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陽輔、闇へと降りる

 ディスプレイを確認すると、発信者は大井川先輩。きっとさっき飛び出して行ったクルマの中から怯えきって電話をかけているに違いない。

「もしも~し」

 すれ違いになったバカバカしさで、思わず応答の声も不機嫌になる。

「……もしもし。陽輔か?」

 先輩の声の様子がおかしい。小刻みに震える声を無理に潜めている感じだ。しかも走るクルマに他のメンバーと乗っているにしては、背後があまりに静かすぎる。

「先輩。やけに周りが静かですね?」

「……い、今、沢村総合病院にいるんだ」

「何ですって?」

 ボクは思わず黒いワゴン車が走り去った方を振り返った。

「先輩、今病院から飛び出して行ったクルマに乗ってるんじゃないんですか?」

「クルマを見たのか? 陽輔、もしかして病院の近くにいるのか?」

「はい。どうせ先輩が怖がってるんだろうと思って迎えに来たんですよ。今病院の前にいます」

 そう伝えたとたん、電話の向こうで先輩が泣き始めた。

「すぐに来てくれ、陽輔。怖くて動けない……」

 なんてことだ。大井川先輩がマジ泣きしてる。声が今にも呼吸困難を起こしそうなほど途切れ途切れだ。

「……怯えて逃げ出したみんなに置いて行かれたんだ。みんな私がクルマに乗ってないことに多分気づいてない」

 それを聞いたとたん頭にかっと血が上った。

 あのバカ者どもめ。全員揃っているか確認もせずに逃げ出して、女の子をこんな場所に一人取り残したっていうのか!

「先輩落ち着いて。すぐにそっちに行きますから、絶対にそこを動かないで下さいね。今自分がどこの部屋にいるか分かりますか?」

「……ち、地下だ。『霊安室』とかいう部屋にいる」

 なんとまあ。よりにもよってそんな部屋に。まあ、肝試しなんだからそういうチョイスになるんだろうが。

 先輩の口ぶりでは霊安室がどんな目的の部屋なのか分かっていないみたいだが、それは今は言わない方がいいだろう。

「分かりました。二、三分で行きますから、もう少し我慢してて下さいね」

「……分かった」

 通話を切ってスマホをポケットにしまうと、ボクは門から病院の敷地に自転車を乗り入れた。

 闇夜をバックに目の前にそびえる廃病院の異容いようはボクを尻込みさせたが、今は大井川先輩があの中で死ぬほどおびえながらボクを待っている。躊躇ためらっているヒマはなかった。

 恐る恐る正面出入口に近付くが、ガラスが割られたスイングドアの前に立ったときになって初めてあることに気づいた。

 ボク、懐中電灯を持ってきていない。建物の外で先輩達が出てくるのを待つだけのつもりだったから当たり前なんだが。

 片側が手前に大きく開け放たれた出入口の向こうには、シンと静まり返った黒い闇が口を開けている。

 大丈夫だ。しばらくすれば目が暗闇に慣れるはず。それに懐中電灯という道具は、こちらからは光が届く範囲しか見えないが、周りからはこちらの位置がまる分かりだ。闇の中から自分に悪意を向ける者がもし本当にいるのならば、確実にこちらの存在が先にバレる。

 ボクは意を決して出入口に足を踏み入れると、左右に伸びる廊下の向こうに目をらした。廊下は左右どちら側も、七、八メートルほど先で闇に溶け込んでいて先が見渡せない。

 先輩は電話で地下の霊安室にいると言っていた。つまりボクがまずやらなければならないことは、この廊下を左右どちらかに進んで地下に続く階段を見つけ出すことだった。しかも怯えた大井川先輩を安心させるためには、一分一秒でも早く地下に辿り着きたい。

 さて、どっちだ? 左右どちらに進むのが正解だ?

 建物を外側から見た限り、今いる出入り口は建物の幅のほぼ中央に位置していた。ということはこの建物の構造は左右対称である可能性が高い。つまりこの廊下を左右どちらに進もうとも、どのみち鏡映しの位置に階段があるに違いない。

「よし」

 ボクはたまたま顔が向いていた右側に進み始めた。

 床は割れたガラスや壁や天井から剥がれ落ちた塗料の破片が散乱していて、それらを踏みしめる音が一歩ごとに静まり返った廊下にジャリジャリと響き渡る。

 数メートルほど進むと、左側に建物の奥に向かって進むもう一本の廊下が現れた。

 進んできた廊下との角には、廊下に面した二方をカウンターで仕切られた区画がある。天井には片側が外れて傾いた「受付」のプレートが。

 ボクは奥に向かう廊下の先に目を凝らすが、闇の支配を辛うじて逃れている範囲には階段らしきものは見当たらない。

 一瞬迷ったが、ボクは来た廊下をそのまま真っ直ぐ進むことにした。この廊下は右側に並んだ窓からわずかに明かりが射し込むため、新しく現れた廊下より視界がいい。

 それにしても静かだ。聞こえるのは自分がジャリジャリと床を踏みしめる音だけ。

 こんな静寂の中で長い時間大井川先輩を一人きりにしておけない。

 ふと廊下の先に目をやると、闇の中から行く手を遮るような壁が現れた。

 なんだ。こんなところで廊下が行き止まり?

 そういぶかしんで足を止めた。


 ……ジャリッ。


 心臓が凍りついた。

 ボクの背後、一、二メートル程の距離で音がした。まるで誰かが床のガラスの破片を踏んだみたいな……。

 ボクの足音じゃない。絶対違う。今の音は確かにボクが立ち止まった後に聞こえた。

 やめてくれ。廊下が行き止まりになったところで後ろから音がするなんて。

 振り返ってもし何かいたら、いったいどこに逃げればいいんだ?

 背中から首、さらには頬に不快なうずきが這い上る。

 振り返るのは恐ろしいが、振り返らずに音のした方に背を向けたままなのはもっと恐ろしかった。

 ボクは意を決して振り返った。ガバッと勢いよく振り返った。万一背後に何者かがいた場合のために、そいつに対する虚勢と威嚇を込めて。

 振り返った先には無人の薄暗い廊下が延々と続いていた。

 通り過ぎてきたさっきの受付が、暗闇の中に辛うじて見てとれる。一瞬、カウンターの向こうの闇の中に人影がにじんでいるような気がして目をしばたかせた。

 ヤバい。

 夜の廃病院という雰囲気で過敏になっているのかも知れないが、さっきクルマで飛び出して行った連中の怯え具合はただ事じゃなかった。そして今のあまりにリアルな物音。

 ここ、もしかしたら「本物」かも。

 もし自分一人だったら、まず間違いなく引き返していただろう。だが今は大井川先輩がいる。この暗闇の中のどこか、一人怯おびえて。

 ボクは一つ大きく深呼吸すると、前方に現れた廊下をふさぐ壁に一歩近づいた。

 違う。壁かと思ったが、これはボロボロに錆び付いた金属製の防火扉だ。

 よく見れば、廊下をいっぱいにふさぐサイズの扉の枠内に更にもう一つ、普通サイズの別の扉が作り付けられている。

 普通サイズの扉の方の取っ手に手をかけると、ボクはゆっくりとそれを回した。錆び付きで多少の抵抗を感じるものの、扉は予想したよりあっさりと開く。

 その向こうには予想通りまた暗闇が続いている。

 暗闇の彼方に、またさらに深い闇か。

 だが思いきって扉をくぐったボクは、その先に目指していた物を探し当てた。

 廊下は今度こそ本当に数メートル先で行き止まりになっていたが、その突き当たり左側に階段が延びている。さらにありがたいことには、廊下の突き当たりの壁には病院内部の案内板が設置されていた。

 暗闇で目が利かないため、ボクは案内板にギリギリまで顔を近づけた。

 あった。霊安室。

 目指す部屋を見つけてホッとしたのも束の間、階を確認して思わず舌打ちする。霊安室があるのは最下層の地下二階。この一階からさらに二レベルも降りなければならない。

 霊安室なんて部屋を一番地底に近い場所に作るあたり、この病院の元経営者も趣味が悪い。

 ボクは暗闇でおぼつかない足下あしもとに注意を払いながら、ゆっくりとコンクリート製の階段を降り始めた。

 踊り場の折り返しを過ぎると、わずかに残っていた窓からの薄明かりも完全に途切れる。溶け込むように闇に消える階段が、まるでボクを誘い込むように下へ続いていた。

 怖い。

 初めて「ブ〇ア・ウィッチ・プロジェクト」を見た時よりもはるかに怖い。

 たった十数段の階段を降りるのに何十分も掛かった気がした。

 ようやくたどり着いた地下一階は、基本的に一階と同じ構造をしているらしかった。たった一つの違いは右に見える廊下の壁に窓がないこと。そのせいで廊下の先は完全無欠の闇に閉ざされている。

 首を巡らせて下へ向かう階段とおぼしき方向に目を向けるが、そちらもさながら暗幕にさえぎられてでもいるかのようにまったく見通しが利かない。

 これはもう限界だ。

 ここまで自分の存在をさらすのが得策でないような気がしてあかりをつけなかったが、この一寸先も見通せない暗さではまともに歩くこともおぼつかない。


 ボクはポケットからスマホを取り出すと、一瞬ためらってからホームキーを押した。

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