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とある休日の一幕

 三月十一日。金曜日。

 ボクが通う水澤高校は、新入生説明会が実施される関係で在校生は休みだった。

 四月から新三年生として本格的に受験体勢に突入するボクは、この貴重な時間を最大限有効に活用しようと朝から机に向かっていた。

「陽輔。よお~すけ~ぇ?」

「ちゃんと聞いてますよ。どうしたんですか、先輩」

「陽輔は今何してるんだ?」

「勉強してますが……」

「そうかあ~、勉強かぁ~。陽輔は努力家だなぁ~」

 両手を空けるためスマホにつないだイヤホン越しに、大井川先輩の不自然に甘ったるい声が聞こえる。

「私はヒマだなぁ~。部屋に一人で寂しいなぁ~」

「一人じゃないでしょ? いつも先輩の部屋の隅にうなだれて座ってる、白いワンピースの女の人がいるじゃないですか」

 電話の向こうでガタンッ、という音がする。

「バ、バカ陽輔ぇ! 怖いコト言うな。私はそういう話ダメなんだ! 夜寝られなくなるんだ!」

「先輩なら大丈夫ですよ。オバケだって、先輩の柔術にはかないませんよ」

 それ以前に、先輩の天衣無縫てんいむほう振りにはオバケも尻尾を巻きますよ。オバケに尻尾があればの話ですけど。

「バカ者、オバケに柔術が通じるワケないだろ! その前に金縛りにうだろ!」

「へえ、オバケも金縛りにうもんなんですか?」

「私がだ!!!」

 それはいいな。できればボクの勉強が終わるまで金縛りにっててくれるとありがたい。

「……ぐすっ……、責任取れぇ」

 先輩が子供みたいに鼻をすする。

「責任?」

「そうだ! 陽輔があんなコト言うから、怖くて部屋に一人で居られないじゃないか! 責任取って、今からこっちに来い!」

 あーあ。さては最初からそれが目的か。

「だからボク、勉強中だって言ってるじゃないですか。先輩、ニワトリなんですか? ていうか、部屋にいるなら三歩さんぽ歩いてすらいないでしょう。ニワトリ以下ですか?」

「勉強なら私の部屋ででもできるだろう!? 陽輔が来てくれないと、怖くて寂しくて死んじゃうだろう!!!?」

「ふむ、じゃあ実験してみましょうか。『人間は恐怖と寂寥せきりょうで死に至るか?』……なかなか興味深いテーマですね」

「自分の彼女を、まさかの実験台!? しかも死ぬかどうかの実験!?」

 ショックを受けた先輩が電話の向こうで叫んだ。

「よかったですね、先輩。学問の発展に寄与できて」

「すっごく嬉しそうとか、鬼かお前!!!」

 先輩の涙声を無視して、壁の時計に目をやる。

 十一時四十分。

 やれやれ。そろそろ行ってあげないと、あの人飢え死にしちゃうかな。




「お昼を食べたらボクはもう少し勉強しなくちゃなりませんから、くれぐれも邪魔はしないで下さいね、先輩」

 隣でボク特製の味噌ラーメンを夢中ですする先輩に釘を刺す。本日はバターと豆板醤とうばんじゃんを入れ、炒めたモヤシ、キャベツ、豚小間をどっさり乗せたスペシャルバージョンだ。

 先輩はモヤシとキャベツがはみ出した口をモグモグさせながら、無言で会津あいづの赤ベコみたいに首を上下させた。

「先輩、いつも返事だけはイイんですけど、すぐに我慢がきれちゃうんですから。今日はホントにお願いしますね?」

 モヤシとキャベツがチュルッと先輩の口の中に消える。

「大丈夫だぞ? 私、イイ子だぞ? 陽輔の勉強が終わるまで、静かに待ってるぞ?」

 子供みたいにキラキラした目で先輩がそう言うが、実はこれこそがクセモノだ。

 先輩は五歳の子供並みに純朴だが、その分忍耐力の持続時間も五歳の子供並みときてる。

 だがまあ、それでも最近は「我慢しなきゃ」という気持ちが出てきただけましだろうか。

 実際、昼食を済ませてボクが勉強を始めた今も、先輩は身体からだ中をプルプル震わせつつ、何とか「かまってオーラ」の放出を抑えているみたいだった。

 ……十五分後。

 テーブルに突っ伏して、ぺしぺしと両手でテーブルを叩き始める。

 ……二十分後。

 床に体を丸めて寝転がり、ゴロゴロと反転を始める。

 ……二十五分後。

 床の上でシャクトリムシみたいな蠢動しゅんどうを始める。

「よ……、陽輔?」

 先輩がかすれた声を出しながら、床の上で身(もだ)えた。

「……三十分はちませんでしたね」

 溜め息をつきながらも、内心ボクは二十五分もったことの方に驚いていた。高校生時代に比べれば格段の進歩だ。

「あと十六ページで終わりますから、もう少し我慢して下さい」

 そう言って、床に仰向けになった先輩のオデコにキスする。

「ふにゃ!?」

 先輩の目がぱちぱちとまたたいた。

「大丈夫だぞ? 私、イイ子だぞ? まだもう少し待てるぞ?」

 よしよし。ご褒美ほうびを小出しにして、少しでも先輩の忍耐力を持続させなくては。

 しかしなんか、今のボクって小さな子供をあやしながら通信教育のテキストに向かうお母さんみたいだな。




 結局ボクがあと十六ページ分の勉強を終わらせるまで、それから一時間四十分の時間がかかった。その間、先輩の忍耐力を持続させるのに要したご褒美ほうびは、オデコへのキス四回と唇に二回だった。

「さてと」

 ボクはノビをしながら、床にグッタリと横たわる先輩に声を掛ける。

「お待たせしました。どうします? 映画でも見に行きますか。それとも久しぶりにボウリングとか?」

 それを聞いた先輩が、床からピョンッ、と跳ね起きた。

「……それよりも」

 床に四つん這いのまま、ジリジリと先輩がにじり寄って来る。


 豹だ。豹がいる。


「私は陽輔と部屋でらぶらぶしたいぞ?」

「ちょ、……ちょっと待って下さい。先輩」

「ムリだ。もうこれ以上は待てない」

 

 身体からだをたわめた先輩がピョンと飛びかかってきた直後、視界と唇が同時にふさがれた。

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