すれ違い、勘違い、食い違い
3月14日 9:41
From:大井川先輩
件名:今日は……
本文:暇か?
何、このメール? 本文より主題が長い。
3月14日 9:48
件名:Re:今日は……
本文:そんなわけないでしょ。短縮日課と
はいえ学校ですよ? ボク。
3月14日 9:50
From:大井川先輩
件名:Re2:今日は……
本文:学校は何時に終わる? その後は暇
か?
3月14日 9:55
件名:Re3:今日は……
本文:今日は午前日課なので12:30で
終わりです。午後はちょっと用事が。
用事が終わったら連絡しますから、
おとなしく待ってて下さい。
授業中なので、メールはもうダメで
すよ。
今日の朝から、これで何通目のメールだろう。
“無制限コミュニケーター”こと大井川先輩対策でLINEは使っていないが、このメール本数じゃああんまり変わらない。
3月14日 9:59
From:大井川先輩
件名:Re4:今日は……
本文:じゃあ12:30に学校まで迎えに
行く! 行くったら行く!
3月14日 10:06
件名:Re5:今日は……
本文:ダメですよ! ボクは午後用事があ
るって言ってるじゃないですか!
授業中だからメールもしちゃダメっ
て言ったでしょ?
そうは言っても大井川先輩のこと、ほっとけば絶対メールが飛んでくる。
究極奥義、『スマホ、電源オフ』っと。
うう~。陽輔からメールが返ってこなくなったあ。
……だけど私は水澤高校の卒業生だぞ。休み時間が何時からかはちゃんと分かってるんだぞ?
……あれ? 休み時間を見計らって電話したら、なんかキレイな声のお姉さんが代わりに出た。
おい、誰だお前! なんで陽輔の電話に女が出る!?
「……ただ今電源が入っていないか、電波の届かないところに……」って、陽輔、スマホの電源落としてるじゃないかあ!!!
むう。陽輔め、どうあっても電話に出ない気か。
ようし。こうなったら実力行使あるのみ……。
私は十二時半の下校時刻を見計らって、水澤高校の校門で陽輔を待ち構える作戦に出た。
次々に昇降口から出てくる生徒たちは、皆私を見ると目を逸らす。失礼な。なぜなんだ。
陽輔と同じ二年生達がどんどん出てくるのに、肝心の陽輔の姿は見当たらない。
ジリジリしながら校門の脇に立っていると、通りかかった女子生徒が私の方をチラッと見る。
「あのう……」
その子は足を止めると、遠慮がちに私に声をかけてきた。なんか見覚えがある子だ。
「はい?」
反射的に返事をしてから思い出した。この子、陽輔と同じクラスの古賀さんっていう女の子だ。
「大井川先輩ですよね。お久しぶりです」
「あ、ああ。久しぶり」
あまり話したことのない後輩に話しかけられてドギマギする。
「もしかして先輩、棚橋君を探してますか?」
「ああ、うん。陽輔を迎えに来たんだ」
それを聞いた古賀さんが不思議そうな顔をした。
「棚橋君なら、真っ先に教室から出て行きましたよ。ほとんど猛ダッシュで。先輩会わなかったんですか?」
「何だって?」
だって私、十二時二十分くらいからここにいるけど、陽輔は通らなかったぞ?
「棚橋君、自転車通学だから、駐輪場から東門に回ったんですかね?」
古賀さんがそう言いながら首をかしげる。
「ど、どうもありがとう、古賀さん」
私は彼女にお礼を言うとトボトボと歩き始めた。せっかく陽輔に会えると思ってここまで来たのに無駄足とは。
もう一度陽輔の番号にかけてみるが、やけに丁寧なお姉さんの声が返ってくるだけでラチがあかない。
よし、こうなったら陽輔の家まで行ってみよう。
今日は、今日だけは……。どうしても今日だけは陽輔と一緒に過ごしたいんだ。
いや、今日だけじゃないけど。いつも一緒にいたいけど。
……だけど、今日だけは絶対なんだ!
来る時は電車を使ったが、たった一駅分だからと高を括って帰りは歩きで陽輔の家を目指す。
だがいざ歩き始めると、なんで陽輔が自転車通学なのかあらためて思い知らされた。
学校から陽輔の家までは直線距離に近い道がなく、歩いて行くとそれなりに時間がかかった。おまけに近道と思った裏通りが行き止まりだったり、道路工事でグルリと迂回させられたりといったトラブルのせいで、陽輔の家についたときにはたっぷり三十分以上が経っていた。
「あら里美ちゃん、こんにちは。陽輔なら今出掛けてるわよ」
やっとたどり着いた陽輔の家で出迎えてくれたお母さんのその言葉が、私の疲労に拍車をかける。
「学校から帰って来るなりカバンを放り出して、また慌ただしく飛び出して行っちゃったのよ。里美ちゃん、陽輔が帰ってくるまで待ってたら?」
そういえば陽輔、午後は用事があると言っていた。
陽輔は普段、〇〇に行くとか××をするとか、目的の内容ははっきり言うタイプで「用事がある」なんて曖昧な言い方はあんまりしない。
私にもはっきり言わない用事って、いったい何なんだろう。
「陽輔君、行き先は言ってませんでしたか?」
「ううん、何も言ってなかったわ。里美ちゃん、陽輔に電話はしてみた?」
「はい。でもスマホの電源切ってるみたいで……」
そう言葉に出したとたん、右目から涙が一粒こぼれた。
電話に出てくれない。いつもとは違う門から学校を出ていく。慌てて家を飛び出して留守にする。
これは、きっと……、そうきっと……。
……私、陽輔に避けられてる。
そんなこと考えたくないが、でもそうとしか考えられない。
だけど何で今日なんだ? よりによって今日なんだ?
昨日までは普通に話して、一緒にご飯食べて、お出掛けもした。
キスだってした。何度もした。いっぱいした。
なのに今日っていう大事な日に、陽輔は私を避けている。
今度は両目から涙がこぼれた。
とめどなく涙が溢れて止まらなくなった。
「里美ちゃん?」
陽輔のお母さんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「ご、ごめんなさい……」
涙を掌で拭うけど、涙はいっこうに止まらない。
「もう! 陽輔の奴、里美ちゃんを泣かせるなんて! 帰って来たらとっちめてやるから!」
「い、いいんです、そんな! きっと私が悪かったんです。いつも陽輔君に甘えて、迷惑かけてばっかりで……。だからきっと……」
きっと、愛想を尽かされた。
陽輔、きっと疲れちゃったんだ。私と一緒にいることに。
その時、私のポケットの中でスマホが震えた。ハッとしてスマホを取りだし、着信したメールを開く。
3月14日 14:11
From:よーすけ
件名:指令
本文:先輩、今ドコですか?
急いでアパートに戻って下さい。あ
と、途中でコンビニに寄って紅茶買
って来てもらえますか? ティーバ
ッグのでイイですから。
よ、陽輔?
今、私のアパートに居るのか? 私に会いに行ったのか?
私はガバッと顔を上げて、陽輔のお母さんにスマホの画面を向けた。
お母さんはメールに目を走らせると、安心したようにフッと顔を綻ばせる。そして私の頬を伝う涙を指先でそっと拭いながら囁いた。
「急ぐことないわよ、里美ちゃん。さんざんヤキモキさせられたんだから、お返しに少し待たせてやりなさい」
3月半ば。吹き付ける風はまだ冷たい。
先輩の部屋の前で立ちん坊のボクの体はそろそろ芯まで冷え始めて来ていた。
ボクの足元には、家に寄って冷蔵庫から取り出してきたタッパーと、駅前のプレナでの買い物が入った手提げ袋。
先輩にメールを送ってから十五分くらい経つ。先輩、今どこにいるんだろう。
先輩にもう一度メールを送ろうとポケットを探っていると、アパートの外に作り付けられた階段を誰かが上がってくる足音が聞こえた。
現れたのは、レジ袋片手に息を切らせた大井川先輩。
「陽輔……」
ボクの顔を見るなり、先輩がポロポロと涙を溢し始めた。
「ち、ちょっとちょっと先輩。いったいどうしたんですか!?」
ボクのその言葉は先輩を落ち着かせるどころか、返って変なスイッチを入れてしまったらしい。先輩が突然、自分の部屋の前で大声で泣き始めた。
「陽輔のバカア! スマホの電源切ったままどこに行ってたんだあ!!!」
「しょうがないでしょ? ダメって言ってるのに、先輩がばんばんメール送って来るからでしょ!?」
こういうアパートって、あんまり壁が厚くなさそうだし、こんなところで大声で泣かれるとアパート中の噂になりかねない。
「とにかく部屋に入れて下さい、先輩。これからやらなきゃならないコトもあるんですから」
「やらなきゃならないコト?」
先輩が子供みたいな格好でオーブンの中をじっと覗き込んでいる。かれこれ十分くらい同じ格好のままだ。
「だから、あと三十分は焼かなきゃダメなんですよ。聞いてましたか、先輩?」
「だって、せっかく陽輔が用意してくれたんだぞ? 楽しみでしょうがないんだ」
オーブンの中でジリジリと焼けているのは、二日前から手作りのタレに漬け込んだローストチキン。わざわざ精肉店まで出掛けて手に入れた、まるごと一羽分というシロモノだ。
ボク自身、丸のままの鶏肉なんて、店のおばさんに手渡されるまでは漫画でしか見たことがなかった。
「ほんと、先輩ってまるっきり子供みたいですよね」
実はこのローストチキン、バレンタインデーにチ〇ルチョコ百五十個なんて大技をかまされた仕返しのつもりのネタだった。なのにこれを見せた時の先輩の反応ときたら、まるでクリスマスイブのごちそうを前にした子供そのもの。ボクとしては完全に肩すかしを食らった感じだ。
しかもバレンタインデーのチ〇ルチョコは、そのほとんどが送り主の胃袋に収まるというある意味予想通りの結果だったし。
「そういえば先輩、紅茶は買ってきてくれたんですか?」
ふと思い出して、オーブンの前で固まる先輩に声を掛ける。
「うん? ああ、ちゃんと買ってきたぞ」
「じゃあ、お湯沸かして紅茶を淹れて下さい。チキンが焼けるまでコレを食べてましょう」
ボクは手提げ袋から赤い紙箱を取り出した。
「そ、それってもしかして?」
先輩が、オーブンの前から一瞬でボクの目の前まで移動する。
地球上の生物で、瞬間的な移動スピードが最も速いのは蝿の仲間だとどこかで聞いたことがあるが、もしかしたら今ボクが目にした光景は、その話を根底から覆したんじゃないだろうか。
「“フェルメ”のモカロールです。先輩好きだったでしょ?」
「ホ、ホワイトデーのプレゼントがもう一つ!?」
「せっかくのホワイトデーをネタだけで終わりにしませんよ。ちゃんとプレナまで行って買って来ました」
「……もしかして、今日の午後用事があるって言ってたのは……」
「はい。これ買いに行ってました」
そう言うと、先輩の目にまたウルッと涙が溜まる。
「陽輔のバカァ! 最初からそう言ってくれればあんなに心配しなかったのに!!!」
「それじゃあサプライズにならないじゃないですか」
ボクはそしらぬ顔でシレッと先輩の非難を流した。
先輩は作動中のオーブンとモカロールの紙箱に目をやり、それからボクの耳元にそっと口を寄せる。
「私、やっぱり陽輔のコトが好きだ」
その先輩のしぐさと言葉に、ちょっと溜め息がもれた。
「先輩の愛は、食べ物さえあればいくらでも手に入れられそうですね」
「食べ物をくれるのが陽輔なら、そうだな」
「分かりましたから、早く紅茶を淹れて下さいよ、先輩」
「あ……!」
そう叫んだ先輩が、急に困ったような顔になる。
「そう言えば陽輔、ティーバッグってどうやって使うんだ?」
え!? いくら先輩でも、さすがにそれは嘘でしょ?
ティーバッグの使い方知らないとか、いったいどこの星から来たんですか?