大塚いずみの恋愛模様
「ち、ちょっと。由美子姉さん、違う!」
女性の言葉に、大塚さんが大慌てて反駁した。
……姉さん? この人、大塚さんのお姉さんなのか。けれどこう言っては失礼だが、現在大学生である大塚さんの姉と言われたら、ちょっと年齢が離れているように見える。もしかして、四、五人いる兄弟姉妹の一番上と下とかなんだろうか。
「姉さん、何か勘違いしてるでしょう?」
顔を真っ赤にした大塚さんが、噛みつきそうな勢いで由美子さんというらしい女性にまくしたてた。
「勘違い……?」
一方の由美子さんの方は、まったく冷静な様子で大塚さんに小首を傾げて見せる。
「……その男の子、いずみちゃんの彼氏じゃないの?」
その言葉と同時に、大塚さんと由美子さん、二人の視線がボクに注がれた。
何となく会話の流れで分かっていたけど、この由美子さんという人、ボクを大塚さんの彼氏と勘違いして、今日の彼女の服装も彼氏が出来たことによる心境の変化だと思ったらしい。
そう言えば大塚さん、前にビリヤードをした時、彼氏がいないって言ってたな。
「か、彼はその……。そう、サークルの後輩! ただの!」
「そうなの?」
由美子さんの視線の向きで、その質問が大塚さんではなくボクに向けられたものだと気づいた。
まあ確かに、ボクは現状大塚さんや里美のビリヤードサークルに強制入会させられている身だし、表面上の事実としては間違えていない。大塚さんの言葉の最後に「ただの」が急いで付け加えられたのはちょっと傷ついたケド。
「はい。大塚さんのサークルの棚橋陽輔です。はじめまして」
ボクはクリクリした目でボクを見つめる女性に、なるべく当たり障りなく自己紹介をした。
「はじめまして。神谷由美子よ。いずみの母親の従姉妹なの」
にっこり笑いながら由美子さんはそう自己紹介を返してくる。
なるほど、お母さんの従姉妹。本当の姉妹じゃないのか。ならばこの二人の微妙な年の差も納得できる。
「由美子姉さん、母さんの従姉妹なのに、母さんより私に歳が近いんだ」
大塚さんがなぜか不機嫌そうな顔でボクに解説する。
「さあ由美子姉さん、もういいだろう? 私達はテーブルに着かせてもらうからな」
そう言うと、大塚さんは案内も待たずにツカツカと店の一番奥のテーブルへ大股に歩いて行った。
「あ……」
またしても置いてきぼりを食らったボクは、大塚さんの後ろ姿と由美子さんの顔に交互に目をやる。
由美子さんはボクと目が合うと、ニコッと微笑んで頷いた。それをこの場を離れ、大塚さんの後を追う許可と受け取ったボクは、ペコリと頭を下げてから大塚さんの座るテーブルへと向かう。
「まったく、由美子姉さんときたらいつもあんな感じだ」
向かいに座ろうとするボクが腰を落ち着けないうちから、プリプリした大塚さんがそう呟いた。
「顔を合わせる度に、彼氏ができたかとか、男を紹介してやろうかとか……」
大塚さんは不機嫌だが、普段あれほど冷静で、自分や里美を軽く手玉に取る彼女が誰かにやり込められている図というのは、ボクから見ればちょっと愉快な光景だ。
「由美子さん、それだけ大塚さんのことを心配してるってコトじゃないんですか?」
こみ上げる笑いを慎重に抑えながら、ボクは自分の向かいで手荒くメニューをめくる女性をなだめた。
「私と由美子姉さんのやり取りを見た人達はみんなそう言うんだがな……」
大塚さんはメニューをクルリと半回転させてボクの前に差し出すと、ソファの背もたれにどっと体重を預ける。
「……どうも私にはそこがよく分からない」
「え?」
大塚さんのコメントに、ボクは思わずメニューに落としかけた顔を上げて聞き返した。
背もたれに寄りかかって天井の辺りに視線をさ迷わせていた彼女が、目だけをボクにジロリと向ける。
「彼氏のことだよ。彼氏ができないってのが、そんなに心配されるようなことなのか?」
そう問われてハタと考えた。
一般的にはそうだろう。そもそも始めから恋愛に興味がないというのなら別にして、年頃の女性になかなか彼氏ができないとなったら、親戚一同の歳の近い女性陣はなんやかやと心配してお節介を焼くもんじゃないだろうか。
ただこの大塚さんの場合、彼氏ができないといっても一般的なケースとは違うような気がする。普通に考えて、こんな美人に彼氏がいないなんて現象の裏には絶対何かあると考えるのが妥当だ。
相手に対する理想が高くて妥協できないとか、実は誰にも気づかれずにイケメン芸能人と交際中だとか、ひょっとしたらそれこそ恋愛自体に興味がないとか。
つまりこの人の場合、彼氏ができない、もしくは作らないことそのものよりも、その理由の方に心配するべき特殊な要素があるような気がする。
「当たり前でしょ? 大学生にもなって彼氏の一人もいないんじゃ、心配するなという方が無理よ」
その声にハッと目をやると、由美子さんが水の入ったグラスとおしぼりが載ったトレーを手にこちらに近づいてくるところだった。
「だから前にも言ったじゃないか、姉さん。私は彼氏なんか要らないんだって」
やっぱりボクの思った通り。大塚さんの場合、理由の特殊さの方を心配されるタイプの人らしい。
「そんなことより、私レアチーズとブレンド。キミは?」
何か言おうと口を開きかけた由美子さんに、その間を与えまいとする大塚さんがオーダーを早口で告げる。
「あ……っと。じゃあボクはフルーツタルトと紅茶で」
由美子さんは昔ながらの紙のオーダーシートにメニューを手早く書き留めると、苦笑いを浮かべながら「はいはい」と呟いた。今の「はいはい」はオーダーを了承したという意味だろうか。それとも大塚さんの意見に対する飽きれ反応だったんだろうか。
由美子さんが下がると、大塚さんはフウッと大きな溜め息をついてから、ジロリと険しい目をボクに向ける。
「まったく、キミのせいで不発弾が爆発しかけた」
いや、これボクのせいじゃないんじゃないですかね。わざわざ親戚の人がやってるこのお店を選んじゃったあなたのせいじゃないですかね。
そんな反論を胸の内で並べながらも、ボクは表面的には分別よろしく沈黙を守っていた。女性がこういう感じの時に言い返したりするのは、事態を悪化させることはあっても好転させることはほとんどない。母親、彩音ちゃん、そして里美。相手の女性が誰であってもやっぱりない。
というわけなので、ボクはこういう場面で有効な数少ない対応にすがることにした。すなわち「話を逸らす」という対応だ。
「それより大塚さん、どうして彼氏を作らないんです?」
ボクのその質問に、大塚さんの目がすうっと細まる。
それを見たボクは、今の質問は反論するよりマズい反応を引き起こすコトになるんじゃないかとか、胸の内でふとそんなことを考えた。