大井川里美のIT革命
教師陣が研究授業の準備だとかで午前日課となったとある日の午後、ボクはブツブツと口の中で不平を唱えながら自転車で里美の通う修明大学を目指していた。
理由は他でもない、里美による呼び出しだ。
先日のタブレット購入未遂事件の後、里美は懲りもせずに「自分でタブレットを使うのが無理でも、友達が取ったノートは見せてもらいたい」とか言い出した。
「見せてもらうだけなら、スマホでもいいでしょ?」とか返してしまったのが運の尽きだったのだが、それ以前に里美、自分でノートを取るという発想のない時点でもうダメだよなぁ。
「他人のタブレットのデータって、どうやったら見せてもらえるんだ?」と目を光らせる里美に、ファイル共有アプリがどうちゃら、ノートアプリのファイルがなんちゃらと説明を始めてものの数分、何となく予想できたことだが、出来のよくない彼女の頭がオーバーヒートで煙を上げ始めた。
ここでこのIT駆使案を放棄してくれれば良かったのだが、ボクの彼女はこういう時ムダに粘り強い。
「うにゃあ! そんな宇宙飛行士の専門用語みたいな言葉、いくら聞かされたって分かるかぁ! もういい。陽輔がゆかりんと直接話せえ!」
ほどなく癇癪玉を炸裂させた里美はどうしたはずみか、タブレットを使っているというその友達にボクを直接会わせるという発想にたどり着いてしまった。
そんなこんなで、平日にボクのスケジュールがポッカリ空いたのを聞いた里美が、これ幸いとばかりにボクを自分の大学まで呼び出したというわけだった。
少しは勉強する時間を頂戴よ。このままじゃ、間違いなく受験失敗するよ、ボク。
「里美ぃ。今門を入ったけど、どこに行けばいいの?」
全然こちらを見もしない守衛さんの前を通過して駐輪場に自転車を停めたボクは、スマホを取り出して里美に連絡を取った。
「ああ、陽輔。ついたのか」
人をわざわざ呼び出しておいて、何とも呑気な口ぶりだ。
「今、六号館の六二二教室にいる。分かるか?」
「分かるワケないでしょ。六二二教室どころか、六号館がどこなのかすら分からないんだけど」
初めてこの大学に足を踏み入れたボク相手に、まったく優しさのカケラもない案内をしてくれる。
「顔。顔を上げてみろ、陽輔」
そう言われてふと目の前の建物を見上げると、開いた二階の窓に見慣れた顔を発見した。やけに嬉しそうな顔で、里美が小学生みたいに手を元気にブンブンと振っている。
「ここだ陽輔」
里美の後ろには数人の女子生徒達の姿もあって、こちらを興味深げに覗いていた。
「陽輔、ちょっとそこで待ってろ。今そっちに行く。せっかくだから、カフェで話そう」
里美に案内されて入った修明大学のカフェテリアは、南の壁が全面ガラス張りというやたらとオシャレな作りだった。
午後二時になろうかという時間帯のためか食事をしている学生はほとんどおらず、みなコーヒーや紅茶を飲みながらおしゃべりに興じている。
ボクらが座っている六人掛けのテーブルには、なぜかボクと里美の他に三人の女性が座っていた。
一人はボクもよく知っている人物、内野先輩だったが、他の二人とはまったく面識がない。しかもなぜかこの二人、さっきからしげしげとボクを見つめていて、きまりが悪いことこの上ないんだけど。
「陽輔。この二人、私の友達の早瀬ゆかりと一ヶ谷優奈だ。この前、一緒に群馬に行ったのもこの二人なんだ」
「棚橋陽輔です。よ、よろしく……」
ボクの向かい側に座る二人に、ボクはペコリと頭を下げながらもにょもにょと挨拶した。
「よろしくね、陽輔君」
「おはつ~。よークンとやら、よろしくな?」
早瀬さんというらしい明るい色合いのセミロングヘアの女性と、何やら脱力しそうなゆる~い挨拶とともに、まなじりをへにゃっと下げた黒髪ショートの二人が矢継ぎ早に声をかけてくる。
「へえ~、そっかぁ。キミがさっちんの彼氏かあ。予想と違って大人しそう」
「そーやなー。もっと気の強そうなタイプかと思うたわ」
ボクが二の句を継ぐより早く、二人が口々にこちらの人物評を始めた。すいませんねえ、気が弱そうで。
「あはは、二人とも。ヨーちゃん、こう見えてもスゴく芯が強いんだよ」
内野先輩がすかさずフォローを入れてくれるが、これって本来なら、彼女である里美の役目だよね?
「まあ、そうか。そうでなきゃ、さっちんの彼氏なんかつとまらないよね」
「ゆかりん、それってどういう意味だ?」
ごもっともな感想を漏らした早瀬さんを、里美がジロリと横目に睨む。
「ハンパな精神力で里美の彼氏なんかやってたら、あっと言う間に心が折れるって意味じゃないの?」
ここぞとばかりにボクが普段の苦労をアピールすると、隣から里美の膝蹴りが飛んできた。突然腿に生じた鈍い痛みに、思わずテーブルに突っ伏して呻く。
「あはは。まあまあ、さっちん。それより、陽輔君に今日来てもらった用件を先にすませちゃおう」
たははと苦笑いを浮かべた早瀬さんが、そう取りなしながらタブレットをバッグから取り出した。




