ミッション・インポッシブル
その週の金曜日、ちょっとした異変があった。
まあ、よくよく考えれば異変というほどのものでもなくて、せいぜいがほんの僅かな違和感。
けれどこの「違和感」ってヤツはなかなかどうして侮れない。その出所を探らずに放置しておくと、最初の印象よりずっと深刻な影響を及ぼすことがあるのだ。
そしてその日感じた違和感も、やっぱり最終的にはボクと里美の関係にひとかたならぬ影響を与えた事件の前触れだった。
毎週里美から欠かさずやってくる週末スケジュールのブッキングメールが届くのがやけに遅い。
最初はただそれだけのことだった。
いつもは午後五時半頃には震えるボクのスマホが六時を過ぎてもウンともスンとも言わない。
六時半。フロに入ろうとして立ち上がった瞬間に着信したのは書店の「今月のお得情報」メールで、予想を裏切られた腹立ちまぎれに即時配信停止に追い込んだ。
その後フロからあがっても、夕食を済ませても、自室に戻って勉強を始めても、里美からのメールは一向に届かなかった。
これはあれか。先日の早瀬さんの一件でヘソを曲げてるとかそういうパターンなのか。だけどあの日、例によってムスッと拗ねてはいたが、そんなに本気で怒ってるふうではなかったのに。
そんなことを考えつつ、他の可能性もいくつか頭に浮かぶ。
もしかして熱でも出して寝込んでるとか、内野先輩を始めとした周りの友達が「ちょっと心配させてやれ」みたいな入れ知恵をしたとか……。
だけど、具合が悪くて寝込んでるにしてもメールの一つくらい打てるだろうし、もし里美の友達の策謀だとしたら、こちらから連絡するのも術中にはまったみたいで悔しい。
さてどうしたものかと考えを巡らせているうちに、どうやらいつの間にか机に突っ伏してうたた寝をしてしまったらしかった。
どれくらいの時間ウトウトしていたのか。
机から伝わる震動にハッと顔を上げると、スマホのディスプレイ表示がメールの着信を告げている。
ボクはちょっとドキドキしながらスマホを手にすると、着信したメールを開いて目を通した。
6月24日 23:19
From:大井川先輩
件名:明日……、
本文:私を探して。
里美
短い。
短過ぎだろ、これ。
だが実際のところ、ボクの意識のどこかに最初に引っ掛かったのは、文面の短さよりもその表現だった。
「私を探して」
らしくない。
らしくなさ過ぎだろ、これ。
里美のいつもの調子からすれば、ここは「私を探せ」か「私を探し出してみろ」くらいの勢いになるはずだ。
なのにどうだろう、この文面。これじゃあまるで、愛しい王子さまにいたずら半分のかくれんぼをしかけるお姫様みたいな雰囲気だ。
いやいや。別にそれがダメってワケじゃない。
十九才。容姿端麗、スタイル抜群の女子大生。むしろ条件的には資格を十分に満たしていると言っていい。
にも関わらず、そういうキャラを演じるにしては、我が彼女はあまりにも不釣り合いな印象を与える過去を持ちすぎていた。しかもその印象は99.9%が自己責任ときている。
それはともかく、里美が病気でも、友人の差し金でボクに気を持たせようとしているとかでもないらしいことだけは分かった。
さて、日付が変わって日曜日。
現在午前八時だが、昨日のメールにあった「私を探して」というミッションをクリアしようと思ったら、今すぐ里美のアパートに行きさえすれば即達成だ。
里美はねぼすけである。
実のところ、ちょっと度が過ぎたねぼすけである。
高校時代、一限目に当校してくるのなんかざら。ひどい時には二限目の終了間際に当校してきたことすらあった。
休みの日となれば推して知るべし。八時の時点で起きていることなどまずもってない。
というわけで、里美から出された謎のミッションをサクッとクリアして勉強の時間を確保すべく、ボクは歩いて数分の里美のアパートへ向かった。
それにしても里美のアパート、近い。近すぎるくらいだ。
実際、ボクの家からは駅に行くよりコンビニに行くより、里美のアパートに行くのが一番近いのだ。
晴れ渡った空のもと、すっかり通い慣れた道を辿って目的地につくと、他の部屋の住人が寝ている可能性に配慮して静かに足音を忍ばせながらアパートの階段を昇る。
二階に三つある部屋の真ん中が里美の部屋だが、階段を昇りきったところで既に普段と違うところがあるのに気づいた。
扉にデカデカと貼られた白い紙。
遠目にも何やら文字が書き付けてあるのが見てとれる。七文字だと、文字数まで分かるほどのデッカイ文字。
「ゲームスタート」
一歩半近づいただけで読み取れた。
これはビックリ。
このミッション、思ってたほど簡単には達成できないらしい。
いや、ホントは里美がこの時間から起きて外出してる方がビックリなんだけど。




