陽輔、ご不興をこうむる。
「うん、これ。このアプリだよ。無料アプリなのにスゴく使いやすいの」
「ちょっと待って下さい。今インストールします」
「なあ、陽輔、ゆかりん……」
「インストールできた? じゃあ、さっちんへの共有用フォルダを作ったから。……リンクはこれね」
「はあ、なるほど。ここにリンク先を指定しておくと直接アクセスできるんですね」
「よーすけ。ゆかりーん……?」
「そ。閲覧だけならブラウザからでもできるけど、ここからなら自分のフォルダに移動して編集もできるし便利でしょ?」
「え? このファイル、移動しちゃっていいんですか?」
「なあ、二人ともってば……」
「もちろんイイよ。そこに入れるファイルは、全部さっちん用のコピーだから」
「あの、あんまり里美を甘やかさないで欲しいんですけど。ただでさえ自分のことをろくすっぽやらない人間なので……」
「あはは。陽輔君、まるでさっちんのお父さんみたい」
「うおおおい! ふ・た・り・と・もぉ~~~!!!」
周波数の高い音がガンとボクの耳を打った。
左の耳から右の耳へ、キーンという余韻を残して里美の叫び声が抜けていく。
「ちょっと里美。耳がカユくなるよ」
「ただ耳の掃除をサボってるだけじゃないのか?」
ぷっくり頬を膨らませて、里美がにべもなく言った。
「人が呼んでるのに無視するからだ。当然の報いだぞ」
そんなこと言われてもしょうがない。こっちは里美の命令でここまで引っ張ってこられて、早瀬さんが使ってるファイル共有アプリの説明を受けてる真っ最中なんだから。
早瀬さんにしたって(多分)一方的に見せる側なんだから、面倒くさいことはあってもメリットはないはずだ。
そんな二人が真剣に話してるっていうのに、ちょっとは横で大人しくしてられないんだろうか?
「それで、どうしたの? さっちん」
デメリットオンリーの案件を処理中であるはずの早瀬さんが、にっこり笑顔で里美に問いかける。いい人過ぎるだろ、この人。
一方、依頼人であり、この案件に関してはメリットオンリーであるはずの里美の方は、ナゼか口をへの字にして拗ねた幼児みたいな顔だ。
「……いや、その」
ボソボソと口ごもる里美の様子に、ボクと早瀬さんが思わず目を見合わせる。
「特に何ってワケじゃないんたが……」
意味が分からん。人の耳元でソニックテロを引き起こしておいて、特に用がないとかどういうことなんでしょうね?
「心配しなくても大丈夫だよ、さっちん。使い方は陽輔君が後で説明してくれるから」
「あ、うん……」
相手の心中を推察しての早瀬さんの言葉にも、里美の表情は変わらずそのままだ。
煮えきらない里美の態度に戸惑って溜め息を一つついた時、偶然内野先輩と目が合った。によによと何やら意味ありげな笑いを浮かべた内野先輩と。
その瞬間、このシチュエーションの要因は何もかもお見通し、みたいな顔の内野先輩を見たボクの頭に、ふとある予想が閃いた。
もしかしてこれって……。
「まあ、説明しとかなきゃならないことはだいたいこれくらいかな。後は陽輔君、家でさっちんにゆっくり使い方を説明してあげて」
早瀬さんが、この微妙な空気を入れ換えようとするみたいにぱしっ、と両手を打ち合わせた。
「ほな、せっかくやしこの後みんなでどっか遊びに行かへん?」
それまで退屈そうにしていた一ヶ谷さんが待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「いいね。久しぶりにカラオケとかどう?」
「え~!? みかっちとカラオケ行くともれなく五時間耐久レースになるからなあ。さすがにキツいよ」
「今日は自重します! 三時間で切り上げます!」
「それでも三時間はいくんやなあ、みかっち」
他の三人が楽しそうにこの後のプランを相談する中、里美だけが相変わらず苦虫を噛み潰したような顔で黙りこくっていた。
まあ、その理由についてはさっきの内野先輩の含み笑いもあってこの時点で何となく当りがついていた。
さすがは里美と小学校以来の付き合いの内野先輩。我が彼女がただ今不機嫌な理由もちゃんとお分かりのようだ。
毎度のことだが、これはきっと「ヤキモチ」だ。恐らくさっき早瀬さんと二人で夢中になって話し込んでいたのが原因だろう。
でもそれってしょうがなくない?
だいたい自分が機械に弱いからって理由で、ボクを引っ張り出して直接早瀬さんの説明を聞かせたのは里美自身なんだから。
それに、話してた内容も話し方も普通だったでしょ。 ……でも、ひょっとしたらちょっとくっつき過ぎだった? いやいや、しょうがないでしょ。タブレットのディスプレイを同時に覗きこんだら、どうしても少しくっつき気味になるでしょ?
「しょうがない。みかっちの耐久レースに付き合うことにするかぁ! さっちんと陽輔君もそれでいい?」
ようやく今後のプランの話がまとまったらしく、早瀬さんがボクらに声をかけてくる。だが答えを待つまでもなく、彼女らの中ではカラオケ耐久レースは決定事項のようで、早くもボクと里美以外の三人はテーブルから立ち上がりかけていた。
里美は何も言わずにただコックリと頷き、他の三人に続いて腰を上げる。里美に異論がないなら、ボクはオプションとして同行を義務づけられたも同然だ。
潔く諦めて立ち上がると、里美がボソリとボクの耳元に囁きかけた。
「……ナチュラルジゴロめ」
はい、予想的中~。