わたし、死なぬ
活字中毒集まれー!
わたしはこの三人の中から誰も選ぶことができなかった。ずっとこのドタバタラブコメを続けていたかった。しかしそれは許されなかった。時間という絶対的な概念の前では、その望みは潰えるほかなかった。たしかにわたしはこの宿をかなりの間、切り盛りして来た。わたしの宿を営む力はセムのお墨付きだった。ちなみにセムとは第3話くらい?に登場した三人娘の父であり、わたしの師匠であり三年前に死んだ。セムはわたしが娘の中から誰かを選ばないことをあえて咎めたりはしなかった。なぜならこの世界では、財力のある男が多くの女性に求められ、そして多くの女性と結ばれることは当然であるという価値観が支配的言説となり、蔓延っていたからだ。浮気をしてはいけないという概念は浮気をするという概念が存在しなければ、存在し得ないように、当然、この世界では浮気ものが存在していなかった。対自存在たる人間次第で、この世界というものは、異世界たりえるのだが、この通常世界というものでは、どうやら労働というものが最高の自己顕示の形であるようだ。しかし、この今わたしが存在する異世界においては、そのような価値判断はない。したがって、わたしは美少女三人組が、美女三人組となり、美熟女三人組となる過程を阻害されることはなかった。宿に人は来ないのだ。なぜなら皆が家にいるのみで良いからだ。この異世界ではどの家の地下にも原子力発電機が動力たる電力を供給し、それを活用して人工知能が脳に埋め込まれたアンドロイドがこの通常世界たるわれわれと同じように、労働という体験を通じて日々を生き、壊れてゆくからだ。地下労働施設という形で限界まで高まった科学技術がついに奴隷に対する暴力を、地下へ押しやったのだ。人間がアンドロイドに対して暴力を押しやったのだ。人間の暴力の歴史は、他の生物を圧倒することから始まり、そして他者に向けての暴力、経済的暴力、と外へ外へと向けられてついには、人間からはずされたのだった。しかしこの地下で暮らすアンドロイド達はもはやここに存在する人間よりも人間らしいのではないか。最低でもこの人間とアンドロイドの差はないのではないか。しかしこのようなことはわたしとは関係がない。今わたしにクリティカルなものは、この三人の老女達の死にゆく様である。わたしは神の呪いによって不老不死であるがゆえに、この三人と死にゆくことができぬ。この地下へと暴力を押しやった最低の世界を立つことはできぬ。なぜだろう。死をここまで望むのは絶望からだろうか。わたしは人と共に死ぬということができぬという絶望が二重の意味で死をこんなにも欲するのだろうか。そしてわたしは三人の老女の娘たる三人の美熟女、その美熟女との娘たる三人の美女達の住む宿の家長である。わたしは父となった。




