪廻の紋章が宿ってるっていってたな。なんなんだよその二十四紋章ってのは」
「遥か昔、もはや伝説といっても相違ない時代、この大陸はグランシールという国が統治しておった。時の王マグラドレが国の運営と管理をスムーズに行うために、作り上げたのが二十四紋章よ。幾人の命と魔力を礎に産み出された紋章は神が如く高い能力を発揮したが、紋章を産み出すのに国力は著しく疲弊してしまい、結果、激しい内乱のすえ、国は四つに分裂し、所在が明らかな十一紋章を除き、十三紋章は行方知らずになってしまった。まあ、今二つ見つけたがの」
「なんでそんなもんが俺たちの体に……」
「お主らが着けておる『不死の紋章』と『輪廻の紋章』、それから『呪縛の紋章』、『心霊の紋章』は、かつてグランシールの宰相である『放浪者のヨイナ』が持ち逃げしたという伝説があるが、心当たりはないか?」
ヨイナとは俺たちを無秩序に異世界に転位させた諸悪の根元である。なぜか記憶が朧気で、はっきりと思い出せないが、白い髪の女の子だった気がする。
苦虫を噛み潰したような俺の表情で色々と察したらしい、じいさんは愉快そうに喉をならすと「懐かしいのう、あの小娘は元気していたか?」と呟いた。
「知っているのか?」
「かつて地上で魔術探求に励んでいたワシの前に現れ、二十四紋章の一つ『呪縛の紋章』を授けて行きおった。紋章は所有者を選別し特別な力を与えるという。はてさて今はどこで何をしておるのか、やつの目的はなんなのか、興味は尽きぬよ」
「出ていって探せばいいじゃん」
「わしの授かった『呪縛の紋章』の効力でな、日の光を浴びると所有者は死んでしまうんよ。その代わりに無限に魔力が使えるようになる魔術師にとっては垂涎ものの紋章じゃ」
じいさんがニタニタと薄笑いを浮かべた時、雷鳴のような音が洞窟内に響き渡った。反響し、轟音となって、俺の鼓膜をつんざくように刺激する。ビリビリと空気が震え、ほとんど条件反射のように耳を塞いでいた。
音は数十秒響いていたが、やがて収まった。
再び静寂が戻ってきたが、耳鳴りが止まず、正常な聴力を取り戻すのに幾分か時間がかかった。
「崩れ竜が昼寝の時間を迎えたらしい」
おじいさんはそう言うと、その場に膝を折り胡座をかいた。
「今のはさっきの影の鳴き声か」
「左様。習性らしくての。この時間になると雄叫びをあげ、この先の大空洞で睡眠をとるのよ」
「無防備、ってことだよな。……さっき聞きそびれたけど、アンティールはどうなったか知らないか?」
「元より肉体は無かったからのう。大方幽体状態のまま、腹におるだろう。崩れ竜を魂を栄養とするでの。放っておけば、娘も崩れ竜の一部になるじゃろう」
「まだ……間に合うんだよな」
「幽体の消化は少なく見積もっても一日はかかる。腹を裂き、囚われた魂を引きずり出せれば、の話じゃが」
せせら笑いを浮かべておじいさんは俺を指差した。
「お主にそれが出来るのか」
不可能だ。一年前まで普通の高校生で、最近死ななくなっただけの普通の高校生に、ドラゴン退治なんてできるはずがない。そういうのは稀代の英雄の仕事である。
「……」
そもそもにして、アンティールにはひどい目に合わされて来たのだ。助ける義理もないだろう。
人を人と思っていない彼女の言動には何度も心折られて来たのだ。もちろん助けられることもあったが、感謝と恨みの度合いでは後者の方が数段勝っている。
それでも、助けたいと思うのはなぜなのだろう。
偽善や慈愛の精神ではないとはっきり言える。だけど、
握りこぶしを作る。
彼女は俺のクラスメートなのだ。
アンティールの思考があんなに殺伐としてしまった理由は聞いていないが、同じ苦しみを分かち合える相手はもうこの世には彼女しかいない。
「それでも、俺はあいつを助けたい」
「お主は不死じゃし、飽くるまで足掻いてみんのもいいじゃろう」
心底楽しそうにおじいさんは言うと、壁を背にしたまま立ち上がった。
「お昼時の暇潰しが出来たと思うと愉快でたまらん」
応援はしてくれないらしい。期待はしていなかったが、別に構わない。こっちの世界の人はいつもそうだ。考え方がドライで常にギブアンドテイクを意識している。
俺はおじいさんを無視して、鞘に手をあて、刀を引き抜こうと手を伸ばした。
が、ちょうど鎧の前掛けが当たってうまくいかなかった。
「ちょっと、なにかが引っ掛かって、えっと」
恥ずかしさから独り言を言いながら、なんとか刀を出し、刀身を赤く光らせてみる。
「よし」
松明代わりにして、崩れ竜に近づくことにした。
「なにがよし、じゃ」
「この刀は火魔法が備わってい……」
「完全に扱いきれているのならば」
一発で見抜かれた。
確かに俺はまだこの刀を完全にモノにできていない。そもそも居合いの選手でもないので、刀の扱いなんてわからないのだ。見よう見まねで武器を振り回しているだけ。いままではそれでなんとかなってきたが、結局のところ後回しにしてきたツケを今ごろに請求されているのだろう。
「使いなれた武器を使ったほうがええと思うぞ」
じいさんは武器屋のケルヴィンと同じ忠告を俺に与えた。
「今から慣れるんだよ」
「やれやれ、せっかく経験値を保持しておるんだからスキル習得で未熟なステータスを底上げすりゃええやろ」
「それが出来んのは地上の占いババアだけでよ」
「ワシもできるぞ」
「え?」
「能力解放は姉と二人で編み出した呪術だからのう」
血の上の教会のおばばとデュランダルは姉弟だとアンティールが言っていたことを思い出した。
「解放してみるか?」
「……お願いします」
迷うことはなかった。これで強くなれるなら、選択肢は一つしかない。
「したらば代価をいただこうか」
「とりあえず今はこれだけしか……」
腐れ豚を倒したときの成功報酬の余りを取り出し、渡そうとしたら、すん、と鼻をならされた。
「そんなものここではなんの役にもたたぬ。よいか、ワシが言うとておる代価は契約よ」
「契約? なんの?」
「あの竜は穴の底の物を糧とし、悠久に近い時を生き永らえて来た怪物よ。捨てられた物を喰らい肥太り、不吉なものを淀みとして体内に取り込んできたからか、いつしか奴自身が不死となっておった。奴の腹のなかには太古に穴に落とされた貴重な宝物が眠っておる可能性が高い。もし万が一お主があのドラゴンを倒せたのなら、腹の中にあった物を全てワシに譲ると約束せい」
「ああ、そんなことか。いいよ」
もとより俺はアンティールさえ救えればそれでいい。俺の快諾に面食らったような表情を浮かべてからおじいさんは続けた。
「もう一つ、けして諦めることなく竜に挑み続けよ。小娘が消化されてもじゃ。約束できるなら、お主のスキル解放に手をかそう」
「……なんでそんな」
「穴蔵は退屈でのう。刺激がなくては死んでしまいそうなのだよ」
少し悩んだ。アンティールを助けるために俺は竜の腹を裂こうとしている。だけど、失敗したら、俺は無意味にドラゴンを倒すことを強制させられるのだ。
だけどここでスキル解放しなければ、アンティールの救出はほぼ不可能になるだろう。
「わかった。それでいい。解放してくれ」
「賢明な判断じゃ」
じいさんはニタリと笑うと手をかざした。




