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大井川里見の履修計画

「うむぅ~」

 唸る。

「ふむぅ~?」

 先輩が唸る。

「んんむうぅ~」

 さっきから先輩が唸りっぱなしである。正確に言えば、朝からもうほぼほぼずっと唸りっ放しである。

 いや、大井川先輩が唸るコト自体はそんなに珍しいことじゃない。この人、空腹、不満、怒り、さみしさと、あらゆるマイナス要因で唸るから。

 今日のケースが珍しいのは、唸る理由が「懊悩おうのう」だという点だろう。あの「ノーテンキおバカさん」の先輩が何かで悩むというコト自体が一大事なのに、唸るほど悩むというのはもう、世界の終わりが来そうでなんかイヤ。

 先輩が何を今そんなに悩んでいるのかと言うと、先日受けてきた大学のオリエンテーションの資料とにらめっこしつつ、一年目の履修予定を組んでいるのだ。

「ふうんむうぅ~?」

「さっきから唸り声がだんだん長くなってますよ。大丈夫ですか、先輩?」

「うふんんむううぅ~」

「もはや唸り声なのかどうかもよく分からなくなってきましたね」

 しかもそれを最後に、唸り声を上げる気力すら底をついたらしい。先輩が頭を抱えてがっくりと机の上にうなだれる。

「ダメだぁ。分からないぃ~」

 まあねえ、初めて大学の履修予定を組むというのは、それもなかなかに大変なコトなんだろうけど。

 でも先輩のコトだからどうせ……。

「おおかた居眠りでもして、オリエンテーションのガイダンスを聞き逃したんでしょ?」

「そんなコトはない! ちゃんと聞いていたぞ。聞いてたけど話が難しくて分からなかったんだ! だから『一緒に来てくれ』って言ったのに、陽輔が冷たく断るからあ!」

 先輩が子供みたいに身体をピョンピョン跳ねさせながら抗議した。

 知らんがな。

「先輩もしかして、いついかなる時もボクがそばに居ると思ってるんじゃないでしょうね?」

 常識的に釘を刺したダケのつもりだった。だが知り合って二年になろうという今でも時々忘れる。この人への説教は、往々にしてぬかに釘、暖簾のれんに腕押しなのだ。

「当たり前だろう? いついかなる時も私のそばにいるのが陽輔の役目だろう? 私、三日以上陽輔のそばを離れると死ぬんだぞ?」

 まったくもう。いっそ死んでしまうがいい。

「それで、何が分からないんですか? ボクでも分かるコトなら相談に乗りますよ」

「うう~ん。陽輔に分かるかなぁ、コレ……」

 先輩が不信げに首をかしげた。まあ、先輩の大学独自のシステムとかだと、確かにガイダンスを聞いてないと理解できないとかあるかも知れないが。

「この『ひっしゅうかもく』と『せんたくかもく』というのがよく分からないんだ」


 …………はい?


「すいません先輩。その資料見せてもらってイイですか?」

 先輩がついと差し出す資料を受け取って目を走らせる。

 ……うん、間違いない。間違いなく「必修科目」と「選択科目」と書いてある。ボクの聞き間違いでも、読み間違いでもないらしい。

「確認します」

 ボクはテーブル上のおせんべいの袋に伸びる先輩の手をピシャリと叩きながら言った。

「この『必修科目』と『選択科目』が分からないんですか?」

「うむ」

 ちょっとイラッときた。何でそんなエラそうなんですか。

「組み合わせ方が分からないとか?」

「いや。その二つの違いが分からない」

 思わず手にした資料を丸めて先輩の頭をはたく。あまり広くない部屋に、やけにクリアな「スパコーン」という音が響いた。

「あいたぁ! 何するんだ、陽輔ぇ!」

「まったくもう! 『必修』と『選択』って、言葉の意味そのまんまじゃないですか!」

「その言葉の意味が分からないから困ってるんじゃないか!」

 先輩の頭にもう一撃喰らわした。今度は「ポコペーン」とニブイ音がする。

「ああ~ん! でぃーぶいだ。でぃーぶいぃ~! どめすてぃっくばいおれんすぅ~!!!」

「そんな言葉より、先に『必修』と『選択』って言葉を覚えて下さいよ。もう!」

「だってそんな言葉、滅多めったに使わないだろう!?」

「『DV』の方が滅多めったに使わないでしょーが!!!」

「よ、陽輔……」

 先輩がゴクリと唾を飲み込む。

「お前、どこの世界の人間だ?」

「ボクのセリフです、それ」

 学生のクセに「必修」「選択」より「DV」を頻繁ひんぱんに耳にするとか、いったいどんな世界なんですか。

「『必修』は必ず受けなきゃいけない授業、『選択』は自分の好きなものを選んで受ける授業のことです」

 丸めた資料をほどいて先輩に返しながらこの世界の常識を説く。

「ここに書いてある日程を見ながら、自分が受けたい授業を組み合わせて時間割りを作るんですよ」

「『選択』は好きなものを選んでいいなら、選ばなくてもイイのか?」

「いや。選ぶから『選択』なんじゃないですか?」

 ボクは飽きれながら資料の選択科目に関する注意事項を指差した。「一年次では下記五講座より必ず一講座以上を受講のこと」とちゃんと書いてある。

「つまり先輩は、この『日本文学史Ⅰ』『日本文学史Ⅱ』『国語基礎文法Ⅰ』『国語基礎文法Ⅱ』の四つの必修科目と選択五科目の中から一つ、それから一般教育科目の中から三科目の合わせて最低八科目を一年次で履修しなきゃならないんです」

「八科目も!?」

 何をそんなに驚くコトがある? 一週間に二十二コマもあるんだから、八科目じゃ三分の一強しか埋まらない。

「『最低で』ですよ?」

 ボクは先輩の鼻をきゅっと摘まみながら、この大きなナリをした子供に言い聞かせる。

「卒業のためには百二十八単位必要なんですから、一年のうちにあと四、五科目履修して、一、二科目落としても最低四十単位くらい取れるようにしておかないと……」

「大学は四年間あるんだから、一年で三十単位くらい取れれば卒業できるじゃないか」

 先輩がフガフガと鼻声で抗議した。

「三年までで百十か百二十単位くらい取っておかないと、四年になった時に就職活動する時間がありませんよ?」

 それを聞いた先輩がニカッと笑う。

「そんなコトなら心配するな。就職なんて、一、二週間もあれば決めてみせる」

「まったく、トコトン世の中舐めてますね」

 ボクは先輩の頭をガシッととらえると、コメカミにぐりぐりとウメボシを喰らわせた。

「何度も言いますが、バイトすらろくすっぽ続かない人がそんなあっさり就職できるワケないでしょ?」

 とはいえ、大学合格からして先輩にしてみたら奇跡みたいなものだ。就職だって黒魔術まがいの奇跡でどこかの中小企業にヒョコッと潜り込んじゃうかも知れないな。潜り込んだ後でその会社をつぶす可能性は多分にあるが。

「あと、単位を取りやすい講義や厳しい先生の情報なんか、先輩たちから聞いておくとイイらしいですよ」

「ふむ?」

 先輩がいつの間にか手にしていたせんべいをバリッと噛み砕いた。自分の履修予定の話なのに、まるで人ごとみたいな態度だ。

「あれ?」

 ボクはふとあるコトを思い出して首をかしげる。

「どうした? 陽輔」

「そう言えば、内野先輩も同じ修明大学に入ったんじゃなかったでしたっけ?」

 うん、確かそうだ。大井川先輩の小学校からの幼馴染おさななじみである内野先輩が、大学まで同じの腐れ縁で可哀想だと内心密かに気の毒になったのを思い出した。

「うむ。みかっちも修明の文学部に入ったが、学科が違うぞ。私は国文科だが、みかっちは英文科だ」

「だけど一般教育科目は共通みたいですよ。内野先輩に履修科目聞いて、同じ科目取っておくと楽なんじゃないですか?」

「なるほど! 同じ科目を取っていればノートを見せてもらえるな!!!」

 ああ、いつも見せてもらう側の前提なんだ。なんか要らない入れ知恵して内野先輩に迷惑かけたかも。

「よし。そうと決まれば、早速みかっちにTELしてみよう!」

 先輩が勢い込んでテーブルのスマホに手を伸ばす。


 ああ、内野先輩。迂闊うかつなボクをおゆるし下さい。

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