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そして、鬼ごっこ開始

 カタコトと呑気に揺れる電車の中、ボクは穏やかならぬ心持ちで油断なく車内に目を配っていた。今にも隣の車輌との連結扉が開き、仁王立ちした先輩が姿を現すんじゃないかと気が気じゃない。

 下り方面の千葉行き快速電車。

 大井川先輩にそうメールで宣言した以上は何がなんでも映画を観るという彩音ちゃんの意向により、ボクらは電車で千葉を目指していた。意向というよりは意地か。

「映画を観る」という目的を果たそうとするならば、ボクや先輩が住む町からは二つの選択肢がある。

 一つ目は今ボクらがそうしている通り、下り電車で千葉に出るという選択だ。もう一つは逆に上り電車に乗って幕張に向かい、駅前のシネコンを利用する手段。

 時間にすれば大して両者に差はなく、現在ボクらを張り切って追跡中と思われる大井川先輩も、枝分かれする二つのルートのうちどちらの臭跡を辿るべきなのか判断する材料は持っていないはずだ。

 なのに何だろう。この首の後ろがムズムズするような圧迫感プレッシャーは。

 論理的にはありえないコトなのに、先輩があやまたずボクと彩音ちゃんの選択を感じとり、まるでジャーマン・シェパードかポインターみたいな卓越した追跡能力でピタリとけて来る。そんな強迫観念めいた想像がどうしても振り払えない。

 大井川先輩という人を知らない人達の目には、今のボクの懸念など、都市伝説に怯える小学生の心理以上に荒唐無稽こうとうむけいに映ることだろうが、ここは「大井川里美を知る者」として敢えて断言したい。あの人は科学的理論の埒外らちがいにいる。

 千葉駅まで無事にたどり着いて下車したボクらは、そのまま内房線の線路沿いに歩いて映画館を目指した。

 道々、通りの両脇に並ぶ店に彩音ちゃんが気を取られて立ち止まるたび、ボクは先輩の追跡に怯えて後ろを振り返る。

 時刻も十時を過ぎて、道行く人々の数もそれなりに増えてきていた。これだけの人の群れに混じっていれば、普通に考えればたった二人の人間を特定して探し出すのは困難だ。普通に考えれば。

 そして行き交う人々をキョロキョロと見回していたボクの目が、ついに普通じゃない人物の姿を発見した。

 ……先輩だ。十数メートルほど向こうで、目を吊り上げながら周囲をめ回している。言うまでもなくボクらを探し出し、然るべき報いを与えようと執念を燃やしているに違いない。

 幸い先輩はまだこちらに気づいた様子はないが、ここでグズグスしていたら発見されるのは時間の問題だ。

「彩音ちゃん」

 声を潜めながらチョイチョイと肩を突っつくと、彩音ちゃんは不思議そうにこちらを見返して来る。ボクはサーチライトよろしく周囲に視線を走らせている先輩をそっと指差し、その存在を彼女に知らせた。

「あっ!」

 先輩の姿を認めた彩音ちゃんが、周囲の数人が思わず振り向くほどの声を上げる。もちろん振り返ったのは周りの人達だけではなく、先輩の猟犬のような目がボクら二人の姿を捉えた。そして目指す物を見つけたその目が、見る見るうちに怒りに燃え上がる。

「おぉ~まぁ~えぇ~らぁ~~~~~!!!」

 雄叫びを上げる先輩がこちらに向かって猛ダッシュする。その気迫と鬼のような形相に通行人達が思わず後ずさり、先輩とボクらの間にモーゼが紅海を割ったがごとき道が現れた。

 これはダメだ。万事休す。

 もう、彩音ちゃん。なんであそこで声を出しちゃうかなあ。

 次の瞬間、ヘビに睨まれたカエルの如くに硬直したボクの腕を、彩音ちゃんが後ろからグイッと引っ張った。

「陽ニィ、ボサッとしない!」

 ボクは彩音ちゃんに牽引されるまま、休日に街に繰り出した人の群れを縫うように走り抜けた。ことここに至っても、彩音ちゃんは状況の打開を諦めていないらしい。

 背後からは「待てぇ、二人ともぉ~~~!!!」という先輩の怒号が迫る。

 ボクを先導する彩音ちゃんが細い路地に飛び込み、さらに次の角を鋭角に曲がる。その小動物みたいなちょこまかした動きについていくのが精一杯のボクは、路地脇の建物の壁にぶつかりそうになるのをギリギリでかわし続けた。

 結局グルリと周って元の通りに戻った彩音ちゃんは、突然とある雑居ビルの地下に通じる階段に飛び込むと、ボクをぐいと屈ませて口を掌で塞いだ。

 ビルの前の通りを全速力で駆け抜ける先輩の足音と「彩音! どこに行ったあぁーーー!?」という叫び声が遠ざかっていく。

「ふぅー」

 彩音ちゃんがボクの口から手を離しながら安堵の溜め息を深々とついた。

「ね。だから言ったでしょ、彩音ちゃん。先輩の野生のカンを侮っちゃいけないって」

 口元が解放されたボクは、ちょっと息を切らしながらも先達せんだつとしての警句をたれる。

「まさか大井川さん、ホントにここまで追ってくるなんて。しかも、どうして私達が映画を千葉で観るつもりだって分かったんだろう?」

 半分飽きれ顔の彩音ちゃんが、腕組みしながらブツブツと得心いかなげに呟いた。

 そりゃあまあ、彩音ちゃんにあれだけ挑発されれば先輩のことだから間違いなく追ってくる。その執念の前には、ボクらの行き先が論理的に推測がつかないなんてコトはきっと障害にもならないのだ、あの人にとっては。

「まあそれはともかく、無事に大井川さんもいたことだし、安心して映画を観に行こう!」

 そう言って立ち上がろうとする彩音ちゃんの手を、ボクは「待った」と言いながら掴んで引き戻した。

「きっと先輩、映画館の前でボク達のことを待ち伏せてるよ」

 それを聞いた彩音ちゃんがハッとしたような顔をする。

「……あ、ありうるね。ていうか、絶対そうだね」

 半分笑い飛ばしていた先輩の追跡劇が現実の物となったせいか、さすがの彩音ちゃんも慎重になっているらしい。

 険しい表情でしばらく考え込んでいた彩音ちゃんだったが、ふと顔を上げると、真剣そのものといった様子で厳かに結論を述べた。

「しょうがないね。大井川さんの乱入によるプラン変更はちょっとしゃくだけど、裏をかいて別の場所に先に行こう。映画はその後!」

「……別の場所って?」

「色々あるよ。カラオケとかゲームセンターとかボウリングとか」

 ふむ。目の前の脅威をさしあたり避けるためには悪くない案かもしれない。しかも候補に上がったゲームセンターならば、ここから映画館から反対方向に少し戻れば確か一つあったはずだ。

「分かった、そうしよう。ゲームセンターならすぐ近くにあるし」

 ボクと彩音ちゃんは揃って立ち上がると、階段を上って通りに出た。

 ボクら二人は横断歩道を渡る小学生の如くに左右を交互に見渡すが、あの美しくも恐ろしい追跡者の姿はない。

 ほっとして元来た方向に足を向け、彩音ちゃんと並んで歩く。

 彩音ちゃんも大井川先輩に追い回された影響か、さっきまでのようにはしゃぎ回る快活さは影を潜めていた。

 やがて五叉路のスクランブル交差点に差し掛かったところで、タイミング悪く歩行者信号が赤に変わる。

 立ち止まって何気なく道の反対側を見渡していたボクは、行き交う車の流れの向こうに見慣れた姿を見出だした。

「……せ、先輩」

 ボクの掠れた呟きに、彩音ちゃんも先輩の存在に気づく。

「やだ……な、なんで大井川さんが向こう側に?」

 その瞬間、まるで彩音ちゃんの声が聞こえたみたいに先輩がギロリとこちらを向いた。

「あ! お前ら、そこを動くなぁ!!!」

 周囲の騒音を圧して、先輩の怒りの叫びが交差点に響き渡った。

 ボクと彩音ちゃんはクルリと踵を返すと、映画館の方に向かって走り始める。

 しばらくは赤信号が先輩の追跡を遮って、幾ばくかの猶予をボクらに与えてくれるだろうが、この貴重な天祐を無駄にせずに急いで新たな逃走プランを練らなければならない。

 それにしても先輩、ボクらの裏の裏をかいて先回りとか、ちょっとカンが良すぎる。


 もしホントに浮気なんかしようもんなら、その時は間違いなく死を覚悟しなくちゃならないな、これは。

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