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「…いつからそんなことを考えるようになったの?」
彼女の問いかける声は静かで平坦だった。
「昨日のデートの時から…かな」
「そう」
「確かに6年の歳月は人を変えるかもしれない。だけど君は違いすぎた。表向きの立ち振る舞いとかじゃなくて…もっと根本的なものが」
「6年前の記憶をそこまで信奉できるもの?」
「少なくとも俺が知るイリスの手がかりはそれだけだ」
「人は変わるものよ」
想像の域は出ないだろう。彼女の言う通り、人格や価値観を根底から変えるようなことが6年の間にあったかもしれない。
だけど…
「イリスは変わっていない」
「人間は変わるの。積もりたての雪が泥と氷でグチャグチャになっていくみたいに。あちこち渡り歩いていく間に変わっていくものよ」
彼女の声に微かな敵意が帯びる。それは俺に向けたものじゃない。
「女の子に過去を重ねるものじゃないわ。6年前の自分なんて他人と変わらない。子供の遊びを今でもする?ままごととか、かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)とか!やらないでしょ?だって大人になったら楽しめなくなるから。楽しんでいた自分はいなくなるから!」
「違う。そんなことない…」
「夢見がちも大概にしないと」
「あの手紙の彼女は違った!」
彼女は声を失った。
「…私の荷物を見たの」
しまった。感情に任せてとんでもないミスをしでかした。
彼女は苛立ちを隠せない様子だった。
「見たのは、手紙だけだ。あの千切れた手紙…」
「見たのね…」
彼女は項垂れ、深いため息を吐いた。
「あの手紙を書いたのが、本当のイリスなんだろ?」
彼女は答えなかった。足を組み、額に手を当てて何かを考え込んでいる。俺は答えを待つ。
長い沈黙だった。さっきから時計は見ていないが、どれくらい経ったのだろう。一時間も二時間も経っている気がする。息が詰まりそうな時間だった。
「…記憶は思い出せたの?」
彼女は顔を上げないまま言った。
「いや…正直、ほとんど戻ってきていない。でもあの手紙を見たことは覚えている」
「やっぱり、あなたに届いていたのね…。残りの部分は?」
「わからない」
「あの手紙はね、君の傍で見つかったの」
俺の傍で?そんな話は聞いていない。
「君の部屋はアパートの2階だったけど、爆発の勢いで窓を突き破って落ちてきた。アパートの入り口付近にあった植え込みに落ちたから、軽傷で済んだようだけど。そしてボロボロになった君の手にあの手紙が握られていたそうよ。爆発で吹き飛ばされた時に勢いで敗れたようね。破片はどうして見つからなかった。多分部屋の中に落ちて焼けたんだろうけど」
「どうして君がそれを…」
「なんでも知っているよ。君のことは全部。真田和嵩18歳。身長は175cm、体重は57㎏。東京都B区立久間倉高校3年生。血液型AB型。4年前に死去した母親の聡里は再生可能エネルギーを専門とする物理学者。父親の芳継は商社勤務。現在アフリカにて単身赴任中‥‥趣味とか精神傾向も聴きたい?一通りブリーフィングしたから頭に入っている」
「ブリーフィングって…」
「そういう仕事なの」
彼女はあっけらかんと言い放った。話の展開についていけない。
動揺しきっている俺に対し、彼女は冷静だ。冷静というより、平静だ。何かを秘めていて、何かを覚悟しているように見える。
「お察しの通り、私はイリスじゃない。イリス・エルフ・ナイトクラウドじゃない」
「でも、君の顔は…」
俺が知るイリスだ。6年経っても、わかるくらいに。
「整形したの」
「整形…っ?!」
「嘘よ」
目を丸くした俺を見て、彼女はフンと鼻で笑った。
「私はイリスの双子の妹。ハーピア・ツヴェルフ・ナイトクラウド」
「双子の、妹…?!」
ハーピアは取るに足らないことと言わんばかりに手を振った。




