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己を知れ

「陽輔、電器店に行こう」

 いや、なんかそんな「そうだ。京都行こう」みたいに言われても。相変わらず経緯とか事情説明とか、大事なことを色々スッ飛ばすなあ、ボクの彼女。

「どうしたの、急に。何か欲しいものでもあるの?」

 金曜の夕方恒例になりつつある、里美からの週末予定ブッキングコール。今週の出だしがいきなりこれだった。

「……た、タ……、タブロイド?」

「電器店に新聞売ってないけど……」

 タブレットって言いたいんだろうなー、とすぐに分かりはするものの、里美の余りに貧弱過ぎるボキャブラリーの補強のためには安易な正解提示はご法度である。

 そもそも、名前も定かでないものを買いに行くってどういうことさ? 「今時、家電はネット通販の方が安い」とかいう話の遥か以前の問題だ。

「そ、そんなこと分かってる! えーっと、あれだ。タ、タブ、タビュ? タービュランス!」

「ひ、飛行機のチケットは取れたの。里美?」

 ああ、痛ましい。

 ここまで来ると、ホントに痛ましくて涙が出てくる。

 ……あ。でもそんな名前の空気清浄機あったっけか? それなら電器店に行くのも変じゃないか。

「ひ、ひこう……!? もういい! とっくに分かっているんだろう、陽輔!? とにかくソレを買いに行きたいんだ!」

 で、最後には逆ギレしてこれだ。

 多分ボクの母さんですら、タブレットなんて名称くらいは知っているだろうに。

「で、どうして急にタブレットが欲しいなんて言い出したのさ?」

「実はな、今日大学の友達にノートを見せてくれって頼んだら『さっちん、ファイル共有アップルは何使ってる?』とか言われたんだ。それでその子が差し出したのが、ノートじゃなくてその……、タブレット! だったんだ」

 ああ。やっと「タブレット」って言えたね、里美。その代わり、今度は「アプリ」が言えなかったけどな。

 ほー。それにしても、きょうびの大学生は講義の記録にタブレットを使うのか。そう言えば、うちの高校でも導入を検討してるとかしてないとか、先生たちの言葉の端々(はしばし)に最近よく出てくるな。

 確かにスタイラスペンを使えば図や表なんかも簡単に書き写せるし、使い慣れてさえいれば、紙のノートを使うより便利なのかも知れない。


 そう。あくまで「使い慣れて」さえいれば、だ。


「うん、事情は分かった。里美、今夜こっちに来れる?」

「うん? 別に大丈夫だが……」

「じゃあ、八時頃に待ってる」

「わ、分かった……。下着は変えていった方がい……」

 里美の要らぬ一言が終わらないうちにと、ボクは急いで通話終了キーを押した。




「陽輔。里美ちゃんが来たぞ~」

 玄関の方から聞こえる親父の声。鳴り響いた呼び鈴(チャイム)の音で既に里美の来訪に気づいてはいたが、一応「う~い」とやる気のない返事を返しておく。

 直後、せわしない足音が近づいてくるや否や、いきなりボクの部屋の扉が乱暴に開け放たれた。

「オッス、陽輔ぇ!」

「はい。やり直し」

 相変わらず扉をノックすることすら覚えないチキンガールに、ボクは机に座ったまま振り返りもせずに冷たいセリフを投げ掛ける。

 言われた里美の方はスゴスゴと一度部屋を出ていくと、パタンと閉じた扉をあらためてノックした。

「どーぞ」

 今度はちゃんとボクの(いら)えを待ってから、里美が再び扉を開けて顔を覗かせる。

「もう。私と陽輔の仲で、いちいちノックとかいいじゃないか」

「そんなこと言って、相手が誰でもノックしないでしょ。里美は」

 一事が万事。

 里美の場合は普段からちゃんとマナーをしつけておかないと、ボク以外の人に対しても無礼を働きかねない。ペットのしつけ教室はたくさんあるけど、どこかに人間のしつけ教室ってないのかな?

「それで、なんで私を呼んだんだ?」

 ボフンッとボクのベットに身を投げ出しながら、里美が本日の召喚の理由を訊ねた。

 ボクはそれに直接返事をせず、里美の脇に黒いレザーのケースに入ったタブレットを放る。

「これは……」

「取り敢えず、そのボクのタブレット使ってみてごらんよ」

 ケースを手にした里美に、ボクはそう促した。

 大学の友達に影響されてタブレットを欲しがるのはいいが、ハッキリ言って里美にそれを使いこなすスキルがあるとは思えない。自分のスマホの操作を内野先輩に訊くようなレベルだし。

 高いお金を出して買い物をする前に、まずはそのあたりの確認が先だ。

 里美はベットの上に身体を起こしてアグラをかくと、スマホを手にしてケースを開いた。

 もちろん電源は切ってあるから、立ち上げるところから始めなければならない。なのに里美ときたら、画面真っ暗のままウンともスンとも言わないスマホを、裏返したり真横から不審げに眺めたりと、まるで育児玩具を前にしたサルさながらの様子だ。

 ひとしきり見回すと、こちらにチラリとすがるような目を向ける。

「里美。ちなみに電源ボタンは右側の横にあるからね」

「わ、分かってる!」

 わざわざの助け船に逆ギレで返すと、里美はタブレットの側面を指でなぞりながらボタンを探り始めた。

 だけど里美、残念。

 それ、上下が逆だ。従って当然のように左右も逆。

 ボクは溜め息をついてイスから立ち上がり、ベットに歩み寄ると里美の手の中のデバイスをクルリと百八十度回転させた。

「……うぐっ! ふ、ふん!!!」

 無言で勘違いを指摘されたのがお気に召さないらしく、里美がプイと顔を逸らす。そして何とか電源ボタンを探し当てると、ようやくタブレットの起動に成功した。

 起動するまでだけで、タップリ五分以上かかったな。

 OSが自分のスマホと同じだったのが幸いして、里美は何とかお馴染みの錠前マークをスワイプしてホーム画面にたどり着く。

「陽輔……」

「どしたの?」

「なんか、すっごいたくさんマークがあるんだが……」

「……アイコンね」

 里美の戸惑いは何となく分かる。

 何度か里美のスマホのホーム画面を見たことがあるが、ほとんどが出荷時にデフォルトで入っているアプリだけだった。多分、電話とメールくらいしか使ってないんだろう。

「ノートアプリのアイコンはこれだよ」

 ボクは横合いから手を出して画面をタップし、適当にインストールしておいた無料のノートアプリを起動させる。

「文字の入力はメールと同じだからできるでしょ。取り敢えず、これを打ってみて」

 そう言って、ボクは自分の現国のノートを里美の前に広げて見せた。

「う、うむ……」

 たどたどしい手つきで、一文字一文字ぽちぽちと打ち始める里美。

 遅い。おそろしく遅い。これじゃあ、講義のスピードにとてもじゃないが追い付かない。

「な、なあ。陽輔」

「なあに?」

「やっぱり、私には無理かなあ……」


 うん。自分を知るって、大事なことだよね。

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