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ヘブンズゲート・クライシス  作者: 遠藤 薔薇
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「違う!!」

ハーピアは一際大きな、鋭い声で叫んだ。

「あんな女!私達を見捨てて、自分だけ逃げだして!『大丈夫。いつかきっと私達はここから抜け出せる』?ハッ!自分の重荷を私に押しつけて、外で男とイチャついているアバズレじゃない!」

「あの手紙を読んだだろう?イリスは自分だけが幸せになるためにやっていたわけじゃない。君だってわかっているだろ?!」

「バカじゃないの?たかだか虫けら一匹で象は倒れない。絶対に倒れない。だから犬死したのよ、アイツは。ゴミが焼却されるみたいにね!」

その一言が俺の目の前を真っ赤にさせた。

「ふざけんな!!おかしいのはナイトクラウドの方だろう?!人を当たり前のように処分するなんてまともじゃない!!ハーピアだってわかっているはずだ!!」

「お前の物差しで測るな!私達は生まれた時からそうなんだ!!」

「イリスは違う!!」

歯噛みしたハーピアは台所から包丁を取り出し、逆手で握った。

俺の対応は遅かった。身を守るものを探している間にハーピアは跳躍して距離を詰めると、あっという間に俺を押し倒す。喉元に切っ先が突き付けられた。皮膚に軽く当たっている。ヒヤリとした食感が俺の体温を一段階下げた。

「イリスは違ったから殺された。アイツは分かっていなかった…こんな人でなしが私達だって。ナイトクラウドだって!お外の世界に憧れるお嬢様が生きていける場所じゃなかった…ただそれだけだった…!」

俺の命を握ったことで、ハーピアも冷静になったようだ。語調が落ち着いていた。

同時に、ハーピアの目つきが変わっていた。何かを悔いているような、何かに泣いているような。

少女の瞳だった。

「なぁ、ハーピア…」

もう俺は死ぬかもしれない。ここで殺されるかもしれない。

自分の死をこれまでになく間近に見ている俺は、かえって思考がクリアになっていた。

だったら、もういいだろう。

いけるところまでいこう。

言えることは言おう。

「お外の世界に憧れるお嬢様は…君のことも指しているんじゃないか…?」

ハーピアは表情を動かさなかった。ただ、淡々と語った。

「どんな子供もいずれはなるべき大人になる。言ったでしょう?人はレールの上を走るトロッコだって。行くべきところに行くようにできているのよ」

「そんなの欺瞞だ…。君はレールの上を行かなきゃいけないんじゃない。レールの上以外を行こうとしていないんだ…。イリスだって…」

「私とアイツは違う…!」

「イリスを演じて何も感じなかったのか…?」

尚も食い下がる俺に呆れたのか、ハーピアの殺意がかすかに緩まった。

「つくづくお前は呆れた奴ね。お人好しで、単純で、バカ…。記憶がないのに6年前に会っただけの女が恋人だって言ってくるのを普通信じる?こんな能天気に絆されたイリスも愚かだわ。本当に、愚かしくて反吐が出る。ねぇ、和嵩。何を言ってもムダだから。お前が巻き込まれたのは不条理と理不尽を煮詰めて作った掃き溜めのような存在よ。どれだけ小綺麗な文句を並べた所で嘲ってくるような連中なの。そして私はそこの一員。骨の髄から神経の先まで悪徳と邪悪に染まった女よ。もう変な希望なんて持たない方がいい」

「違う、俺は…君とちゃんと向き合いたいんだ」

「笑わせないで。向き合ってどうするの?もう結末は決まっている」

「君と過ごした日々は…嘘じゃなかった。俺と君は…」

「私とお前が過ごした日々は、これよ」

包丁の切っ先が俺の喉をなぞる。触れる度に生まれる微かな痛みが現実感を色濃くしていく。ほんのちょっとの力加減で俺の命は容易く奪われる。

「もうお別れ。生かしたかったけどこれでおしまい。お前は調子に乗り過ぎた。父はお前みたいな人間を誰より嫌う。生かしておかない方がお前のためよ。大丈夫、事故で死んだように見せておくから。あの世でイリスに会っておいでよ。きっと喜ぶだろうし」

切っ先が俺ののど仏の頂点に当たる。狙いを定めたのだろう。切っ先に力が入り、痛みが走った。

ああ、ここまでか。結局ハーピアには届かなかった。何もできなかった。ハーピアの言う通りだ。俺如きにはどうしようもできないことがある。俺が幾ら足掻いた所で結果は変わらない。もう少しだけ、伝えたかったなぁ。

もう少しだけ、生きたかったなぁ。

ごめんな父さん。今年の夏は早く帰ると言ってくれたのに。一緒に飯食べたかったよ。

ごめんな母さん。思ったより早く死んでしまったよ。怒られるかなぁ。

ごめんな槇原。俺、結局上手くいかなかった。覚悟は出来ていたんだけどな。

…イリス。記憶、思い出したかった。君と過ごした日々はきっと1ヶ月にも満たない期間だっただろう。でも君と過ごした日々は間違いなく幸せだったと思うんだ。かけがえのないものだと思うんだ。記憶がなくたってその実感は確かに俺に残っているんだ。

―――覚えていてくれる人がいるだけで、こんなにも自信になる、力になる。


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