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柳井結実の相談

 戻って来ました、由美子さんのお店。

 つい小一時間ほど前に出たお店の前に再び立つボクと大塚さんは、二人共に、だがそれぞれが違う理由で浮かない顔をしていた。

 重々しい手つきでドアを開け店に入った直後、意外なことにボクらを目にした由美子さんの顔にはまったく驚きの色は無かった。

 理由はすぐに分かった。

 先程まで由美子さんと三人で座っていたその席に、ボクを召喚した柳井さんが一人チョコンと座っている。真っ白なワンピースに身を包んだその姿は、敢えて照明を落としてあるらしいこの店の中で妖しく浮き上がって見える。

 こちらを認めたらしい彼女は軽く手を上げて振って見せるが、大塚さんに視線を合わせた瞬間にその動きがピタリと止まった。

「いずみちゃん。どうしたの、その格好」

 テーブルまで歩み寄ったボクらがまだ腰を下ろさないうちから、柳井さんが目を丸くしながら溜め息を漏らす。かれた大塚さんの方は、ムスッとした表情を隠そうともせずに彼女の横にドッカと席を占めた。

 ああ。大塚さんが浮かない顔をしてたのは、柳井さんにスカート姿を見られるのが嫌だったのか。

 大塚さんが質問に答える気がないのを見て取ると、柳井さんはボクに視線を移して小首を傾げて見せた。

 ボクは苦笑いを浮かべながら肩をすくめるゼスチャーを返すが、彼女が由美子さんみたいに男に絡めて大塚さんの服装をあげつらったりしないことに内心ホッとしていた。

 もしこれ以上大塚さんが今日の服装でいじられるようなことになったら、きっとボクは無事に家に帰りつけないような気がする。

「棚橋君、急に呼び出しちゃってごめんね」

 話題が速やかに本題に移行したことに安心しながら、ボクは黙って柳井さんに首を横に振って見せた。いや、本題の方にもそれなりにトラブル臭がするので、手放しには安心できないんだが。

「実は、ちょっと困ったことになっちゃって……」

 隣に座る柳井さんの言葉にも、大塚さんは目をつむって腕を組んだまま何の反応も示さない。きっとボクをここに連れてきた時点で自分の役目は終わりで、この後はただ傍観するのみと決め込んでいるんだろう。

 恐らく柳井さんの「困ったこと」と言うのはいわゆる普通の案件ではなく、本来は神主さんやお坊さん、もしくは霊能者といった人達の元に持ち込まれるべき類いの話に違いない。心してかかるべし。

「私、弟が一人いるんだけど。双子ふたごの……」

 突然、柳井さんが声のトーンを落として話し始める。

 その怪談みたいな話の入り方、怖いのでやめてほしいんですが……。

 いや違う。きっとこれから本当に怪談が始まるんだ。

「弟さん……っていうことは、一卵性じゃないんですね」

 本題に入るのを引き伸ばしたくて、つい分かりきった質問をしてしまった。

「そう。小学生の頃から、同じ学年に弟がいるっていうのでよく珍しがられたわ。逆に一卵性の方が注目を浴びなかったんじゃないかしらね」

 苦笑いをしながら、柳井さんが昔話を披露する。ボクの見え見えの引き延ばし作戦にも、特に気を悪くした様子はない。

「その弟、一浪して今年の四月にこの近くの国立大学に入ったの。それで学校の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めたんだけど……」

 彼女はそこで息継ぎをするように言葉を区切り、なぜかちょっと辟易へきえきしたように肩を竦めて見せた。

「……『出る』って言うのよね」

 ……はあ、出るんですか。

 やっぱりそれは、黒くて平べったい六本足のヤツとかのことを言ってるワケじゃないんでしょうね。

「どんなのが出るんですか?」

 ボクは思わず、この話が自分に向けられた依頼だという前提も忘れてのめり込んでいた。

「それがね……」

 フンスッ、と奇妙な音をさせて鼻から息を吐き出した柳井さんは、歯切れの悪い口調で躊躇ためらいがちに言葉を紡いだ。

「その都度、いちいち違う幽霊が出るっていうのよ」

「……毎回違う、……のか?」

 それまで黙ってボクと柳井さんのやり取りを聞いていた大塚さんが、突如脇から質問を挟む。その表情はいかにも興味津々(きょうみしんしん)、すっかり話に引き込まれているといった感じだ。

 柳井さん、話が上手過ぎるだろ。

「そう、毎回。初めて見た時は二十歳くらいの女の人だったって言うんだけど、それからおじいちゃん、オバサン、五歳くらいの女の子……、ある時なんか、猫の幽霊が部屋を横切って行ったんだって」

「最後のヤツは幽霊じゃないんじゃないですか?」

 次第に垂れ込めてきていた緊張感を払おうとボクが飛ばした冗談に、狙い通り大塚さんがプッと吹き出した。

 そんな中、柳井さんは微笑を絶やさずに静かに首を横に振る。

「ううん。その猫、弟が見ている前で壁にスウッ、と消えて行ったそうよ」

 再び重い沈黙。

 柳井さんのような一流のストーリー・テラーの前には、ボクごときのささやかな抵抗などはかないものらしい。

 しかもこの話、作り話じゃないから尚更だ。

「柳井さん自身は見たんですか? 弟さんの部屋の幽霊」

 ボクの確認に、柳井さんは再び首を左右に振った。

「弟が『見てくれ』って言うから何度か部屋に行ってみたんだけど、私は見たことはないわ」

 それを聞いたボクは、アゴに手をあててちょっと考え込んだ。

「柳井さんに見えないってのは変ですよね。それって、弟さんの勘違いとかじゃないんですか?」

 柳井さんは、大塚さんが太鼓判を押すほどの『見える』人だ。その人が確認できない話だとすると、根本的に信憑性から疑った方がいいんじゃないんだろうか。大塚さんの太鼓判の権威はこの際抜きにして。

「私も弟にそう言ったんだけど、絶対に見間違いなんかじゃないって言い張るの。二十年近くも姉弟やってれば、嘘かどうかも分かっちゃうしね」

 柳井さんは真顔のまま淡々とそう話す。


「それで、棚橋君に頼みたいのよ。一度、私と一緒に弟の部屋に行ってくれない?」

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