奇妙な怪談
「姉ちゃんから聞いてっかもしんないけど、オレ、一浪して今年からこの近くの大学通ってんだ」
史輝さんはそう言いながら、親指を肩越しに駅の方向へ向けて見せた。
聞いてます。
駅の真ん前にある国立大学。特にその医学部は全国でもトップクラスだ。
「それで、この部屋見つけて春から住んでんだけど……」
そこで史輝さんの言葉が切れた。
どないしたん? と彼に目をやると、まあ今さらクドクド言うまでもないか、とでも言うように肩をちょっと竦めて見せる。
「……まあ、出たワケだ。あんなのが」
はあ。まあ確かに、実際にさっきのを目にしたボクらには、そんな説明で十分な気がしますね。
「初めて見たのはいつくらいですか?」
「オレが入居して、三日目か四日目には早速出やがったよ。まったく、せめてこっちが落ち着くまで待つくらいのマナーはねえのかね?」
ボクの質問に、史輝さんは心底不機嫌そうにそう返した。
「しかも、一週間と空けずにしょっちゅう出やがんだぜ?」
そう吐き出すように言うと、史輝さんは姉が淹れたコーヒーのカップに手を伸ばす。
「一週間?」
同じくカップを手にしていた大塚さんが、それを口元へ運ぶ動きをピタリと止めた。
「てことは、毎週出るのか?」
「ああ。多い時は週に三回出たこともあったんじゃねぇかな。記録取ってたワケじゃねえケド」
そして史輝さんは湯気の立つコーヒーを一口啜ると、いかにも悔しそうに付け加える。
「そのくせ、姉ちゃんが来てる日には出ねえんだよ。そのせいで姉ちゃんにはウソつき呼ばわりされるし、散々だぜ」
「別にウソつき呼ばわりはしてないでしょ!?」
それまで史輝さんの説明を黙って聞いていた柳井さんが、心外だと言わんばかりに抗議した。
「だって姉ちゃん、『私は何も感じないわよ。あんたの勘違いじゃないの?』とか言ってたじゃんよ」
「しょうがないじゃない。ホントに何も感じなかったんだから! ウソと勘違いは違うでしょ!?」
確かに柳井さん、ボクにこの依頼をする時にも「自分は見たことがない」と言っていた。
「そう言えば変ですよね。なんで柳井さんほどの『見える』人が、今日の今日までこの部屋の幽霊に気づかなかったんでしょう?」
ボクは小首を傾げながら、誰に言うともなく呟いた。
「それは分からないわ。さっきだって、棚橋君に教えられるまで気配すら気づかなかったもの」
柳井さんが、なぜかちょっと申し訳なさそうに俯きながら言う。彼女にそんな顔をされた後ろめたさで、ボクは慌てて次の疑問を口にした。
「それから、さっき史輝さんが言っていた『あいつらがあんな反応するなんて初めてだ』ってところなんですけど、普段はどんな感じで出るんです?」
その質問に対する史輝さんの反応は、さして大袈裟なものじゃなかった。つまらなそうに首を回してコキコキいわせると、微かな溜め息を漏らしてボンヤリとボクの顔を見返す。
「別に、さっきのヤツがヨースケの後ろにいる人達に気づく前と一緒だよ。ただ歩いて、部屋を横切って行くだけ。まあ、急いでるようなヤツもいれば、迷ったようにキョロキョロしてたのもいたけどね。だけどどいつも、オレのことなんか気にせずに目の前を通っていくよ。失礼なヤツらだぜ」
言いながら史輝さんは、西側の壁を差した指をすうっ、と東側の壁に向けてスライドさせた。
そのゼスチャーの意味を悟ったボクは、さらに史輝さんに疑問を投げ掛けた。
「いつも同じなんですか?」
「……え?」
ボクのあまりに簡潔すぎた質問に、史輝さんが怪訝そうに眉をしかめる。
「いつも同じ方向に歩いて行くんですか? その幽霊」
ボクはさっき史輝さんがやったように、西と東の壁を順に指差した。
それを見た史輝さんが、ようやく得心がいったというふうに頷いてみせる。
「ああ、そうだよ。いつもそっちの壁からヌッと現れて、部屋を横切ってからこっちの壁に消えてく」
なんて奇妙な幽霊話だ。色んな幽霊が、まるで判を押したように同じ行動を取るなんて。
「それからもう一つ」
そう言いながら、ボクは史輝さんに右手の人差し指をピッと立てて見せた。
「柳井さんの話だと、出る幽霊が毎回違うってことでしたけど、同じ幽霊は絶対に出ないんですか?」
この質問には、史輝さんもちょっと間を置いて考え込むそぶりを見せる。そして首を軽く横に振ると、キッパリとした口調で断言した。
「いや、同じヤツを二回見たことはないな。出るのは、いつも違うヤツだった」
「そうですか」
ボクはそう呟きながら、今聞いた二つの情報を頭の中で整理した。
いつも違う幽霊が、自分の部屋を週一で同じ方向に向かって横切って行く。そんな話、似たような構造の怪談すら今まで聞いたことがない。
しかもこの話がボクの頭に呼び起こすイメージは、意識の変な部分に引っ掛かる。
「同じ方向への通過」と「一度きりの出現」。これってつまり……。
「柳井さん……」
ボクは、アゴに手をあてながら考え込むふうの依頼者に控えめに声をかけた。
「もしかしたらボク、この件ではお役に立てないかもしれません」




