彼氏を作る理由
「ボクが弟さんの部屋に行って、それで何か解決するんですか?」
柳井さんの依頼内容に、ボクは首を捻りながら疑問を呈した。
住人が幽霊が出ると主張する部屋。だが霊感のある住人の姉は、何度か部屋を訪れてもそんな徴候は感じられないという。
幽霊の出没自体が未確認の場所に、ボクみたいな心霊現象のド素人を連れて行ってどうなるというのか。
「弟には『除霊能力のある後輩を連れていく』って言ってあるの。棚橋君は、それっぽく私に話を合わせてくれていればいいから」
「ボクに除霊能力なんかありませんけど……」
柳井さんの荒唐無稽な答えに、思わず口を半開きにしながらそう主張した。
冗談じゃない。東大合格能力がない以上に、ボクには除霊能力なんかありゃしない。
あるのはせいぜい、お盆の時期に親父の実家である福島に里帰りした際発揮される除草能力くらいなものだ。
「まあ、意識して除霊してくれる必要はないから。棚橋君はしばらく弟の部屋にいてくれるだけで十分だよ」
今の柳井さんの言い回しがものすごく気にかかった。まるで意識して除霊しなくても、ボクがそこにいるだけで霊が寄り付かなくなるようなニュアンスに受け取れる。
「まあ、幽霊が弟の勘違いならそれでよし。除霊能力のある人が部屋に来てくれたってだけで安心して、その後は変な物も見なくなるでしょ。万一弟の話が本当だとしても、あなたくらい強力な守護霊に守られてる人が来たら、大概の霊は逃げ出すわ」
「ボクの守護霊?」
人には誰でも、その人を守る霊が付いているというのはよく聞く話だが、まるで当たり前みたいにそう言われると何とも不思議な感じがする。
「ええ。あなたの背後に二人いらっしゃるわよ、今も」
柳井さんのごく何気ない調子の言葉に思わず振り向くが、もとよりボクに霊なんか見えるはずがない。そこにあるのは、隣の席との間に設けられたパーテーションとソファの背もたれだけ。
「……かなり昔のあなたのご先祖様のようだけど。男性と女性が一人づつね」
そこまで言って、柳井さんが急にボクに向かって、慌てた様子で頭をピョコンと下げた。
思わずボクの方も頭を下げ返すが、そのボクの行動を見た柳井さんは、口元に手をあててクスクス笑い始める。
「違う違う。あなたじゃないわよ」
そう言われてやっと、ボクは柳井さんが今誰に向かって頭を下げたのか理解できた。
彼女は今、ボクではなくて、ボクの背後に向かって頭を下げたのだ。
「それにしても、やっぱりあなたの守護霊さん達は凄いわね。こんなに生きてる人と変わらないくらいスムーズにコミニュケーションを取れる霊格の守護霊なんて初めて……」
柳井さんの言葉の後半は、もはやボクに向けられた物ではなくなっていた。彼女はボクの背後の宙に視線をさ迷わせながら、まるでうわ言のように囁いていた。
その様子を脇から見ていた大塚さんは、まるで視力検査を受ける小学生みたいに必死に目を細めてボクの背中辺りを睨んでいる。
「……あなたにお二人の話をしてたら、突然お辞儀をされちゃった。こんなの初めてよ」
目の焦点をボクに戻して、柳井さんが溜め息混じりにそう言った。
「とにかく、これならどっちにしても安心だわ。棚橋君、お願いできない?」
女性に頼りにされ、のみならず自分のご先祖様までこうも誉めちぎられてはNOと言うに言えない。
しかも依頼の具体的内容は、とあるアパートの一室を訪ねてしばらくそこにいるだけというシンプル極まりないものだ。
「……分かりました。ただ部屋に行くだけなら」
ボクは頭をガシガシと掻きながら、上目使いに自分を見る柳井さんにそう答えた。
「今日なんですか?」
千葉駅に向かう道すがら、ボクは柳井さんがスマホをバッグにしまうのを見計らってそう尋ねた。
彼女は今しがた弟さんらしき相手に電話をしていたところで「これから例の人を連れていくから、ちゃんと部屋を片付けておきなさいよ」とか何とか釘を刺していた。
「今日じゃダメだった?」
バッグのストラップを肩にかけ直した柳井さんが、ちょっと困ったような顔で訊き返してくる。
「……棚橋君にまたあらためて出てきてもらうのも悪いし、弟も部屋にいるっていうからちょうどいいと思ったんだけど……。迷惑だったかな」
柳井さんの人柄も手伝ってのことなのか、そんな申し訳なさそうな口振りで言われると、なぜかこちらが気が引け目を感じてしまう。
「いや、別に大丈夫なんですけど……」
まあ、話を聞かされた当日というのは驚いたけれど、遅かれ早かれいずれ行かなければならない場所なら、確かに日をあらためて余計な手間をかける必要もないかも知れない。
それにしても……。
「大塚さんも一緒に来るんですか?」
ボクは振り返って、後ろを黙って付いてくるスカート姿の大和撫子に声をかけた。
「ああ。色々な幽霊が入れ替わり立ち替わり出る部屋なんて、なんか面白そうじゃないか」
大塚さんは軽い足取りでボクらの後を歩きながら上機嫌でそう言うが、そんな彼女に向けられた柳井さんの目は厳しい。
「いずみちゃん、全然懲りてないんだから」
小さな娘を叱るお母さんみたいな口調の柳井さんの呟きに、大塚さんはタハハとごまかし笑いを見せた。
「今回は大丈夫だろう? 結実も、徐霊能力のある陽輔クンもいるんだからな」
「ありませんよ」
大塚さんの飛躍した前提を、思わずお笑いのツッコミみたいなタイミングで否定する。
柳井さんも大塚さんの緊張感のなさに呆れたのか、例のまるで怪談をするような静かな声で脅しにかかった。
「いくら棚橋君が一緒だって言っても、他の人にまで加護が及ぶとは限らないわよ?」
「だって、沢村総合病院の時の里美は陽輔クンのおかげで無事だったんだろう?」
大塚さんが、論理的には非の打ち所のない反論で応戦する。
「それは大井川さんが棚橋君の彼女だったからじゃない? いくら棚橋君の守護霊さん達だって、赤の他人まで守ってはくれないかも知れないじゃない」
柳井さんはそう言うと、チラリとボクの背中の辺りに目を向けた。
「ほら、お二人も頷いてる」
もとより姿が見えないボクと大塚さんには、柳井さんの言うことが本当なのか、それとも単なる脅しか知る由はなかった。だが大塚さんはまるで路上で大きな犬と出くわした子供みたいな顔になって、ボクのシャツの裾をキュッと掴んだ。
「なあ、陽輔クン。き、今日だけ私の彼氏になってくれないか?」
ああ。大塚さん、さっきまで自分で疑問を呈していた「彼氏を作る理由」をこんな意外なところに見出だしたか。