ハイウェイの終点
翌週の土曜。
ボクは里美と柳井さんとともに、史輝さんが運転する軽自動車に揺られていた。目指すのは、里美が指摘した川が西へ向きを変える場所。史輝さんの部屋を通過する幽霊達の目的地とおぼしき場所だった。
それはともかく、史輝さんのアパート近くの月極め駐車場で柳井姉弟と落ち合ってからずっと、ボクは運転席からのルームミラー越しの視線に何となく落ち着かない気分を味わっていた。
「よう、ヨースケ。そちらさんは?」
駐車場で無事に落ち合った際、ボクの斜め後ろに立つ里美の姿をみとめた史輝さんは、挨拶もそこそこに彼女の方に向かってアゴをしゃくって見せた。
「陽輔の彼女の大井川里美だ。よろしくな」
ボクが口を開くより早く、背後から唄うように軽やかな自己紹介が聞こえる。
「里美。史輝さん、キミと同じ大学一年生だけど、歳は一つ上だからね」
いきなり史輝さんに向かってタメ口を炸裂させた里美にハラハラしながら、ボクはそうそっと自分の彼女に釘を刺した。
だけど今のシーン、里美の言葉遣いよりも深刻な要素が何かあったような気がする。
それが何なのか、その時すぐにはピンと来なかったが、史輝さんに片側の眉を吊り上げたもの問いたげな表情を向けられてハッと思い至るところがあった。
さっきの自己紹介、ついこの間も同じような内容のものを聞いた記憶がある。もっとも、含まれた固有名詞に一部違いがあるけど。
そう。史輝さんのアパートを訪れた時、ボクの彼女だと自己紹介をしたのは大塚さんだった。
史輝さん、口にこそ出さないけれど、あの顔は「毎回違うオンナ連れてくるなんて、意外と隅に置けないね」とか思っているに違いない。
ただ里美の前でそれを指摘しないのは、いわゆる「男の友情」みたいなものなんだろうか。違うかな。違うな。
ボクらのやり取りを一歩下がって見ていた柳井さんも、ただにこやかな微笑を浮かべているだけで、この件にツッコミを入れる気は特にないらしい。
そりゃそうだ。今ツッコミを入れるくらいなら、大塚さんの時に入れてほしかったし。
だけど史輝さんは「そろそろ出発しましょ」という姉の言葉に頷いて運転席に回ろうとした際、ボクとすれ違いざまに「やるね」とポツリと呟いた。
「けどさ、ヨースケの言うことがホントだとして、それを今日確認できるとはかぎらないんじゃね?」
手馴れた様子でハンドルを操る史輝さんが、助手席の姉にそう問いかけた。
「あいつらが俺の部屋に出るのって、だいたい三日に一度くらいだぜ」
「そうだけど、今日は間違いなく現れると思うわ」
ドアのハンドレストに腕をもたせかけ、窓の外に目をやったままで柳井さんが答える。
「何で分かるんですか?」
彼女の自信に満ちた口ぶりに、思わず後部座席から二人の問答に割り込んでしまった。いや、自信と言うよりは確信に近いくらいの調子だ。
そんなボクを振り返りながら、柳井さんが「あら?」と意外そうな声を出す。
「棚橋君がそんな質問するの? 幽霊達の出発点をつきとめてくれたのはあなたじゃない」
それだけ言われても、すぐには柳井さんの真意を掴めなかったボクは、小首を傾げて見せることで追加の説明をおねだりした。
柳井さんはそんなボクを見て、ちょっと肩を竦めて見せながらもボクの要求に応えてくれる。
「あの葬祭場で、今日告別式があるのよ。ただそれだけ」
得心がいった。
史輝さんの部屋をまたぐゴースト・ハイウェイの始発点がセレモ千草だというのなら、そこで通夜や告別式が執り行われる日程を調べさえすれば、おのずと幽霊がそこを通る日の予測はつくというわけだ。
「先週、史輝の部屋で男の人を見た日、調べてみたら、やっぱりあの四時間くらい前に告別式があったのよ」
柳井さんは静かな声でそう呟いて、再び視線を前方に戻す。
「なるほどな……」
史輝さんもそう言ったきり、口をつぐんで運転に集中した。
それ以降、誰一人口を開かないまま車は目的地に到着した。そこは市街の外れの古い街並みで、目的の川も護岸をコンクリートで固められ、川というよりは水路と呼ぶ方が近い。
史輝さんは川と平行に走る道の路肩に車を停めると、ハンドルの上に組んだ両腕にアゴをもたせかけた。
ボクらの前方、二十メートルほどでは、地図が示した通り川が西へ向かって曲がっている。里美の主張が正しければ、史輝さんの部屋に現れる幽霊達のたどり着く地点はここだ。
ボクは窓越しに外に目をやり、どんよりと曇った空を何とはなしに眺めていた。
柳井さんの言う通り、幽霊が今日現れるのは間違いないとしても、時刻までは正確には把握できないだろう。ここで警察の張り込みみたいに待ってはみるものの、何とも気の長いことになりそうな話だ。
車内に気だるげな沈黙が垂れ込める。
史輝さんはハンドルに覆い被さった姿勢のまま、眠たげに目をシバシバさせているし、柳井さんも時おり深く息を吐き出しては僅かに身じろぎする。ボクの隣に座る里美にいたっては、ものの十五分もしないうちにボクの肩にもたれて寝息を立て始めていた。
「それにしても……」
沈黙に耐えられなくなったボクは、自分の前に座る柳井さんの背中にそっと声をかける。
「どうしてボク、ここ最近幽霊をちょくちょく見るようになっちゃったんですかね。例の沢村総合病院の一件までは、一度も幽霊なんか見たことなかったのに」
助手席のヘッドレスト越しに、柳井さんの首が微かに向きを変えるのが見える。
「波長が合っちゃったのかも知れないわね。あの病院で、彼らの存在を強烈に意識したのがきっかけで」
柳井さんが、髪を指でとかしつけるように後ろに流しながら囁くように言った。
「もっとも、棚橋君の場合は元から『見える』素質があったからだと思うけど……」
そんなボクと柳井さんのやり取りに、史輝さんが目線だけをこちらにチラリと向ける。
「何だよ、姉ちゃん。ヨースケのこと『生まれながらのスゴい霊能力者』とか言ってたクセに」
だが、弟の刺すような視線にも、柳井さんはまったく悪びれもせずに言葉を返した。
「だからそういうことよ。もともと生まれながらに持っていた能力が、強烈な経験で目覚めたってことでしょ?」
なんか、そこだけ聞くと少年マンガの主人公が覚醒したみたいでカッコイイんだけど、実はもうちょっと生々しいというか、おどろおどろしい話なんだよなぁ。
「つまり、それってボクはこれからも……」
あまり考えたくないことだが、柳井さんの指摘が意味するところをボクはやんわりと確認してみた。
「ええ、そうでしょうね。今は注意を向けた相手しか見えてないみたいだけど、そのうち道ですれ違う人達が生きている人なのか、そうでないのかすらすぐには分からないほどになるかも……」
「……え?」
柳井さんの言わんとすることが、僅かのあいだ理解できなかった。けれどその言葉がボクの脳裡に映し出した風景が、次第にその真意を伝えてくる。
「そ、そんなにはっきり見えちゃうものなんですか?」
「そうね。私なんか、一緒に街を歩いてた友達に『今すれ違った人、芸能人の〇〇に似てなかった?』なんて言って『誰のこと?』って変な顔をされてから初めて気づくなんてことがあるわ」
そう言った柳井さんは、深くシートに身を沈めると微かな溜め息をついた。
その時ボクは、自分のちょっとした勘違いにふと気づいた。柳井さんは、たまたま生まれつき「見える」力を持ち合わせていたと言うだけで、それはきっと、本人にとっては必ずしもありがたいことではないのだろう。ボクと同じように。
「だけど、あれはさすがに分かるわよね。棚橋君」
その言葉にハッと顔を上げると、軽自動車のフロントガラス越しに、川に向かってゆっくりと歩いて行く老婆の姿が目に入った。
さっきまでダルそうにハンドルにもたれていた史輝さんも、身体を起こして食い入るように前方に目を凝らしている。
柳井さんの言う通り、そのお婆さんが生きた人でないことはボクにもはっきり分かる。あまりにも存在感が希薄なのだ。
幸せそうに眠りこけている里美を除いた三人が見守るなか、川辺に辿り着いた老婆は一度躊躇うように立ち止まったあと、護岸のコンクリートの壁にスウッと溶けるように消えていった。
「やはり、大井川さんの説が正解ね」
暫しの沈黙のあと、柳井さんの静かな声がこの奇妙な事件に決着をつける。
姉の裁断を耳にした史輝さんは、うっと伸びをすると、溜め息とともに諦めの言葉を吐き出した。
「俺、あの部屋引き払うわ。これじゃ、どっちかっていうと俺の方が邪魔者っぽいしな」




