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「その話、必要ですか?」
「必要性というものは今この瞬間にあるとは限らないわ。その時は些末なことでも日が変われば思いがけない意味を発揮することがある。物事の価値は事後的に決定されるものなのよ」
「プライベートな話ですし、それに…」
「初恋を話すのは恥ずかしい?年相応の真っ当な反応ね。でもギブ・アンド・テイクで協力し合う以上、こちらの要求には応えてもらうわ。あなたの考えはそこまで及んでいないかもしれないけど、ランチもディナーも、アメリカまでの旅費から滞在費まで全部FBI持ちよ?」
「うぐ…」
間抜けな声を漏らして俺は口を噤んだ。思えばランチもディナーもおごってもらっている。しかもアメリカに行った際にかかる諸々の経費は全く考えていなかった。父からの仕送りは前の短期留学で使ってしまったし、正直自分のお金だけでアメリカに行くのは辛い。
「だったらあなたの初恋を聞き出すなんて安いものだと思わない?本当はあなたの初体験とか夜な夜な使うオカズまで訊き出したいのよ」
「それこそ関係ないでしょ!」
「わからないわよ?物事がどこにどう繋がるかを知るのは神だけだから。まぁ冗談はさておき…ほら、早く話す」
有無を言わさない態度に押され、俺は渋々6年前の話をした。
初めはニヤニヤしながら聴いていたフェリシティだが、イリスが自分の想いを語る段になってからは真顔になっていた。つまらないという反応じゃない。何かを考えている。
どこかに引っかかるポイントがあったのだろうか。
「イリス・エルフ・ナイトクラウドがそんなキャラだったとはね…」
俺が話し終えた後、フェリシティは嘆息を交えながら言った。
「私達が掴んでいたイリス像はコテコテの深窓の令嬢だったわ。品行方正、眉目秀麗のステレオタイプなね。だけどバカみたいに高いIQとオリンピックばりの身体能力まで備えている化け物じみたハイスペックでもあったわ」
俺のイリスのイメージがまた変わる。確かに彼女には特別な雰囲気はあったけど、遠い存在だと思ってはいたけど、規格外というようなものではなかった。
「ナイトクラウドの中でもとびっきりの逸材。ローレンスも鼻高々だったわ。一番の成功作だもの」
成功作。
ハーピアはナイトクラウドで処分される「不良品」がいると言っていた。ナイトクラウド家を語る際には、人をもののように扱う表現が多い。ナイトクラウド家に覚える不気味な違和感はそこから来ていた。
「…フェリシティさん、ナイトクラウド家について詳しく話してくれませんか?」
フェリシティの目つきが鋭くなる。
「そうね、ここまで来たらあなたも知っておいた方がいいでしょう。連中の危険性を再認識できることだし」
タリアータを平らげたフェリシティはナプキンで口を拭った。
「ただここで聴いたことは他言無用よ。あなたに起こったことと同じくらい、いやそれ以上にヘビーな機密だから。もしペラペラ話したりFacebookで流したりしたら、次は私達があなたを燃やしにくるかもね」
背筋が震えた。冗談めかして言っているが、フェリシティの目は本気だ。
「わかっています」
俺はハッキリと答えた。
「よろしい」
フェリシティはスパークリングワインに代わって注文した赤ワインをグラスに注いだ。
「ナイトクラウド家のご先祖はまだ黒人奴隷がいた時代に綿花の栽培で大儲けしてね。南部でもとりわけ裕福な一家だったわ。ただ南北戦争でアメリカ連合についてしまってからは低迷の一途を辿ったわ。禁酒法時代にはマフィアとつるんで犯罪の片棒を担いでいたこともあったそうね。そんな中、救世主がご登場。それが先代当主エレクトラ・グラディス・ナイトクラウド。イリスやハーピアにとっての祖母、現当主ローレンスの母にあたる人物よ。エレクトラは桁外れの天才だったそうよ。八面六臂の神の申し子とでも言うべきくらいに。彼女の辣腕でナイトクラウド家は瞬く間に再興した。珍しく真っ当な商売をしてね。おかげで札付きだったナイトクラウド家は政財界にも社交界にも顔が効くセレブリティに生まれ変わった。ガラになくチャリティーも主催したり、発展途上国に援助したりとこれまた八面六臂の大活躍よ」
ここまでの話を聞くとハーピアの話と食い違う。過去のナイトクラウド家は確かに非道な一族のようだったが、エレクトラの登場で印象が変わる。
「だけど順風満帆とはいかなかった。エレクトラが航空機事故で死亡したの。30年前の話ね。大黒柱であるエレクトラを喪ってナイトクラウド家は大混乱。ここから落ちぶれ始めると言われたわ。そしてその時に当主になったのがエレクトラの長男、ローレンス・メドン・ナイトクラウド。当時15歳で大学を首席で卒業した天才児。若かったけど、才能はきれいにエレクトラから受け継いでいた。持ち前の手腕でナイトクラウド家を建て直していった。おかげでナイトクラウド家の繁栄も延長された。しかし、同時にローレンスは奇妙な商品を扱い始めたわ」