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しあわせになる方法1  作者: 桐島十子
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司書教諭の憂鬱

年を取ったな、と思う。 世の中のことが大抵先が読めるようになり、ニュースをみても(やはりそうなったか)と思うことが常になった。 目新しい変化もなく、これが日常だと思うと溜め息が出る。 いまの勤め先に不満を持ったら罰が当たるのだろう。ここを選んだのは私であって、誰かに命令されたわけではない。 私は教師をしている。田舎の私立高校の司書教諭だ。 私立校と言うのは方針がある。わたしの学校は「克己」だ。卒業後になにかを見出だせ、という意味なのか、教師は率先して指導をしない。すべては生徒に「見つけ出せ」と問うているのだ。 だが、特待生は別だ。勉強意識の強いものは学費が免除になり、塾に行く余裕が生まれる。一流大学に入学し、学校の名声を轟かせている卒業生も少なくない。 わたしは学生時代、迷走して附属の短大に入った。そこで司書講習を受け、感銘を受け大学に編入し、臨時司書を転々としながら27歳でやっと本採用され今の仕事に就いた。 学生のやんちゃぶりは昔の記憶のなかのわたしの学生時代より派手になっていた。ゆとり教育が行われたためか、生徒に基本的な常識知識がない。他の生徒の借りている本を又借りしたり、勝手に本を持ち出すなどしょっちゅうだ。 「自分で気づかせる」のが教育方針なので、わたしたち教師は手を出せない。それがものすごくもどかしいが、彼らを統制するためのわたしたちなりのやりかたである。 特待生は結果を出してくれるが、一般の生徒はなかなかそうはいかない。勤めだして2年近くになるが、期待させてくれる生徒はなかなか司書室を訪れてくれない。 特待生は受験勉強一色でなかなか来れない。 来館するのはたまり場に使っている馬鹿騒ぎする輩ばかりだ。

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