解答は意外なところから
「なぁーんでしょうか、色男さん?」
電話から聞こえる、皮肉がクォーター・パウンダーのビーフパテ並みにタップリつまった里美の声。
ボクの必死の呼び掛けに対してこの態度か。ホントにもう。しまいにゃ泣くよ?
「そういうわけで、ボク色々忙しいから電話切るからね?」
通話を終了するという、たったそれだけの行為に許可を求めなくてはならない。これって、ある意味現代の奴隷制だよな。
世の男性の皆さん、気を付けて。彼女を作るってことは、自らを鎖に繋いで、その先を女性の手に握らせるってコトに他なりませんよ!
「待て、陽輔。『色々』って何だ?」
さっきまでとは一転、里美が心底不思議そうな声で尋ねる。
「だから、史輝さんの部屋を幽霊が通り過ぎる理由を探さなくちゃならないんだってば」
「幽霊? ……『史輝さん』って誰だ?」
あれ。もしかして、里美さっきの話を聞いてなかった?
おおかた、スカート姿の大塚さんに呼び出された件で頭がイッパイになって、それ以降の話が耳に入っていなかったに違いない。「それ以降」の話の方がどちらかと言えば長かったし、メインだったのに。さっき滔々と一人で語ってたボクって、いったい何だったんだろう。
ボクは貴重な時間が無駄に費やされたことに溜め息をつきながら、しかたなく史輝さんの部屋で起こった奇妙な出来事をもう一度語った。
「……ふうん」
主旨をギリギリまでかいつまみ、最短のダイジェスト版でお送りしたボクの話を聞き終わると、里美がなんともあやふやな相づちを返してくる。
「そういうわけで、今史輝さんのアパートの南東に何かないか探してるとこなの。だから、もう電話切っていい?」
奴隷のたしなみとして、ちゃんとご主人様の許可を得るボク、エライ。
だが我がご主人はボクを解放する気はさらさらないらしく、何か考え込むような口調で話を繋いだ。
「なあ、陽輔。私、そのアパートの場所だいたい分かるんだが、南東ってどっち側だ?」
おや。意外なことに、ご主人様がこの話に食いついてきた。てっきり無関心に流されるものだとばかり思っていたのに。
「えーっと……」
ボクは何度となく見返したマップを拡大し、アパートの南東にある施設で、里美でも知っていそうな所がないか探してみた。
「……ああ。ドラッグストア分かる? 道路を挟んで、コンビニのはす向かいにあるやつ。あっちの方向がちょうど南東だよ」
「あっちか……」
そう言うなり、里美の声が再び遠くなる。
“みかっち。私のスマホでグ~ルグルマップって見れるか?”
里美。自分のスマホの操作方法を人に訊くとか、お前はボクの母さんか。……母さん、何度教えてもスマホの操作覚えないんだよなぁ。
“う~んと。……あ、これこれ。このアイコンがそうだよ”
“お、何々。なんか面白いコトでも始まんの?”
“なんか、さっちんが彼氏との電話中にマップアプリを見始めたよ”
“みかっち。千葉駅って、この地図だとどの辺だ?”
“えーっと、この辺。……って、さっちゃんダメだよ! 房総半島全体表示されてるじゃない。もっと拡大しないと!”
“どうやれば拡大できるんだ?”
“画面をピンチアウトして”
“ピン……、何?”
“え~、何それ。私も知らな~い”
なんか、ものすごく頭の悪そうな会話が電話の向こうで展開されている。
とは言えまあ、スマホの操作って普段直感的にやってるもんだから、あらためて操作の名称とか言われても分からないってこと、確かにあるよな。
“ここだな。アパートがここら辺で……”
“何々、さっちゃん。どーしたの?”
“…………”
“ねえ、さっちゃん?”
“……分かった…………”
“……え?”
「陽輔、分かったぞ。……川だ」
なんだって。かわぁ?
「その幽霊達、川に向かってるんだよ。死んだ人達は一度川に出て、そこから海に出ていくんだ」
何の迷いもなくそう言い切る里美に、ボクは返事もできずにただ黙るしかなかった。その時の里美の声が、あの花火大会の夜に小さな社の縁起を語った時のように厳かだったから。
「小さい頃、じいちゃんにそんな話を聞かされたことがある」
ボクはノーパソのディスプレイに顔を近づけて、史輝さんのアパートから南東の方向に画面をスクロールさせた。しばらくすると、先輩の言う通り川を示す水色のラインが現れる。
「確かに川はあるけど……」
ボクはちょっと戸惑ってイヤホンのマイクに話しかける。
「西に行けば直接海に行けるのに、なんでわざわざ一度川に?」
「死者にとっては、川は特別な意味を持つらしいぞ。山間から始まって、海に流れ込んで終わる。人の一生の象徴みたいなものだからじゃないかって、じいちゃんは言っていたけどな」
別に、里美のお祖父さんの言うことに異論をはさむつもりはないけれど、ボクにはもう一つしっくりこないことがあった。
「だけど里美。これ、別に南東に進む必要ないじゃない。葬祭場から、東に行っても南に行っても川には出られる。むしろまっすぐ東に進んだ方が、川にはずっと近いよ」
そう。里美の持論を聞いた時に感じた違和感はまさにそれだ。
彼らが生きている人間と同じように道路に沿って移動しているというのなら話は別なのだろうが、史輝さんの部屋に現れる幽霊達は、壁までもすり抜けて真っ直ぐに進んでいくのだ。もし彼らの目的地が川だとするならば、葬祭場と川を結ぶ最短距離である真東に進んで行くのが普通なんじゃないだろうか。
そんなボクの疑問に答える里美の声は、小さな子をあやす母親みたいに静かで優しい響きだった。
「それはな陽輔、川の向きだよ。じいちゃんも終戦間際、亡くなった人達が次々に川に入っていく光景を見たと言っていたが、死者が川に消えていくのは、決まって川が西向きに流れている場所だったそうだ」
そう言われたボクは、ノーパソの画面をスクロールさせて南東の方向に表示を移動させる。
脳内でアパートから南東に真っ直ぐ引かれた線が川と交わる地点。そこでは、それまでほぼ真南に流れていた川が急激に向きを変えていた。その方向は真西というわけではなく、やや南に逸れているとは言いながら、確かに川は西の方に向かって曲がっている。
そしてそこから海にたどり着くまでの間では、確かに直線距離で葬祭場に一番近いのは川が曲がった直後の地点だった。
「……なるほど。そういうことなんだね」
ここまで材料を揃えられては、里美の答えを正解と認めないわけにはいかなかった。
里美のお祖父さんの体験談と、示された地理的条件。科学的、論理的に証明できる命題ではないけれど、ボクの心のどこかが確かにそれを「正」だと感じていた。
「ふふん、どうだ。見聞の広い彼女を持ったことに感謝するがいい、陽輔」
さっきまでの厳粛な雰囲気もどこへやら、里美がオセロに勝った小学生みたいな調子で勝ち誇る。
いや。それ、里美の見聞じゃなくてお祖父さんのじゃん、と不満に思ったが、実際口をついて出たのは他の言葉だった。
「うん。助かったよ、里美。ありがとう」
「な、何だ。今回はやけに素直じゃないか……」
イヤホンから聞こえた、里美のちょっと照れたような声に思わず口元が弛んだ。