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二人の童のお話

 風が吹く。

 私の傍らをそよそよと吹き渡っていく。

 梅雨真っ只中なんて思えないくらい爽やかな風だ。

 空も久しぶりに真っ青だし、ものすごくいい気分。

 ただ一つ、陽輔がちゃんと私を見つけてくれるかという不安を除けば、だけど。

 この場所、陽輔は気づいてくれるだろうか。私にとってすごく大切なこの場所に。

 ……ところで今、私はこの場所で初めて起こる事態に遭遇していた。

「ねえ、おねーちゃん。おねーちゃんがまってるひとって、いつくるの?」

 普段からそんなに足しげく来るわけではないけれど、この場所で他の人に会うのは初めてだ。しかも相手は小学校にも上がっていないくらいの子供が二人。

 子供達はさっきから、ベンチに腰かけた私の周囲をクルクル走り回りながら時おり話しかけてきていた。

「ばっかだなあ、ひな。おまえ、さっきもおなじこときいたじゃんよ」

 男の子の方が意地悪そうな口調で女の子をからかう。

 キミくらいの年の男の子にはよくあることだけど、あんまり女の子をいじめると将来モテないぞ。

 苦笑まじりに心の中でそんな忠告をしていると、意外なことに見た目気の弱そうな女の子が負けじと言い返した。

「ちがうもん。さっきは『おねーちゃん、だれかまってるの?』ってきいたんだもん。たっくんこそ、ばーかばーか!」

 おお、スゴい。男の子相手に負けてないな。だけどあんまり勝ち気過ぎると将来モテないぞ。

 けれど、そんな自分の心の声に自分自身がふとつまづく。

 

 ……勝ち気過ぎるとモテない?


 じゃあ、私はどうだろう。

 女のクセに勝ち気過ぎるというならば、この私だってそうじゃないんだろうか。

 口調は男っぽいし、意地っ張りで素直じゃない。すぐにムキになって人と張り合うし、陽輔に対しても、いくら私の方が年上だからって態度がちょっとゾンザイ過ぎるような気がする。

 ああ。こうして考えてみればこのプチ家出の原因も別に陽輔にあるワケじゃない。本当の原因は、私が自信を持てないことだ。


 私は自信がない。

 陽輔にとって、自分が最高のパートナーだという自信がない。

 みかっちや大塚先輩どころか、彩音にすらホントは負けてるんじゃないかと思うことすらある。

 だから陽輔が他の女の子と親しそうに話したりすると不安になるんだ。それで陽輔に八つ当たりして、困らせて、振り回して疲れさせる。

 最低だ。

 最低の彼女だ、私。

 

 涙が一筋、左の目からあふれて、頬をつたって地面に落ちた。

「……おねーちゃん?」

 そんな私の様子を心配したのか、ひなちゃんが下から顔を覗きこんでくる。

「大丈夫だ、何でもない」

 涙を指先で払って無理に笑顔を作るが、出来映えは上々とはいかなかった。

「私が待っている人はな、今来るかも知れないし、夕方来るかも知れない。もしかしたら、いつまで待っても来ないかも知れない」

「なのにまつの?」

 そう尋ねるたっくんの顔は心底不思議そうだ。

 その彼の問いに、私は今度こそ上首尾の笑顔を浮かべて頷いて見せた。

「ああ、待つよ。来てくれると信じて待つ。そしてその人が来てくれたら、ちゃんと謝ろうと思うんだ」

「そっか。じゃあくるよ。おねーちゃんがまってるひと、からなずくるよ」

 私の説明になっているんだかいないんだか分からない話に、たっくんはなぜか一点の疑問もないように明確に答える。

「どうしてそう思うんだ?」

 たっくんの自信たっぷりの断定に、私は思わずそう尋ねた。するとその小さな少年はかわいらしくちょっと首をかしげ、白い歯を見せながらニッと笑ってみせる。

「わかるよ。おねーちゃんが、そのひとがきてくれるとしんじてまつんだったら、かならずくる」

 そしてたっくんはそこで言葉を切り、ふと寂しげな顔になって囁くように続けた。

「ぼく、ここでいままでなんにんもだれかをまっているひとをみてきたけど、しんじてまっているひとはかならずあいてがきてくれた」


 なんだって? この子、いったい何の話をしてるんだ?


「だけど、ほんとうにこころのそこからしんじていないひとはむりなんだ。『どうかりょうであらしにあったおっとがぶじにもどりますように』……、『うみでゆくえがわからなくなったむすこがみつかりますように』……。いくらそうおねがいされても、じぶんがこころのどこかで『もうもどらないんじゃないか』っておもっているひとのねがいは、ぼくらにはかなえられない……」


 いつの間にかたっくんの横に並んでいたひなちゃんが、悲しそうに頷いてその言葉を肯定した。

 ちょっと待て。

 なんなんだ?

 この子達、いったい何者なんだ?


「だから、おねーちゃんがこころからしんじてまつんなら、ぼくらがおねーちゃんのねがいをかなえてあげる」


 私は我知らず空を見上げる。

 どこまでも、どこまでも真っ青な空を見上げる。

 ずっと後になって思ったことだが、その時もし空を見上げなかったら、私はきっと頭がおかしくなっていたんじゃないだろうか。

 空を横切る鳥と雲だけが、私の心を辛うじて現実につなぎ止めていた。


「わたし、おねーちゃんのまってるひとがきてないかみてくるね!」

 その声にはっと我に返ってそちらに目を向けると、ひなちゃんが丘の斜面を下る階段に向かって駆け出すところだった。

「あ……」

 急いで呼び止めようとしたものの、ひなちゃんの姿は既に木の陰に回り込んで見えなくなっている。

 次の瞬間、ガツッという鈍い音に続いて「きゃっ!」というひなちゃんの悲鳴が聞こえた。

 私は一瞬で何が起きたか悟った。慌てて階段を駆け降りたひなちゃんがつまづいたんだ。

 大変だ……。

 真っ白になった頭の中の片隅でその言葉だけが火花みたいにパチッと弾けて、私は思わず腰を浮かせる。

「おおっとぉ!?」

 予想していたひなちゃんの小さな身体が石段に打ち付けられる音の代わりに、男の人の慌てた声が木の陰から聞こえてきた。

 この声、聞いたことがある。というより聞き慣れている。

「あ、あ、あ、あっぶなぁ~~~!!!」

 やっぱりそうだ。

 このちょっとマヌケっぽいけど、どこか相手をホッとさせる声は……。

「ダメだよ。階段で転ぶなら、せめて登りのときにしないと! ……いや、それもダメか」

「ごめんなさい。おにーちゃん、ありがと」

 そんなやりとりの後、ひなちゃんとは違う重い、ゆっくりとした足音が階段を上がってくる。

 そして木の陰から姿を現したのは、小さなひなちゃんをお姫様抱っこした陽輔だった。

 陽輔は私の姿を見ると、ひなちゃんを下ろしてゆっくりとこちらに歩み寄って来る。

 ひなちゃんはそれに先行してこちらに駆け寄って来ると、私の耳元に顔を寄せてそっと囁いた。


「おねーちゃん。おねーちゃんのおねがい、かなえてあげたよ」

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